「【文化】という観点から浮かび上がる、アダルト・チルドレンたちの苦痛の本質 (藤本美貴)」
充分な紹介はできないが、藤本はアメリカではAC(アダルトチルドレン)の出所は、「機能不全家族」とされているが、日本の場合、「機能追求家族」ではないか、としている(藤本美貴「【文化】という観点から浮かび上がる、アダルト・チルドレンたちの苦痛の本質 : 役割自我・甘え・世間をキータームとして」「社会臨床雑誌」第22巻第3号」)。
取り上げられているのは、いわゆる「いい子」。それは「しつけ」が同化的共生関係のなかで生まれる。
発達心理学では、母親との「共生状態」は、自他の分化と自我の本格的な覚醒がはじまる「分離-固体化」のさらに、前段、乳児期に位置づけられる。そこでは、乳児の感覚は母親にも共通して経験されていると感じられている。
藤本は、この段階での「養育行為」が、「驚くべきことに日本においては長期にわたる養育・しつけ上の最も適した関係様式とされている」と、指摘する。
一方、子供にとって勝手のできる「うち」と「いい子」としてふるまう「そと」は区別されるが、機能追求家族では、
まさにこの「そと」への志向性と「うち」の世界の相補的なバランスが根本から崩れ、前者の肥大化とともに後者の領域が不当かつ欺瞞的に搾取されるといった状況に陥ったものと考えられる。
「うち」がなくなり「そと」のみの世界になってしまう、ということだ。
島には「ヤーナレード、パーナレー」という言葉がある。家でやってることは外でも出てしまうから気をつけて、という注意みたいなものだが、これは「家」での「甘え」を前提にしているからこそ生きる言葉というわけだ。
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