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2017/07/19

『南島文学発生論』序

 谷川健一は書いている。

 日本から南下し沖縄島に渡来したアマミキヨと呼ばれる人びとも「古渡り」と「今来」の二種類があった。古渡りのアマミキヨは古代の海人文化をもたらした人びとであったが、今来のアマミキヨは鉄器をたずさえ、城郭の築造を指導し、鍛冶の技法を沖縄の島々にひとめた人たちであった。

 いまも分からないのは、この二分だ。アマミキヨの名称にこだわるなら、後者に収斂してしまうように思える。「古渡り」の渡来者もあったろうが、その段階では、まだアマミキヨの呼称は獲得していないはずだ。

 鉄器、文字歴、仏教などによって、社会を均質化し、自然力を克服した本土とちがい、

南島ではいつまでも圧倒的な強さで自然力が人間のまえに立ちふさがり、それに拮抗できるのは古来伝えられてきた言葉の呪力だけであった。

 これも、「拮抗」というよりは、それが自然と関係する入り方だったということだ。

 谷川は、「南島の呪謡を介して日本古代文学の黎明を類推する」というモチーフを持っている。これにぼくたちのモチーフを対応させれば、日本古代文学を参照しながら、南島の呪謡がその後、どこまで到達しているかを探る、ということになるだろう。

王府の任命による巫女組織が村々まで及んだ結果、ノロとユタの役割が分離したのである。

 分離の発生はもっと遡らなくてはならない。いつ、とは言えないが、それは根人と根神の発生時、つまり集団が一対の兄弟姉妹を象徴として立てざるを得なくなった段階であるはずだ。それは共同体の発生と言い換えてもいいかもしれない。

 

『谷川健一全集〈第5巻〉沖縄1―南島文学発生論』

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