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2017/10/28

「宮古・八重山諸島先史時代における文化形成の解明」(山極海嗣) 2

 この論考を読むと、先史時代の宮古、八重山では、石垣島を起点に、西表島、波照間島、多良間島、そして与那国島、宮古島へと螺旋を描いた島人の動きがイメージされてくる(「宮古・八重山諸島先史時代における文化形成の解明 遺跡属性と生態資源利用の地域間比較を通した文化形成の考察」山極海嗣、2016.03)。もちろん山極がそんなことを書いているのではなく、ぼくが勝手にイメージしたということだ。


 下田原期

 古段階。「約BP3,900 年の年代を示すピュウツタ遺跡のⅤ層は比較的古」い。
 新段階。「BP3,700—3,600 年頃になると、波照間島のようなサンゴ島に遺跡が形成されるようになる」。

下田原期で最も新しい年代を示している遺物包含層は、下田原貝塚(1983-85)のⅢ層の BP3,600 年頃で、Ⅱ層でも下田原式土器が出土していることから、少なくとも BP3,600 年以降まで下田原期は継続した可能性は高い。

 無土器期

 無土器期の人類活動が明確に読み取れるのは、宮古島における BP2,400—2,300 年頃からであるが、宮古島のアラフ遺跡のⅦ層や西高嶺遺跡の 10 層は、BP3,000 年頃における宮古列島で人類活動が存在した可能性を示している。
トゥグル浜遺跡は土器が一切出土していないが、人工遺物の属性は下田原貝塚(1954・1983-85)と類似している点が多いことが指摘されている(安里 2003a)。一方で、無土器期の遺跡と比較すると、トゥグル浜遺跡の属性は八重山列島の無土器期遺跡の属性とは異なる点が多く、反対に宮古島の浦底遺跡と共通する属性が見られる。

 「トゥグル浜遺跡はまさに下田原期の新段階と、宮古島における無土器期の最初期の間に位置づけることができる属性を示していると捉えることができる」。

 つまり、山極は、与那国島のトゥグル浜遺跡を媒介にして、下田原期と無土器期を連続的に捉えようとしているわけだ。

無土器期の文化集団は下田原期の文化集団をベースとしつつ、サンゴ島環境を含む宮古・八重山諸島への技術的適応の一つとして土器を消失し、無土器期へ移行したと解釈する方が妥当性を有しているものと筆者は結論する。
八重山列島の無土器期遺跡は、筆者が無土器期の初期に位置付けたトゥグル浜遺跡を除くと BP1,600-1,500 年頃まで確認されていない。しかし、波照間島の大泊浜貝塚は BP1,500 年頃を示す 6 層の更に下層(10・11・12・17 層)で人工遺物が確認されていることから、八重山列島における無土器期の人類活動は更に年代を遡る可能性が高い。

Photo_3

 雑な図解だが、山極の言うのをトレースすると上図のようになる。

 ぼくのアイデアでは、下田原期は、トカゲ・トーテムの段階を示している。「石斧」は、トカゲの爪を示したものだ。また、把手つきの土器もキシノウエトカゲをモチーフにしている。無土器期は、貝トーテムの発生を示している。土器を作らなくなったのは、トカゲ・トーテムの重要性の低下だ。土中からも現れるキシノウエトカゲの重要性が減り、土に由来させずとも自分たちを表現することができるようになったのだ。

 石斧と土器の素材を提供した石垣島はトーテム・センターのような場だったのではないだろうか。

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