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2017/10/18

「先史奄美のヤコウガイ消費 ヤコウガイ大量出土遺跡の理解にむけて」(木下尚子)

 木下尚子はヤコウガイ交易について整理している(「先史奄美のヤコウガイ消費 ヤコウガイ大量出土遺跡の理解にむけて」)。

奄美大島北部において、 先史時代人は大型ヤコウガイ (殻径17.1~19.0㎝) を捕獲対象にしていた。

兼久式期 (6~7世紀) になると、 人々のヤコウガイ消費に共通した変化がおこる。 小型ヤコウガイと超大型ヤコウガイの捕獲が始まり、 ヤコウガイにたいする無差別の捕獲と、 大量の殻の集積が始まる (第一の画期)。 この背景に島外における貝殻消費が想定されるが、 遺跡にのこされた大量の貝殻はその供給の効率の悪さを示唆する。

兼久式期の後半 (8世紀頃) にヤコウガイは小型のもの (殻径7.1~9.0㎝) が捕獲されるようになり、 資源の委縮した状況が認められる (第二の画期)。

兼久式期の終末期 (9~10世紀) にはヤコウガイ資源が回復し、 通常の捕獲が行われる。 当期は大和で南島のヤコウガイが消費される時期にあたっており、 遺跡もこれに対応していた可能性が高い (第三の画期)。 この時期の長浜金久Ⅰ遺跡に大型ヤコウガイの殻がほとんど残されていないのは、 こうした交易品として搬出されたと解釈できるかもしれないが、 蓋も遺っていない事実については今後の検討が必要である。

長浜金久Ⅰ遺跡で認められた11世紀、 13世紀とみられる文化層にはヤコウガイがほとんど検出されなかった。 おりしもこの時期は大和と南島のヤコウガイ交易の最盛期である。 古代・中世のヤコウガイ交易の実態を、 生産地において改めて検討する必要があるだろう。

 「無差別の捕獲」は、過剰な贈与と言ってもいい。これは返礼の過剰さを意味するだろうか。

 ヤコウガイの「大量消費」は、貝塚時代後期後半の話題だが、ヤコウガイ自体は、「爪形文土器期」の野国貝塚群からも「一定量」出土している、という指摘が面白い。長いながい付き合いなのだ。

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