「琉球縄文文化の枠組」(伊藤慎二)
伊藤慎二は琉球弧の縄文時代(琉球縄文時代)を素描している(『琉球縄文文化の基礎的研究』2000/12)。
伊藤が挙げる特徴を列記してみる。
1.土器文化は縄文土器の範疇にあるのに、土器以外に着目すると、九州以北の縄文文化とは大きく異なる。
2.前4期に属する貝塚が多く知られているが、それらは「非常に高所に形成された貝塚が多数認められる」。
3.「貝塚」と呼称されない遺跡からも、貝や魚骨が少量は出土する。先史琉球弧は、貝類採捕が基本にあって、そのうえで軸になる生業の比重をどこに置くかで各時期の特質が現れる。
4.石鏃が稀にしか伴わない。狩猟に関する道具が非常に少ない。
5.本格的な貝塚形成は前4期からだが、前5期からは「大規模な集落遺跡が台地上に営まれる」。
6.海産資源は、サンゴ礁内で捕れるものばかり。外洋での漁撈の不顕著は、九州や台湾、サンゴ礁の発達した南太平洋島嶼の先史文化と比べても、かなり特異。
7.貯蔵穴の検出例が非常に少ない。「食料を貯蔵する必要性が存在しなかったことを示唆しているとも考えられる」。
8.サンゴ礁の豊富な解散植物資源というイメージとは裏腹に、内陸を主体とした生業活動が一般的(焼畑の可能性)。
9.九州以北の縄文時代の住居址と比較すると、「極めて規模が小さい」。
10.鹿児島県の住居址は「円形もしくは隅丸方形」が多く、中央に「掘り込み炉」が伴うが、北琉球弧におけるそれは、「長方形あるいは隅丸長方形」が目立ち、床面に不定形な焼土が残されたものが多数を占める。住居壁はサンゴ石灰岩を積み上げる。
11.北琉球弧の土器が「極めて小形」。住居址や土器は。より少人数を対象にしていた。
12.南九州や関東のような、極端に遺跡数が減少する時期が見当たらない。
伊藤は、「爪形文土器」の入る余地がないのだとしたら、九州以北の縄文文化とは別に琉球列島の土器文化の起源を検討すべき必要があるのではないか、と書いている。
琉球縄文文化のこのような選択的受容現象は、九州以北の縄文文化が全日本的に共有していた世親的世界観の拒絶を表しているものと考えられるのである。(中略)琉球縄文文化は九州以北の縄文文化とは異なった精神的世界観を形成し所持していたことが予想されるのである。
ここがぼくたちの探究のしどころでもある。
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