「ハマオリ儀礼の基本構造と夏目踊り」(松山光秀) 2
もうひとつ、松山光秀は重要なことを書いている。シュクの寄りと水稲の収穫の時期が一致することから、「シュクの折目も麦作の折目もすべて水稲文化に席巻され、同化されたのである」。
そのことが、二回目のシュクの寄りの呼称アキヌックヮや、ハマオリ儀礼の祭場に同居する形でユームチゴモイ(水稲文化)とフーゴモイ(採集文化)が隣接して存在すること等で説明づけられると思う。
この洞察は、松山光秀の達成だと思う。
シュクの寄りの時期と呼称は、もう書かれている。
1回目。「サラユイ(新寄り)」、旧暦5月28日。体長1.5センチほど。「ミーイユ」と呼ばれる。松山はこれを「新しい魚」と解している。
2回目。「アキヌックヮ」、アキとは、水稲の収穫のこと。旧暦6月28日。
3回目。「マタベヌックヮ」。旧暦7月28日。マタベとは、「水稲のひこばえ」。
ところで、宮城幸吉の「スクおよびスクガラス」では、5月内に来るのがウンジャニー、6月1、2日が中型のスク。7月1日は大型のキラハニ、になる。
これを松山の記述に対応させれば、
サラユイ(ミーイユ) - ウンジャニー、スク
アキヌックヮ - キラハニ
マタベヌックヮ - 対応なし
となる。宮城の挙げている表では、徳之島の「ミーユ」は、中型のスクに分類されている。これは、体長4センチほどで、松山の記述とは矛盾する。徳之島のシュクの呼称は、水稲文化で変形させられていて古形の呼称は不明だ。唯一、ミーイユがその面影を宿している。松山はこれを「新しい魚」と解しているが、これは「メスの魚」という意味だ。そうなら、これは宮城の分類でいうスクに該当している。
徳之島では、ウンジャニーとスクは混融していて、松山は、大きさはウンジャニーで、呼称はスクで見ているように思える。ミーイユはメスであり、ウンジャニーはオスと考えられていたはずだからだ。
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