蝶形骨器の時代 3
もともと蝶形骨器の製作期間は、金子浩昌の「沖縄縄文時代の蝶形骨製品」にある、「沖縄縄文時代後期から晩期(前二〇〇〇~前四〇〇)」という記述に従ってきた。これは高宮編年に基づくものだ。おおよそ4000年から2400年前ということになる。これを伊藤慎二が置いている年度に当てはめると、前4期から前5期で、3500年前から2500年前となり、少しずれる。
ぼくたちの問題意識からは、どの期に属するかが問題なので、もう少し引き寄せてみる。
島袋春美の「いわゆる「蝶形骨器」について」では、最古から最新にかけての貝塚と「主体土器」に編年を当てはめてみる。
古我地原貝塚 面縄前庭式土器 前3期
吹出原遺跡 肥厚口縁土器 前5期
ここで面縄前庭式土器は、前3期のなかでも古・新の新2段階目に位置づけられているから、後半という目安を立ててみる。すると、約4000年前から約2500年前になり、結果的には金子の指摘に近づくことになる。
古我地原出土の蝶形骨器は、「千枚岩」で作られていてジュゴンの骨ではない。このときは、まだジュゴンとの結びつきはなかったわけだ。
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