「山に登るオオハマボウ--海洋島の植生変化と人間居住」(近森正)
近森正は、「熱帯の風景のなかで、最も親しみ深い花はオオハマボウのそれではないだろうか」と書いている(「山に登るオオハマボウ--海洋島の植生変化と人間居住」(「史學(三田史学会)」2003.6)。
潮風に吹かれながら、朝には黄色の花弁をつけ、日中は赤色、夕方になるとオレンジ色からサーモンピンクに変わり、夜には落花してサンゴの砂浜に花綵を描く。
「その叢林は海岸の典型的な植生景観である」。
ラロトンガ島の島人にとって、「オオハマボウほど身近な樹木はない。伝統的に最も利用価値の高い植物のひとつである」。
1.軽くて丈夫な幹
・カヌーのアウトリガーや櫂、建築材として家屋の梁や板材
2.枝
・火起こし棒
・海水に浸けて腐らせて内皮をはぎとり、取り出した繊維でロープ(若い樹の滑らかな樹皮)や編み袋をつくる。樹皮布(成樹の内皮)。
・舞踏用のスカート、サンゴ礁の上を歩くサンダル
3.花
・緩下剤として薬用
・すり潰した花弁は、腫れ物や切り傷の塗り薬。
4.葉
・たくさん集めて、葉柄のところで束ねてクッションのように平らにし、石蒸し焼きの覆いにする。
木材は「薪炭材として最も一般的」。
これに近いたくさんの用途が琉球弧でもあったのだろう。登山修はオオハマボウの樹皮の繊維は衣服にしたと書いている。加計呂麻島では、芭蕉布があまり採れなかったから、「ユナギが人間を包む衣という容器の材料になったものと思われる」。与路島では、戦後ユナギの樹皮の繊維で、釣り糸を拵えた(「ヒジャマグヤ(火玉小屋)と産屋」)。
ラロトンガでは、琉球弧のような、トイレットペーパー(葉)の用途はなかったのだろうか。
研究者のあいだでは、オオハマボウは先史時代のポリネシア人が南太平洋にもたらしたと考えられてきたが、近森らは「人間が南太平洋に居住を介しするよりもはるかい以前に、オオハマボウが自生していたことを明らかにした」。
その6000年前頃のオオハマボウの生育環境は、海進の影響で、島を取り巻くビーチ・リッジは充分に発達していなかった。島の周囲には不規則な内湾、ラグーンが作られていた。その後、海水によて運搬されてきた浮遊土砂と陸側から流されてきた土砂が堆積して、塩地性の湿地が形成された。「オオハマボウの群落が成立したのはその時期である」。
その立地は潮間帯の直上にあり、ときには海水の影響を受けるような環境であったらしい。
ユナが形成される。そして、ユウナが生まれる、ということだと思う。
ユウナは世の始まりからの木と言われるが、それは神話的思考にとってそうであるというばかりでなく、科学的思考にとってもそうだったわけだ。
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