無文尖底系土器と蟹
貝塚時代後1期からは「交易期」とよばれ、考古学的には大きな世替わりが示されている。野生の思考でもそのことは示せる。ぼくたちはここで母系社会化したと考えている。兄妹婚が禁止され、「をなり神」が現在言われている意味に変容したのだ。
この段階の土器は、「無文尖底系」と呼ばれる。その名の通り、無文を特徴としている。奄美の「沈線文脚台系」は九州弥生の影響が認められるので、ここでは「無文尖底系」に絞って、ひとまず見ておく。
安座間充は「貝塚時代後1期・沖縄諸島の土器形態」のなかで、器形のプロポーションとして、「器高」と「口径」に着目している。
そして全体の傾向として、(器高)>(口径)だったものが、(器高)<(口径)へと変わってゆくと指摘している。つまり、高さに対して大きく開口していくということだ。安座間は、「形式区別の基準に器形プロポーションを重視すべき」だとしている。
この興味深い視点を共有すると、考えられることはある。前段階の肥厚口縁系の土器は、干瀬や海辺の岩場を強調したものだと捉えた。その続きでいえば、この変遷は、実際の貝からサンゴ礁としての貝への関心の移行を示すのではないだろうか。
無文尖底系の段階は、トーテムの中心が「貝」から「蟹」へと変わる。土器にはトーテムが反映されてきたことを踏まえると、ここで貝に代わって蟹が表現されておかしくないはずだ。しかし、土器は、「貝」の意味を変えられない。あの世とつながる場だからというだけでなく、後代にも壺や鍋は「貝」という意味を失わずに来ているからだ。
そして「蟹」は、寒くなると海辺の岩に化身するというように、干瀬や岩場(サンゴ礁)の子という位相を持っている。そこで、「蟹」を包含するものとして「貝」もしくは「サンゴ礁」を表現するとしたら、「岩場」か「砂浜」になるはずである。それが、「無文」の意味ではないだろうか。
あるいは、母系社会化により兄妹婚は禁止される。そのショックは「無文」のなかにも反映されているのかもしれない。
『琉球列島先史・原史時代における環境と文化の変遷に関する実証的研究研究論文集 第1集 琉球列島の土器・石器・貝製品・骨製品文化』
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