« 貝塚時代の土器の色 | トップページ | 「境界紀行(八)秋田(九)遠野 たましいの行方をさがして」(谷川ゆに) »

2018/01/03

トーテム編年 2

 「沖縄島南部における先史土器胎土の長期的変化に関する一考察」(山崎真治、仲里健「日本考古学」2015)によると、沖縄島でも、トーテムの追加と胎土産地の変化は同期している。

 そうだとしたら、南琉球のトーテム編年は、もうひとつ可能性を持つことになる。

Photo

 ふたたび、山極海嗣の論考に戻ってみる(「宮古・八重山諸島先史時代における文化形成の解明 遺跡属性と生態資源利用の地域間比較を通した文化形成の考察」2016.03)。

 トゥグル浜遺跡は土器が一切出土していないが、人工遺物の属性は下田原貝塚(1954・1983-85)と類似している点が多いことが指摘されている(安里)。一方で、無土器期の遺跡と比較すると、トゥグル浜遺跡の属性は八重山列島の無土器期遺跡の属性とは異なる点が多く、反対に宮古島の浦底遺跡と共通する属性が見られる。トゥグル浜遺跡では遺物包含層から出土した貝類から下田原期よりも古い年代が示されているが、貝類は海水のリザーバー効果1や、資料となる貝類自体が土中に埋没する時点で化石化している可能性など、土層本来の年代よりも古い値を示している可能性が高い。リザーバー効果の年代的な誤差も踏まえて考えると、トゥグル浜遺跡は下田原期から無土器期の最初期までに属する可能性を有している。安里嗣淳は、トゥグル浜遺跡を下田原期と無土器期の繋ぐ架け橋のような存在と位置づけているが、今回の分析と比較結果からもトゥグル浜遺跡はまさに下田原期の新段階と、宮古島における無土器期の最初期の間に位置づけることができる属性を示していると捉えることができる。

 この指摘を重視すると、表の「トーテム2」の編年が考えられることになる。

|

« 貝塚時代の土器の色 | トップページ | 「境界紀行(八)秋田(九)遠野 たましいの行方をさがして」(谷川ゆに) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/87956/65964318

この記事へのトラックバック一覧です: トーテム編年 2:

« 貝塚時代の土器の色 | トップページ | 「境界紀行(八)秋田(九)遠野 たましいの行方をさがして」(谷川ゆに) »