「ハマオリ儀礼の基本構造と夏目踊り」(松山光秀)
もう少し徳之島の徳和瀬を手がかりにしてみる。
シマの草分けはネーマ。その北隣りには祭りの広場トネがあり、その東にはノロの住んだアガレがある。ネーマとアガレには神の道が通っていた。また両者は、イイリ(兄)とウナイ(妹)の関係にあったと言われている。そこで、ネーマとアガレは兄弟姉妹が軸をなす母系社会を構成していたと捉えることができる。
シマはネーマとアガレを起点に北に扇形に広がるが、この構成は、ハマオリヤドリにおける浜での陣取りの構成とまったく同じだった。そこで松山は、「浜に古い時代の格付けされた集落があったのだと思う」と推測している。
珊瑚礁の干瀬を頼りに、魚や貝、海草などの採集生活をしていたのではないか。
栽培文化がもたらされると、島人は内陸部へと移り、ワシムラにたどり着く。その痕跡が「神の道」だ。「聖なる川」ハマジゴーを登って行った島人は、アークントーという山を下って「守護神の宿る」ティラ山を築き、それに抱かれるようにしてワシムラを作った。
ここはネーマやアガレから北へ伸びるもうひとつの神の道も勘定に入れるべきだろう。その方が、葬場としてのチンシ山とあの世としてのティラ山の位置関係がよく納得できる。
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