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2017/08/01

「"見捨てられ不安"から"自己の回復"へ」(筒井潤子)

 筒井潤子は、10年以上前の事例を記述しようとする。5年200回を超える面接を記述する際、「見捨てられ不安」から「自己の回復」へのわかりやすい段階的な過程として処理されてしまえば、「現実に流れていたその時々の揺らぎとの解離」を生んでしまいかねない。心理治療は主観に埋没しては成立しないが、主観抜きにも成立しない。それでどうやって記述できるのか、という問いのもとに治療の過程を書くのだが、印象的だった。(「"見捨てられ不安"から"自己の回復"へ--ある事例の振り返りと、その叙述の試み」都留文科大學研究紀要 No.68 2008年)

 もっとも印象的だったのは、患者ではなく、カウンセラーの都合でキャンセルした次の面接の際、患者は突然、別の人への怒りを口にする。

突然の話題と怒りの感情に私は戸惑い、出会った頃の息苦しい面接空間を思い出しながら耐えていた。私はかなり後になって、ようやくキャンセル時の私の言葉とAさんとのこの反応が結びつき、Aさんに見捨てられ不安が再現されていたことを認識した。大きな失敗だった。しかし、怒りをTに向けてくれたことによって私は生き延びた。

 この失敗談が、カウンセラーと患者という枠組みを揺さぶって、人と人の関係という素地を見せてくれるからだ。

 患者の「自己の回復」について、そこに「仕切り屋」の姿はなかったと著者は書くのだが、それは最初のころ、「依存することによってではなく、自らが関係を仕切ってゆくことによって"見捨てられ不安"を防衛していたともいえる」。

 著者はコフートの言葉を引いている。研究者がとりわけ示さなければならないのは、

現前する自己対象の共感不全によって生じる再外傷体験の恐怖によって動員されるもともとの抵抗が克服されて後、自己と自己対象との間の信頼にたる共感のチャンネルが独特の波状の道を経ながら、いかにして究極的に開かれるかである。

 分からないことも多いものの、胸を打つところがあるのは、これが研究者の課題にとどまらない面を持つからではないだろうか。

 筒井は、10年以上経っての記述について、「こうした時を経ての振り返りは、事例の理解、分析にとどまらず、私のありようを知る私のための作業であり、これから出会う方々に対する責任を伴った準備と言えよう」と書く。これにしても、カウンセラーでもセラピストでもない、ふつうのぼくたちにも開かれた言葉だと思った。

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