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2017/08/02

「AC・よそもの・私とあなた - 「見捨てられ」感覚をめぐって」(熊田一雄)

 熊田一雄によれば、アダルトチルドレンは「自分の生きづらさが親との関係に起因すると自覚する人たち」と広く定義されている。(「AC・よそもの・私とあなた - 「見捨てられ」感覚をめぐって」愛知学院大学文学部紀要 No.46 2016)

 しかし、ACは概念が拡張されすぎていて専門家からは批判も多い。にもかかわらずのAC概念の流行は、「この概念の accoutability の高さ、わかりやすさにあるのであろう」。しかし、単に分かりやすいというだけではない。そこには、「AC概念が現代の先進国に生きる人たちの精神生活の一面を確実に捉えている」のだ。

 たとえば、ぼくたちには「異邦人」の名で知られているカミュの「よそもの」は、主人公ムルソーの「親密性の欠如」に見られるように、「典型的なACの生活感覚を表現したものとしても読める」。

 そして次に宗教哲学のブーバーを引くのだが、これが面白い。

 ブーバーによれば、「私-あなた」の相互性、出会いの相互性によってこの世界の存在が成り立っている。デカルト的な「私」という抽象化された中心点から見る世界存在、人間の社会ではなく、〈私〉と〈あなた〉を中心にしてその相互性による関係の中に一切を見直すことが重要である。近代以降営々として築いていきた人間の文化は、この根源語の立場からすれば、「私-それ」であり、「私-それ」は「私-あなた」を基礎に持つ。もし「私-それ」が崩壊しても、「私-あなた」の根源に帰ることによって、ふたたび立て直すことができるし、生存を崩壊させないように努めるためにも、「私-あなた」の純粋化がつねに意識になければならない。そして神は「永遠のあなた」である。

 最後の「神」に躓かなければ、これはほとんどこのところのぼくたちのテーマだ。

 ブーバーは母親からの「見捨てられ」感覚を持つが、祖父母のもとで育ち20年後に母と再会したときに「完全に解消されている」。これは、「サバイバー(回復せるACのこと)の思想表現」としての側面を持つ、と熊田は言う。

さらに、「私とあなた」の献辞がブーバー夫人に捧げられていることから判断すれば、「私とあなた」には「妻に対する親密性の表現」としての側面があることにも注意を促しておきたい。

 ところで熊田は、日本のAC運動には「回復の形」が明示されていないと指摘している。そして大衆は、生活指針の「形のはっきりしない」生を生きるほどに強くないのだから、今後、「日本のACムーブメントはおそらく宗教色を再び次第に強めていくことになるであろう」と締めくくっている。


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