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2017/08/14

「自己体験の視点」(『共感と自己愛の心理臨床』)

 フロイトは、精神分析療法の自由連想のなかで、「過去の外傷的的体験が想起されることが、症状の消失をもたらすことを発見したとされている」。

 しかしここはこう言い直すべきだと安村は書いている。

むしろ、過去を想起したその瞬間に、患者の「主観的な体験の座」が、これまでとは異なる新しい視座へと移動し、何らかの自己意識の質的な変容が起こることで治療的な体験が生じていることが考えられるのである。

 ここはぼくでも引っかかってきたところで、安村の言うことは説得的だと思える。また、こうも言い換えられている。

つまり、過去の想起が癒しにつながるためには、過去を想起しながらも、それに脅かされることなく、さまざまな感情を自分のものとして体験することができ、さらに、そうした現在の時点から過去の自己に思いを馳せるという、いまここでの安定した自己体験の構造が必要だと思われるのである。

 過去の外傷的体験は単に想起されればいいというものではない。それには、「いまここでの安定した自己体験の構造」の用意がいる。
 

『共感と自己愛の心理臨床:コフート理論から現代自己心理学まで』

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