「麦つき唄から」(柳田國男『故郷七十年』)
柳田国男はオヤについて、書いている。
最初オヤとは、生みのオヤという今日の「親」ではなく、一つの集団、例えば職人らのいうオヤ方とか、博徒らの使うオヤ分のように、古くからあった親族・一門のカシラという広義のものではなかったかと思うのである。生みの親などという肉親の関係は、それより後になって使用されはじめたのではあるまいか。(「麦つき唄から」)
これを入口に、柳田はオヤの分布を書く。
・紀州の一部では、オヤは山林の管理人や巡査、一種の権力をもつ人々のことを意味する。
・九州豊後では、尊敬すべき年長者のことをイヤさんと呼ぶ。
・古語では礼はイヤと呼ぶ。ヤアといえば今日では軽々しい応答語になっているが、じつは礼を尽くすべき長上に対する恭々しいのウヤなどと同じく、こうしたところに源を発している。
・イヤもオヤと同じ系列の言葉ではあるまいか。
この、イヤというところにぼくたちは接点を見いだす。これが、琉球弧や九州などで胞衣を表わす言葉だからだ。胞衣を持ちだすのには根拠もある。
なぜこうした問題を語り始めたかといえば、じつはこのオヤとかイヤという問題が、日本人の民間信仰、ひいては民族の起源にまで遡る重要なことなのである。つまりイヤという地名を全国的に調べてゆくと、先祖の霊のある所をイヤ山イヤ谷と呼ぶ事例が多いのであって、亡霊を山に埋葬した風習、そして後には霊を祭る場所は別に人家の近くに置くという両墓精度の習慣にもかかわって来るのである。古くは先祖の霊は山へゆくという信仰があったらしいのである。米作民族の日本人が米を携えて南から北へ移って来たとすれば、一時あるいは珊瑚礁のような、ある時は宮古島のような平地の場所にも住んだとも考えられ、さすれば山のないことが些かこの仮説の障害にはなる。
ここでぼくたちは、宮古島のような珊瑚礁の島はこの仮説の障害にはならなと言うことができる。
ユナ(砂―珊瑚礁に関わりが深い、胞衣の意味も持つ)―イヤ(胞衣)―イヤ(霊のゆくところ)―オヤ(カシラ)
こういう流れ、意味の転化を想定することができる。
「米作民族の日本人が米を携えて南から北へ移って来たとすれば」というところは、疑問符を置いてきた。しかし、仮にそう想定すれば、ヨナ(ヨネ)が本土で、米殻の意味に転化することも理解しやすくなる。これは保留としておこう。
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