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2017/08/23

『驚くべき乳幼児の心の世界』(ヴァスデヴィ・レディ)

 分かったような分からないような感じなのだが、「二人称的アプローチ」には心惹かれるものがある。

 「二人称的アプローチ」の核となる仮説の三つの特徴。

 1.二分法的仮説としての「ギャップ」を否定する。他者の心は不透明で知覚できないから、推察、モデル化して憶測するしかないという考え方を。

 2.他者を複数化する。他者とは多様なかかわり方を持つことができるし、多様に知覚できる。二人称の他者は、「特別な他者として、情動的な反応をもって経験することを可能にしてくれる他者である」。

 3.人と人との間の能動的で情動的なかかわりこそが、心を構成し創造するものである。

二人称の様態は、根本的に個人的かかわりをとらえるもので、それは語り手が聞き手に対し、単に「あなた(You)」という言葉を使うこと以上のこと、つまり心理的に配慮し心を開いていること-さらに、親密であること-を意味している。

 「人をありのまま知覚することができるのは、その人と積極的に関係を持つときに限ってのことだ」。

 もっと突っ込んだことも書かれている。

それが能動的で情動的なかかわりになると、あなたの他者知覚は常に〈他者へ向けて自己が感じていること〉の自己受容感覚的な経験を含んだものであり、あなた自身の自己受容感覚は、常に〈あなたに向けて他者が感じていること〉の知覚を含んでいる。

 これについて著者は、「何か新しい用語を考え出さねばならないかもしれない」と書いている。

 他者を感じるときには、そこにすでに自分固有の受容の仕方を通じた経験を含んでいて、自分自身の固有の受容の仕方には、他者が自分を感じていることが含まれている。かかわるということは、すでに個別存在ではありえなくなっているということを、語っていると思える。特に後者の理解は、改めて言葉にすると、気づかされる面もある気がする。

 「非・かかわり(dis-engagement)」という概念も出されている。これは非関与のことではない。それは避けられない。著者は、「新しい愛の完璧なハーモニー」が「ちょっとした心の乱れ」などのときに「経験する悲しみ」のようなものだ。

 充分な理解には届かないのだが、もうひとつ大事だと思えるのは、「二人称的アプローチ」が「一人称的アプローチ」とちがうのは、類似性の認識にあるのではなく、「他者の行為への互恵的応答の経験の認識」。

心と心の間にあるとされるギャップは、このような身体性と状況埋め込み性を取り戻すことで、ほとんど解消してしまう。

 「状況埋め込み性」の意味が分からないが、まじりあう領域がギャップを溶かすというイメージはやってくる。


 また、「文化」へのアクセス不可能性の問題は、文化を「プロセス」ではなく、「産物」として捉えている。

あなたはそれを所有しているか所有していないかであり、それは生まれ出るのが何処であるかに依存して「獲得する」ものとされる。

 しかし、文化は開かれてあるものだ。そうであるなら、と、二人称的アプローチの主張が続く。
 

ヴァスデヴィ・レディ『驚くべき乳幼児の心の世界』

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