「「覚悟」の自己心理学的考察:蒼古的自己愛空想への執着と諦め」(富樫公一『蒼古的自己愛空想からの脱錯覚プロセス』)
富樫公一は、「蒼古的自己愛空想の脱錯覚プロセス」として「覚悟」の重要性を指摘している。
1.「覚悟」には「自己の断片化の痛みを積極的に予測し、運命や時と呼ばれるような大いなるものの中で生きる自分を思い描くこと」が含まれる。
2.クライエントは、痛みに積極的に向き合うプロセスの中で、セラピストと共有する間主観的空想を必要としており、脱錯覚を伴う覚悟はイントラサイキックな空想の場より、間主観的な場で展開するプロセス。
3.間主観的空想をオーガナイズするプロセスでは、クライエントの空想水準で、セラピストが先にその間主観的空想に参加しようとしている、と体験されることが重要であった。4.間主観的空想には、「一緒に生きてくれる人がいる」という体験が含まれており、それは世界に対する基本的な信頼感の形成と関係する可能性が示された。
5.「一緒に生きてくれる人がいる」という体験は、「一蓮托生」などの言葉で表されるもので、これまでのこれまでの自己心理学の枠組みでは、双子自己対象体験の中に位置づけられると考えられた。
ここで「大いなるもの空想」とは「自己の存在を越えた時間や空間の流れの中で存在するものとして自分を見ること」とされていて、「全能的対象や全能的存在を仮定する」「理想化空想」とは異なる、とされている。
紹介されている症例で印象的だったのは、最初、クライエントの怒りを恐れて情緒的な関係から引きこもった治療者が、腹をくくったことが脱錯覚を進める契機になったことだった。
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