ヤドカリ・トーテムの発生とゴホウラ
「琉球先史時代人とサンゴ礁資源」の貝、そのなかでゴホウラについて、 黒住耐二は書いている。
ゴホウラは礁斜面の下部に生息していて、採集には十メートル程度潜水しなければならない。しかし、貝塚時代には干瀬の外での魚類捕獲はほとんど行われていない(極めて少ない)。海面下でゴホウラやヤコウガイを発見した場合、数メートルの潜水は頻繁に行われていただろう。
遺跡から出土するゴホウラは死殻状態だ。そして、ゴホウラの死殻はコモンヤドカリ等の大型ヤドカリ類に利用されている。
推進10m程度の礁斜面から、ヤドカリによって、ゴホウラ死殻は浅場まで運ばれてきたと考えられる。ヤドカリ入りゴホウラ死殻は、イノー内で見られることはほとんどなく、通常、干瀬の縁溝と呼ばれる溝状構造部やさらに幅の広い水道部(方言でクチ)で得られる。
これはとても面白い。
ぼくたちは、多良間島の習俗から、ヤシガニと貝の結合としてのヤドカリ・トーテムの発生を考えてきた(参照:「南島歌謡に謡われたサンゴ礁の地形と海洋生物」(渡久地健)」)。だが、ゴホウラ採集の実態が黒住の言うようであったとしたら、多良間の系譜とは別に、ヤドカリ・トーテムの発生の現場に立ち会うことになる。むしろ、こちらがあってヤドカリ・トーテムが発生、多良間の習俗も生まれたとみなすほうが自然だということになる。
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