編年の近接
もしかしたら時間のとり方を間違っているかもしれないが、保留するとして、北琉球と南琉球の編年を対照させてみる。
ここで気になるのは、北琉球の前3期と南琉球の下田原期、北琉球の前5期と南琉球の無土器期の開始が近接することだ。
前3期では、定着期に入り、隆帯文の土器になる。ぼくたちは貝をトーテムとし、死を受容した段階と捉えた。前5期は、肥厚口縁土器であり、同様に言うと、干瀬と辺端の発達によりサンゴ礁を貝とみなした段階と捉えている。
これが、南琉球の下田原期、無土器期の開始と近接しているのは無関係と思えない。どちらもサンゴ礁の形成が関与しており、それは北琉球と南琉球に同期した現象だからだ。
下田原期は、「石斧」が隆盛していて、まだ「貝」をトーテムとしていないかもしれない。無土器期は貝をトーテムとしているとみなせる。そこにサンゴ礁を貝とみなす思考が伴っていたかは分からない。
そして、下田原期にしても無土器期にしても、明確が定住が認められていない。一定の居住と移動とみなされている。これが死の認識にどうかかわっているのか。探る必要がある。
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