「宮古・八重山諸島無土器期における地域間変異と生態資源利用」(山極海嗣)
「無土器期」は、BC1002~AD668(これは約3000年前から2千数百年前ということになる)。この間について、山極海嗣は八重山では「石材産地としての移動を伴う石材利用」、宮古島では「貝類利用」となると書いている(「宮古・八重山諸島無土器期における地域間変異と生態資源利用」「物質文化」95、2015.3)。
無土器期の遺跡は、一般的に海岸砂丘立地。石器は多良間島を除いたすべての遺跡から出土。しかし多良間でも、島で産出しない未加工の火成岩は出土している。
宮古島では海や海岸部で利用する貝類を用い、八重山諸島では海を渡って運搬しながら石材を用いる。人工遺物では、石器(とくに石斧)・鉄製品・銭貨が目立つ八重山諸島と、貝製品(とくに貝斧)とサメ歯製品の目立つ宮古島。八重山諸島では、貝斧の材料に恵まれる島でも、宮古島のような資源利用は確認できない。
魚類はブダイ科やフエフキダイ科など、礁湖や内湾に生息する魚類が大半。外洋魚類は確認できない。
無土器期は、比較的短期的な居住と資源獲得のための移動を繰り返していたと考えられる。
ということは、無土器期は、定着していないということになる(引用者)。
八重山の無土器期が「石」の文化だったということは、野生の思考の古層をよく保存していることとかかわりがあるように見える。
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