「西日本の縄文社会の特色とその背景」(瀬口眞司)
同じ縄文時代でも、東日本に比べて西日本はいかにも「小粒」と、瀬口眞司は指摘している。その特徴は以下の通りだ。
1.人口密度は低く、集団規模も小さく、集約的・求心的な構造を持たない。
2.打製石斧や磨製石斧を一定量持つが、土地や森林の改変を伴うような資源利用には一貫して消極的。
3.縄文後期に世帯当たりの貯蔵量は拡大し、堅果類の資源利用を強化したが、その程度は東日本に比べれば低い水準。
この背景にあるものは何か。瀬口は、資源利用に見ている。出土する堅果類は、東日本が落葉樹三種類なのに対して、西日本は落葉樹三種類に加えて照葉樹四種類(以上?)も出土している。
四ヵ月をかけて必要量を収穫すればよい西日本に対し、東日本ではその半分の二ヵ月の間に急いで必要量を確保する必要があります。結果として、集約的な労働がより必要となり、集団規模を拡大させたり、求心的な構造を生み出したりする必要性も高まることになるでしょう。
ぼくたちにとって面白いのは、この西日本のさまをより「緩く」したのが琉球弧だということだ。琉球弧から列島を北上した一群が、大きな島(本土)をどのように辿って行ったのか、想像を刺激される。ともあれ、この視点からは、琉球弧から西日本、東日本がグラデーションとして見えてくる。
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