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2017/07/31

「山神と平地の田神との巡回と反復」(吉本隆明)

 吉本隆明は、「思ふに古今は直立する一の棒では無くて、山地に向けて之を横に寝かしたやうなのが我国のさまである(『後狩詞記』)」という柳田國男を受けて、山人と平地農耕民のあいだでは「時間」は斜めに走ると書いている。

ここで柳田が認識している山人(猟師、木樵)と平地人(農耕民)との差異は、たんに居住領域の空間的な違いでもなく、またたんに山人を先住民とし、平地人を後住民とする違いでもなく、このふたつがきり離せない合力の成分要素として表象されていることをさしている。この斜めにはしる「時間」という柳田の概念は、ひとつには「春は山の神が里に降って田の神となり、秋の終りには又田から上って、山に還って山の神となる」という山神と平地の田神との巡回と反復の根拠をなしていた。

 この「山神と平地の田神との巡回と反復」について、「このふたつがきり離せない合力の成分要素」であるということの意味を、山人が平地にくだって平地人となった経緯としてみなす視点を出しておきたい。

 それは農の段階以前に挿入することができる。縄文遺跡の分布をみると、山間部で遊動していた縄文人は、平地に下りてゆく。なかには定着する人々も現れた。海への接近だ。稲作伝来以前に平地住民がいたということは、この普及に大いに預かったにちがいない。

 平地に下りた縄文人は、定着によって他界を発生させる。このとき、他界の指定先には山も選ばれる。山からは異形の祖先が時を定めて姿を表わすことになるだろう。それが零落の過程で、妖怪に変形されていくが、一方で、祖先の表象は山の神となり、稲の生育期間、田の神として集落を守護することになる。

 

『柳田国男論・丸山真男論』

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2017/07/30

猫の樹上葬

 猫の死骸は袋に入れてアダンの木に下げる。その周辺の習俗を挙げてみる(酒井卯作『琉球列島における死霊祭祀の構造』)。

 ・山に行ったら猫の声色を出すものではない。猫は人の精をとる(国頭)。
 ・猫は土の臭いをかいだら再生する(石垣島)。
 ・猫の魂とりを退けた呪術は、「クスコレバナ、クスコレバナ」(与論島)
 ・「猫と童は人の肝見ゆん」(与論島)
 ・猫は年を取ったら後生通いをする(与論島)

 猫を樹上葬にするのは再生が信じられていたということだと思う。霊魂との関連づけもある。蝶の換喩的な変換形ではないだろうか。


 

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2017/07/29

イナ地名メモ

 崎山理は、「日本語の系統とオーストロネシア語起源の地名」のなかで、『古代地名語源辞典』では、「地名のイナ(伊那、伊奈)はヨナ「砂地」の転である」と見ているが、「イナ・ヨナ語源説は音韻変化的な妥当性を欠く」と指摘している。

 素人のぼくには、容易に転訛しうるように見えるから不思議だ。(yuna > iuna > ina)

 音韻変化とは別の側面からも言えることはある。

 茨城県では、「兄」のことを「いなー」と言う。喜界島では「いなっきー」(『日本方言大辞典』)。これは「胞衣」から来ている。与論で「胞衣」をしだび(年上)というのと同じことだ。つまり、胞衣は「後産」ではあるが、ここでは年長者と見なされている。

 同辞典には、「いな(異)」に、「殊勝な、感心な」という意味も載せられている。これは、「いや(嫌)」が「ありがたいさま」、「不思議なさま」という意味を持つのに近しい。

 「いなー」は竹富島では「握り飯」の意味にもなっている。

 それということは、宮古島の刺青の「握り飯」には、「胞衣」も含意されているのが示唆される。

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2017/07/28

イヤ地名 2

 敗戦直後に刊行された『大和地名大辞典』には、奈良の小字が可能な限り収録されている。

 これでカウントすると、イヤ地名は143にのぼる。うちイヤ「谷」系が55、イヤ「山」系が5と、圧倒的に「谷」系が多い。これが奈良の地勢の特徴なのか分からないが、イヤ形地名が南方系であることを示唆したもののようにも見える。

 奈良を別に、イヤ地名を拾えるだけプロットしてみる。

 地名イヤと胞衣ヨナとの重なりからいえば、四国にはもっと分布していいはずなのだ。

 そこで思い至るのは、伊予国というのは、イヤ地名に由来しているのではないだろうか。そういう説はあるようで、Wikipedia でも、「湧水説」と「弥説」で紹介されている。(参照:「伊予国」) ぼくの考えだと、これはどちらも部分的に妥当性がある。この両者の重なるところに、正解がある気がする。

 国生みにおいて、淡路も四国も、もともと「胞衣空間」だったことが引用されているわけだ。

 また、高知ではヨナとしての胞衣は確認されているが、イヤ地名は見つけられていない。しかし、『日本方言大辞典』では、「いや(嫌)」の項で、福井の例として「ありがたいさま」、高知の例で「不思議なさま」を挙げている。高知市では「血統はいやなもんのーし」。この例文は、イヤ地名に通じるものだ。

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2017/07/27

ヨナ・ヨネ地名 2

 崎山理が挙げていたヨネ地名について、確認する機会がめぐってきた。(参照:「ヨナ・ヨネ地名」

 この地名を崎山は、『大日本地名辞書』と『古代地名語源辞典』から抽出している。

 このヨネ・ヨナ(琉球地名でユニ、ユナ)の分布は、弥生時代初期に、すでに日本海側から東北地方にかけて達していた稲作文化の軌跡と符合している。このことは、イネの穀実が「砂」から意味変化したヨネという言葉とともに、伝搬していったことを意味する。(「日本語の系統とオーストロネシア語起源の地名」)

 ぼくたちはここで別の仮説を立ててみる。稲作が浸透する以前に、ヨネ・ヨナ地名はあった。このとき、ヨネ・ヨナ地名は地母神・産土を意味する言葉としてあった。それが稲作の広がりとともに「稲」の意味に変容して漢字が当てられた。そして、ここで検証したいのは、崎山が言うようにもともと「稲」の意味としてつけられたヨネ・ヨナ地名があるか、ということだ。

 傍証のひとつとして、ヨネ・ヨナ地名周辺の縄文遺跡の分布を調べてみる。縄文時代に人の行動圏内にあったとすれば、地母神・産土の意味を持った土地である可能性を高めるからである。


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 これをみると、場所が特定できなかったり、縄文遺跡が確かめられなかったりする場所はあるものの、積極的にもともと「稲」地名を確認できるところはない。逆に、美濃の米田のように、立地といい遺跡の分布といい、いかにも地母神・産土の意味を持っていそうな場所もある。

 ただ、#4、5 の陸中、備後のヨナイは遺跡からみる確度は高いが、アイヌ地名である可能性も高いと思える。


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2017/07/26

柳田國男の「宝貝」と「稲籾」

 『海上の道』における柳田國男の「日本人」は、人種的な構成要素ではありえても、それだけでは「民族」の区政要素とは見なしにくい。しかし、それでも、「「宝貝」や「稲」についての柳田の記述は、いちばん円熟した時期に、いちばんたいせつな民俗学の主題をめぐって、いちばん精髄をあらわしている個所だった」。だから、吉本は「この主題から立ち去るのが惜しい感じを与えるゆえんだ」としている。

 「宝貝」や「稲籾」は、物欲や食欲を介して原「日本人」の交易品や食糧として生活と生存に不可欠だった。この不可欠な要素がなければ、海を渡り島にといつぐ本能的な趨向性を持ちえない。柳田の記述はそう暗示する。しかし、不可欠な必要性にとどまるなら、ふたたび大陸沿岸にもどって採取のためだけに南西の島々を訪れればよかったはずだ。島々を求め移動してゆくためには別の動機がなければならない。

 柳田は、そこで「占いや夢の告げ」、「鳥や獣の導き」は、「無意識の安住と安楽が横たわっていることを信じて、家族や器什をたずさえて」いった。そして、稲の人にとって、「稲は自己表出にほかならなかった」。そう考えた。

「宝貝」の採取も「稲」の耕作も、柳田のいう「日本人」にとっては他者の囲いのなかにある生産物だった。だがそれにもかかわらず(それとともに)ふたつとも魂の自己表現にあたっていた。このこそが〈稲の人〉たちをヤポネシア列島の南西の島々に定住させ、耕作地をもとめて島々を北東にむけて移住させはしたが、ふたたび家郷の華南沿海の地へ帰郷させなかった理由だった。

 まず、琉球弧の縄文相当期に島々を渡ってきた人々にとって、海を渡るのは「あの世」へ行くことと同じことを意味しただろう。あの世を発生させている段階であれば。南から渡ってきたとすれば、琉球弧のサンゴ礁を見た場合、それより北へ赴く理由は、さらに豊かな生命の源泉(地母神)を持つ地があるに違いないということではなかただろうか。

 ここで、「宝貝」と「稲籾」に切断を持ちこんでみる。ぼくたちが関心を惹かれている「ユナ」という言葉を持つ人々は縄文相当期の世界観を持っており、そうであれば「稲籾」の技術は持っていないことになる。

 そして「宝貝」も「貨幣」ではなくなる。それ以前の、貝が生命の源泉であり、地母神の位置にあり、トーテムだった。この生命の源泉を介して、琉球弧では、胞衣を「イヤ」と呼ぶ。それは、ユナがメタモルフォースされて生まれた言葉だった。

 ユナ(地母神)-イヤ(胞衣) 琉球弧

 この地母神としてのユナは、五母音化したヨナとして列島を東北まで北上する。この過程で、胞衣は、イヤよりもユナに近い、イナ、エナと発音されるようになる。

 ヨナ(地母神)-イナ(胞衣) 中部・関東・東北

 それ以前の過程も興味深い。九州では、琉球弧での呼称はそのまま引き継がれている。ところが、中四国・関西ではヨナ-イヤの関係が逆転する。

 ヨナ(地母神)-イヤ(胞衣) 九州
 イヤ(地母神)-ヨナ(胞衣) 中四国・関西

 中四国、関西での逆転の理由は分からないが、ヨナ-イヤの転訛のしやすさから考えれば不思議ではない。

 こうして、地名であり地母神の名でるヨナは、列島を東北まで北上することになった。

 ここに稲の技術が列島を北上し多いかぶさる。そこで、ヨナの意味は地母神から稲へと更新される。それは、稲籾自体が胞衣とみなされ、稲がその子とする視線に依っている。しかし、地母神の意味は背後に隠されて見えにくくなってしまう。自然からの恵みは、自然それ自身がもたらすものではなく、人間が作ることによって得られるという意味になるからだ。

 あるいは、現在残るヨナ・ヨネ地名は、稲作以降の呼称を含むかもしれない。しかし、地名の古さを考えれば、現在のヨナ地名を母集団に考えてよいはずだ。


『柳田国男論・丸山真男論』

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2017/07/25

生命の源泉としての地名

 吉本隆明は、地名を介して神話を段階化している。

 1.地名=地勢名
 2.地勢名=地名=人名
 3.地名と人名の二重化
 4.地名の物語化

 ぼくたちがここに立ち止まるのは、地名としてのユナ(砂洲)が「胞衣」を意味していると考えているからだ。

 ユナは、人間が生命の源泉に意識を向けた段階で、「砂洲」というだけではなく、「生命の源泉」としての意味を帯びるようになった。これは1と2のあいだに入ることになる。

 その場合、2にくる「人名」の「人」に当たるのが、トーテムや地母神の名だということになる。

 

『琉球弧の喚起力と南島論』

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2017/07/24

イヤ地名

 土井卓治が『葬送と墓の民俗』で挙げているイヤ地名を列記してみる。

 まず、八束郡揖屋街(これは現在の島根県松江市東出雲町揖屋)。土地の人は、イヤ谷、イヤン谷、ヤダン等と呼ぶ。

 兵庫県美嚢郡吉川村の伊屋ノ谷。現在は三木市(伊屋ノ谷の正確な場所は分からなかった)。

 「讃岐の仲多度郡と三豊郡の堺にある弥谷山」。

この付近には死後間もないうちに、イヤダニ参りをする風があり、弥谷山は死者の霊魂が訪れる山があるとされている。ここにはお墓谷といって、多数の卒塔婆がたち、岩石の間から清水が湧出しているところがあり、サイの河原もある。

 徳島県剣山の麓の「祖谷」。徳島県桑野町大地にはイヤダニという埋葬地があった。

 岡山県秘坂鐘乳穴(ひめさかかなちあな)神社の西にある弥谷(いやだに)。その東、諏訪神社近くの「井弥の穴」。

 もう少し調べてみなければならないが、「イヤという地名を全国的に調べてゆくと、先祖の霊のある所をイヤ山イヤ谷と呼ぶ事例が多い」(「麦つき唄から」『故郷七十年』)という柳田國男の指摘は少し確かめられた形だ。これまで調べたものと合わせてプロットしておく。

 

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2017/07/23

産山柄杓田の縁起譚

 谷川健一は、阿蘇の産山(うぶやま)村にある柄杓田(ひしゃくだ)の縁起譚を紹介している。

 柄杓田には、柄杓田大明神が祀られている。『肥後国誌』補遺にはこうある。

 昔、阿蘇大神が羽衣をなくした天女と一緒に生活したが、天女は夕顔の種を植え、それが大きくなると、夕顔の蔓をよじのぼって天上に帰っていった。そこで阿蘇大神は天女を偲ぶ神社をたてた。それが今の柄杓田大明神である。柄杓田ではいまもひさごをつくらないのはそのためである。

 この縁起譚は、異類婚姻譚を彷彿とさせる。この祖形にはそれがあるのだろう。

 天女の祖型は地母神であり、その成れの果ての変形がひさごである。プロトひさごは、「産山」の地名を支える地母神の存在だった。それが、トーテム信仰の終焉とともに、あるいは異類婚姻の破綻とともに、産山に帰る。このとき、神化したことも考えられる。

 阿蘇大神の祖形は、異類婚姻譚のさい、去られたほうの男ではないだろうか。彼はその後、神化した地母神に代わって、土地を鎮める神となった。そういうことではないだろうか。

 
谷川健一著作集 9 民俗学篇 5 地名と風土

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2017/07/22

イナとしての胞衣

 にわか調べだが、胞衣を「イナ」と呼ぶのは、関東から東北に広がっている。南からいけば、イヤ、ヨナ、イナという分布になる。そして、イナの場合、エナとの通音は容易になるだろう。

 「ヨナとイヤの身体・地名分布」の続きでいえば、「地名ヨナのところでは、ヨナを地母神的に捉えたところでは、身体をイヤと呼び、米として捉えたところでは身体をエナあるいはイナと呼んだ」ということになるのかもしれない。


 神奈川県(「神奈川県史第5巻」)

 山梨県(上暮地「富士吉田市史 民俗編 第1巻」)

 群馬県(新田郡薮塚本町)(「医療人類学の研究(Ⅳ)」

 茨城県(「茨城県久慈郡里美村大字小菅民俗調查報告書」)

 山形県(「真室川の昔話」)

 秋田県(由利郡東由利村「橿原考古学研究所論集 第14巻」)

 青森県(「青森県五戶方言集」)

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2017/07/21

ヨナとイヤの身体・地名分布

 胞衣は、エナの他、ヨナ、イヤと呼ばれている。しかし、それらは地名としての胞衣でもある。この分布の仕方には意味があるのかもしれない。

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・身体ヨナ 福井県、愛知県、三重県、島根県、山口県
・地名ヨナ 熊本県、福岡県、山口県、広島県、島根県、兵庫県、愛知県、岐阜県、山梨県、千葉県、石川県、長野県、新潟県、茨城県、福島県、山形県、岩手県、秋田県、青森県

 これは手元にある資料からの抽出なので、厳密性はないが、ここから仮説を立ててみる。ぼんやり眺めて思うのは、「地名ヨナ、身体イヤ」という琉球弧型は九州でも弱くその傾向が続いている。対照的なのは、中四国や関西でみられる地名イヤのところでは、身体はヨナとなっているらしい。これを「地名イヤ、身体ヨナ」としてみる。

 これにかぶさるように、北九州から本州にかけて多いのは地名ヨナだ。ただ、この場合、身体はイヤではなく、エナになっていると考えられる。考えやすいのは、地名ヨナはすでに「米」の意味に転化しているところだ。

 「地名ヨナ、身体イヤ」と「地名イヤ、身体ヨナ」は反転形だから、考えやすい。

 これらを統合的に把握しようとすれば、どういえばいいだろうか。

 地名ヨナのところでは、ヨナを地母神的に捉えたところでは、身体をイヤと呼び、米として捉えたところでは身体をエナと呼んだ。もちろん、地母神が古層になる。これとは別に地名イヤ、身体ヨナと反転させて捉えたところもある。この場合の地名イヤは地母神的だ。

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2017/07/20

ふたつの産島(『不知火海と琉球弧』)

 天草の産島は、「海岸近くに産島八幡宮が鎮座し、天草の近郷の女性たちから安産の神様として今も尊崇を受けている」。

 その八幡宮の由来譚には、神功皇后が半島に出兵した際、産気づきここで出産したことにちなむとされている。

 ぼくたちはこれをもともとの島人の信仰に戻さななければならない。それをほぐすのは、産島八幡宮の祭礼だ。

 いま、海を渡る祭礼として知られる青島と比較してみる。

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 青島の場合、青島神社から神は神輿に乗り、対岸で巡幸し、ふたたび青島神社に戻る。単純化していえば、行路はそうなる。この祭礼の特徴は若者によって行われることだ。これはかつて、男子結社による青島というあの世を介した成人儀礼だったと考えられる。

 産島の海をわたる祭礼は、複雑になる。

 まず、人が産島へ向かい神を迎える(御下り)。そして神を担ぎ、対岸へで過ごし、御上りを行なうが、これは神のみの行為になる。しかしにもかかわらず、人は神を担ぎ、産島へ神を送る。

 産島の場合、神の迎えと送る行為を人が担うのだ。これは、縄文期のあの世の段階での生者と死者の交流の記憶を留めたものだと考えられる。そう見なすのがよいのではないだろうか。

 不知火海には、もうひとつの産島がある。八代の産島だ。江口司は書いている。

 そこは『肥後国誌』に記される「亀島、産島とも云う・八代より二里余・周廻一里余り」とはとても思えない光景を呈している。

 江口が「とても思えない」としているのは、いまはこんもり茂った樹木しか見えないので、「周廻一里余り」とは思えないことを指しているのだろう。ここはウガヤフキアエズノミコト誕生の伝承が残されている。

 江口はこう書いている。

あえて乱暴な私の考えを言えば、その海亀の子孫が不知火人であり、海亀をトーテムとして『肥後国誌』の云う「亀島・産島」と呼び、語り継いできたとも思えるのである。

 この推理は当たっていると思える。もうひとつ加えれば、ここはあの世の島でもあったのだ。
 


『不知火海と琉球弧』

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2017/07/19

『南島文学発生論』序

 谷川健一は書いている。

 日本から南下し沖縄島に渡来したアマミキヨと呼ばれる人びとも「古渡り」と「今来」の二種類があった。古渡りのアマミキヨは古代の海人文化をもたらした人びとであったが、今来のアマミキヨは鉄器をたずさえ、城郭の築造を指導し、鍛冶の技法を沖縄の島々にひとめた人たちであった。

 いまも分からないのは、この二分だ。アマミキヨの名称にこだわるなら、後者に収斂してしまうように思える。「古渡り」の渡来者もあったろうが、その段階では、まだアマミキヨの呼称は獲得していないはずだ。

 鉄器、文字歴、仏教などによって、社会を均質化し、自然力を克服した本土とちがい、

南島ではいつまでも圧倒的な強さで自然力が人間のまえに立ちふさがり、それに拮抗できるのは古来伝えられてきた言葉の呪力だけであった。

 これも、「拮抗」というよりは、それが自然と関係する入り方だったということだ。

 谷川は、「南島の呪謡を介して日本古代文学の黎明を類推する」というモチーフを持っている。これにぼくたちのモチーフを対応させれば、日本古代文学を参照しながら、南島の呪謡がその後、どこまで到達しているかを探る、ということになるだろう。

王府の任命による巫女組織が村々まで及んだ結果、ノロとユタの役割が分離したのである。

 分離の発生はもっと遡らなくてはならない。いつ、とは言えないが、それは根人と根神の発生時、つまり集団が一対の兄弟姉妹を象徴として立てざるを得なくなった段階であるはずだ。それは共同体の発生と言い換えてもいいかもしれない。

 

『谷川健一全集〈第5巻〉沖縄1―南島文学発生論』

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2017/07/18

「自己拡張動機と他者を自己に内包すること」

 翻訳が読みにくいのだが、ようやく「自己拡張理論」の提唱者の論考を読むことができた。

 自己拡張モデルが提案しているのは、「人間の中心的な動機づけは自己拡張であり、おのおのがパートナーを自己に内包している親密な関係を通して自己拡張は求められる」ということ。

 自己の重なりあい。内包した後に、「広がった自己は親密な関係の非常に利他的な特質を作り出している」。

 自己拡張のメタファーは、「他人を犠牲にして不足している資源を得ることを意味する」ようにも見える。他方、「自己拡張は広がったアイデンティティや意識を意味するので、拡張は実質的に無制限であるといえ、ふつう、より強い利他主義へと導く」。提唱者のふたりのアロンは、後者のメタファーが広がることを望んている。

 自己拡張は、個人のアイデンティティの喪失ではなく、むしろ豊富化。初期のカップルは、激しいやりとりのなかで急激に自己を拡張する。

一緒に自己拡張的な活動を行なうことに時間が費やされているならば、一緒に過ごす時間が増えたことは満足感を増やすことになるだろう。

 自己拡張的活動にあるのは、「新奇さと覚醒」。

 メルロ・ポンティは、「親密な関係を"二重存在(double being)"」と表現。

 ふたりは、「関係を発展させることは、他者を自己に内包することによって自己を拡張するということである」と書いている。

 図解も載っているので、挙げておく。

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 このモデルを提案しているアーサー・アロンとエレイナ・アロンもクリエイティブ・ペアのようだ。

 "Creating love in the lab: The 36 questions that spark intimacy"


『パーソナルな関係の社会心理学』

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2017/07/17

「境界紀行(四)宮古島・前編 たましいの行方をさがして」(谷川ゆに)

 御嶽はプロト神社とも言うべき場であり、聖域や禁忌といったイメージがつきまとう。とくに、御嶽(ウガン)が神社に合祀されて、知る人ぞ知るという場に過ぎなくなった与論生まれのぼくには、そうなってしまう。けれど、今回谷川ゆにが訪れた宮古島川満の御嶽はそういうイメージからはちょっと離れている。たとえば、祭りの日、神役の女性たちは、御嶽で料理を供えて神と共食する。

 小屋の隅には、直径が六十センチくらいある大きなクワズイモの葉の上に、やはりお供えの米、塩、煮干し、饅頭などが、一握りずつ、可愛らしく並べてあった。おそらく葉っぱは神さまのお皿なのであろう。お供えの台の下にも大きなのが数枚、何も乗せずにしかれている。その横に座り込んでテンプラを頬張る私たちは、まったく、精霊や神々と一緒におままごとかピクニックをしている幼児のようである。

 これは来訪神と対極的な高神の鎮座する御嶽とは位相を違えている。ここでの神は祖霊に近いと言ったほうがいい。あるいは、神事によって御嶽が位相を変化させている。その違いを、谷川は「特に今回のミイマ御嶽での祭りは、やはり産土神か氏神のような身近な神さまをもてなし感謝することで、この小さな集落を守護してもらうという意味合いが強いようであった」と書いている。

 原理的には、死者の場である「あの世」を放逐することで成立する御嶽が、むしろ祖霊との交流を感じさせるとしたら、それはプレ御嶽の感覚を失っていないことを意味するだろう。それは、「この世」と「あの世」の境界、である。

 谷川は、そこに老人と幼児が似た存在にみえる「現世から抜け落ちたようなイノセントな雰囲気」を見出している。

 つまり、時間を遡って子供に還る、ということは、古代的な感性からいえば、死者や神々のいる世界の側に限りなく近づいていることに他らなない。

 境界というのが、どういう場なのか。ここにひとつの回答があり、ぼくは、ふだん何気なくいう、子供に還るという言葉の奥行きを教えられるようだった。

 ところで谷川は、この項を、佐藤さとるの作品に出てくる「自分だけの秘密の遊び場所」の引用から書き起こしているが、それは子供にとっての「秘密基地」を思い出させる。秘密基地は秘密でなければ意味がない、安心と冒険心とが入り混じった何ともいえない魅力的な場所だ。子供はそこでは精霊的な存在になり、自分の固有の心を養いながら、「この世」へ出立することを繰り返す。「秘密基地」はたましいの養成所のような場なのだ。

 祖霊と交流し、集う人々が子供に還ってしまう宮古島の御嶽は、秘密基地のような胞衣的な雰囲気を失っていない場として、ぼくたちの前に現れる。


 「波 2017年7月号」

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2017/07/16

「ウクムーニーについて」(『やんばる学入門』)

 コラムで短く与論のことが出ているので、書いておく。

ウクムーニーは国頭の奥の言葉。

周辺の、宜名真・辺戸・楚州などと通じない部分があるが、その一方で、沖縄島の北方に浮かぶ与論島のことばとは共通する所が多くみられる。

 と奥の方からも近しさが確認された嬉しい報告だ。

 実は奥にはユンヌヤマという名の山がある。奥の地名を調べていくうちに、ユンヌヤマは楚州領域にあるものの、奥の人達が林産物を切り出していたこと、また与論町史に六〇〇年ほど前の伝説として、「ユンヌヤマ」の名の由来のことが紹介されていることも分かった。

 与論側からいえば、ユンヌヤマは大道那太(ウフドウナタ)が買ったとされている。伝説の真偽はともかく、与論は奥に木材を頼ったということだ。

 与論からは家畜、砂糖が持ちこまれる。「ニンブーと呼ばれるワラで作られたむしろ」、リュウキュウチクを使った「奥のアンヌミ(竹で編んだ網。猪垣や壁などに使用した)」が、与論から持ちこまれたものだという。

 これはとても意外だ。

 書き手は、宮城邦昌。感謝。
 

『やんばる学入門―沖縄島・森の生き物と人々の暮らし』

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2017/07/15

地名としての大神島

 「琉球國三十六島図」に、大神島は、「烏噶彌」となり、「宇加味」と添えられている。

 これで云えば、大神島の意味は、「拝み島」ということになる。あの世の島として拝むという意味に通じる。

 大神島は、地名として新しいと思わせるが、遡って「拝み島」まで辿っても、地勢や地形を示す本体へは至らない。

 結局これは、オーの島の系列と見なせるのではないだろうか。

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2017/07/14

ヨナとイヤの分布

 熊本県の美里町には、「いや川水源」がある。「いや」は胞衣のことだ(「いや川水源と御手洗水源」)。

いや川水源は、鳳林山の麓に湧出している。水温は年間を通して15℃ほどで一定している。干ばつのときも枯れたことはないそうだ。川底には カワベニマダラという紅苔が自生していることで知られる。最近はその数が減っているそうだが、昔は川底の石全体が紅く染まるほどたくさん自生していたという。
 いや川の名は、お産のときの「いや(胞衣)」を、この水源で洗い清めたことに由来するという。その血が石に付着して赤くなったという言い伝えがある。(「いや川水源(いやがわすいげん」)

 「400~500年前からあると推測されている水源」と言われているらしいが、もっと古いのではないだろうか。

 胞衣の呼び方を「ヨナ」「イヤ」で辿ってみる。

 ヨナ 福井県、愛知県、三重県、島根県、山口県
 イヤ 長崎県、熊本県、大分県、宮崎県、鹿児島県、沖縄県(『日本産育習俗資料集成』より)

 こうしてみると、「ヨナ」の方が北へ延びている。
 

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2017/07/13

トーテムの系譜と島人の思考 9

 トーテムになった動植物に違いはなく、サンゴ礁が形成された時期も同じころであるなら、北琉球弧と南琉球弧のちがいは、「霊魂の発生」の段階の違いでつかむのが最も本質的だということになる。


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 それはつまり、「蝶」と「苧麻」を介して行われた。北では「蝶」に死者精霊を見るだけではなく、「霊魂」を見た。南では、「苧麻」を通じて植物身体を見るだけではなく、そこに「霊魂」を見た。

 北は、南に先行して「霊魂」を発生させたというだけではなく、飛翔するものに「霊魂」を見たというところに霊魂思考の進展を想定することができる。南は霊魂とはいえ、遠くへゆかない。かつ、死以外では抜け切ることはないと考えられていたのではないだろうか。

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2017/07/12

「自己拡張理論」メモ

 『POWERS OF TWO 二人で一人の天才』(ジョシュア・ウルフ・シェンク)で、「自己拡張理論」を知って、吉本隆明の「対幻想」を思い出させる。というより、吉本の対幻想の議論は、アメリカでは90年代に出現したということだ。

 この「自己拡張理論」が面白いのは、ふたりの融合が高まるにつれ重なりも増えるが、同時に自己自体も拡大していることだ。重なりによって拡張するだけではなく、自己自体も拡張しているということ。

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 起点の円と終点の円の大きさを比べてみれば一目瞭然だ。

 これはこう解説されている。

個人がパートナーとの関係を説明する際に 1 人称複数形の“we”“us”を使用する頻度と、IOS 得点との間に正の相関が見られることが報告されている。これらの知見から、親密な関係では、親密さが増すほどに他者の資源を自己の資源として捉える自己拡張が生じ、同時に自己と他者をひとつの存在と見なすようになると考えられる。(中村祥子「対人関係におけるコミットメントに影響を及ぼす要因:研究ノート」)

 ぼくたちの視点からは、自己の「拡張」だけではなく、「変成」「変容」、つまりメタモルフォースという性格も入れたいところだ。

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2017/07/11

宮古島の霊魂観 4

 岡本恵昭(「神がかりの諸形態」『平良市史第7巻』)の記述をもう少ししつこく追ってみる。

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 こう整理してみると、「マウ(神)」と呼ばれるものが、フー(運気)と強いつながりを持つ、土地につながる「霊力」を根拠にしていることがよく分かる。個人の死により、マウ神も終わるのも、霊力の原型の意味を失っていない。

 この考え方に従うと、「マウ神」は「込める」ものではなく、「つける」ものだということになる。

 ぼくは、ブー(苧麻)を根拠に、タマス(霊魂)は思考されたと考えている。それは、宮古島の霊魂込めである「タマスウカビ」で植物片(カヤ)を使うのに矛盾していない。

 


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2017/07/10

宮古島の霊魂観 3

 宮古島のマウは、マブイ由来なのか、フー(運気、呼気)由来なのか。

 少なくとも、音韻の変化からはどちらとも決定できない(mabui>mauui>mau、huu>muu>mau)。

 しかし、ぼくたちはすでにマブイが、ハビラ(蝶)由来であるという仮説を立てている。宮古では、霊魂は「蝶」に由来していなから、この側面からいえば、マウ神の「マウ」は、「フー」由来だと見なせることになる。

 マウ神とタマスについて整理してみる。

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 この表だけみると、どちらも霊力的であり霊魂的でもあり、決定不能性に陥ってしまいそうだ。

 しかし、宮古島の霊魂は、もともと霊力的であり、ふたつ霊魂が、ともに霊力と霊魂の両方の要素を持つのは不思議ではない。

 何を根本的だと見なせばよいのか。

 ちがいとして明瞭なのは、マウ神が家族の系譜に連なるのに対して、タマスは共同体的であることだ。この意味では、マウ神はより霊力的であり、タマスは霊魂的である。マウ神が一代限りのものであることも霊力的だと言える。

 この場合、マウ神が「頭上に存在する」のが霊魂的のように見えるが、タマスがツヅから抜けることを思えば、振る舞いはタマスが霊魂的であると言える。

 こうしてみると、「宮古島の霊魂観 2」で見たように、マウ神が霊力的であり、タマスは霊魂的であると見なすのが妥当だと考えられる。両方ともアマルガムであることを前提にして。

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2017/07/09

『対人関係の心理学: 親密な関係の形成・発展・維持・崩壊』

 こんなことに頭を使うのもなんだかなだが、へーと思ったことがあった。

 友人関係や恋愛関係のケミストリーでは、「態度の類似性」が魅力を生み出す。態度が類似していると、「合意による妥当性確認」が得られ、「自分が大丈夫と安心したい欲求が満たされる」。

 ちょっと驚いたのはこれではなく、「自分の持っていない性質を持つ相手に魅力を感じる」という相補性仮説は恋愛関係では否定されていることだ。研究のうえでは、ということだが。

 ただし、

双方が関係の質の高さを同様に認知しているカップルに限り、一方が支配的でもう一方が従属的という、パーソナリティがもたらすカップルの役割分担が互いの魅力に影響を与えるというものである。

 つまり、クリエイティブ・ペアの場合がこの例ということになる(参照:『POWERS OF TWO 二人で一人の天才』(ジョシュア・ウルフ・シェンク))。

 この解説も説得力がある。

相補性仮説と類似性
相補性仮説というのは、お互いに共有した価値観と満足度をベースにして初めて有効なものであるから、相補的な役割分担を重視する共通の価値観という類似性があってこそのものと考えておいた方がよいだろう。

 「愛の四天王」というのもある。それは、「熱愛」、「愛着の愛」、「慈愛」、「友愛」で、四者の関係は、(熱愛)⊃(愛着の愛)、(友愛)⊃(慈愛)。「慈愛」はここでは、「自分のパートナーを助けたい」という気持ちのこと。

 

『対人関係の心理学: 親密な関係の形成・発展・維持・崩壊』

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2017/07/08

「麦つき唄から」(柳田國男『故郷七十年』)

 柳田国男はオヤについて、書いている。

最初オヤとは、生みのオヤという今日の「親」ではなく、一つの集団、例えば職人らのいうオヤ方とか、博徒らの使うオヤ分のように、古くからあった親族・一門のカシラという広義のものではなかったかと思うのである。生みの親などという肉親の関係は、それより後になって使用されはじめたのではあるまいか。(「麦つき唄から」)

 これを入口に、柳田はオヤの分布を書く。

 ・紀州の一部では、オヤは山林の管理人や巡査、一種の権力をもつ人々のことを意味する。
 ・九州豊後では、尊敬すべき年長者のことをイヤさんと呼ぶ。
 ・古語では礼はイヤと呼ぶ。ヤアといえば今日では軽々しい応答語になっているが、じつは礼を尽くすべき長上に対する恭々しいのウヤなどと同じく、こうしたところに源を発している。
 ・イヤもオヤと同じ系列の言葉ではあるまいか。

 この、イヤというところにぼくたちは接点を見いだす。これが、琉球弧や九州などで胞衣を表わす言葉だからだ。胞衣を持ちだすのには根拠もある。

 なぜこうした問題を語り始めたかといえば、じつはこのオヤとかイヤという問題が、日本人の民間信仰、ひいては民族の起源にまで遡る重要なことなのである。つまりイヤという地名を全国的に調べてゆくと、先祖の霊のある所をイヤ山イヤ谷と呼ぶ事例が多いのであって、亡霊を山に埋葬した風習、そして後には霊を祭る場所は別に人家の近くに置くという両墓精度の習慣にもかかわって来るのである。古くは先祖の霊は山へゆくという信仰があったらしいのである。米作民族の日本人が米を携えて南から北へ移って来たとすれば、一時あるいは珊瑚礁のような、ある時は宮古島のような平地の場所にも住んだとも考えられ、さすれば山のないことが些かこの仮説の障害にはなる。

 ここでぼくたちは、宮古島のような珊瑚礁の島はこの仮説の障害にはならなと言うことができる。

 ユナ(砂―珊瑚礁に関わりが深い、胞衣の意味も持つ)―イヤ(胞衣)―イヤ(霊のゆくところ)―オヤ(カシラ)

 こういう流れ、意味の転化を想定することができる。

 「米作民族の日本人が米を携えて南から北へ移って来たとすれば」というところは、疑問符を置いてきた。しかし、仮にそう想定すれば、ヨナ(ヨネ)が本土で、米殻の意味に転化することも理解しやすくなる。これは保留としておこう。

 

『故郷七十年』


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2017/07/07

「歌の発生」(吉本隆明) 4

 吉本隆明は、記紀の地文での、「韻律化された成語・成句・成文・律文・韻文」の例を、見る限り丹念に取り上げている。律文と韻文のちがいを身体が覚えるように、ひとつずつ挙げてみる。

 律文

 朝日の直刺す國
 夕日の日照る國なり

 韻文

 是の夕べに觀覧(はるかにみはるか)せば、鉅野墳腴(おほのうぐもちこ)え
 平原瀰(ながきはらひも)く迤(の)び、人の跡罕(まれ)に見え
 犬の聲聞ゆること蔑(な)し


 律文では調子が出てきているが、韻文ではそれがはっきり整えられている。しかし、和語と漢語の融合への四苦八苦がこれだけでも分かる。そこには、「「この夕べに遥かにみはるかせば」のような文脈は、もはや和語の基層構造からは遥かにへだたっていた」という飛躍、断絶も含まれていた。

編者たちは、この眼もくらむような概念の落差と異質さにぶつかったとき、言葉が無理にでも現実の在り所から離脱させられるときの軋みを体験した。これは、歌の発生をかんがえるばあい、言葉の律化、韻化の原因としてもうひとつかんがえられることであった。

 吉本は、折口信夫に依りながら、歌を促したものにたどり着こうとしている。まず、問答歌が歌の初形。次に、歌と諺の分離前の姿として「稱へ言」にいたる。「稱へ言」から派生する律文化、韻文化。

言葉は、律文化、韻文化の作用を受けるが、その核心にあるものは、諺的な中心に集中される〈語〉の〈畳み重ね〉にあるとみることができる。

 これは「帰化到来系の〈対称対句法〉ともいうべき展開の仕方とちがっている」。

 この語の〈畳み重ね〉は、「それに近傍(あるいは同一対象についての異った言葉)の概念を重ねて、わりに自在で、ひろい対象の〈空間〉を指す語をつくりうる言葉であった。」

 琉球弧のニライ・カナイを思い出させる。この意味では、琉球語は和語の基層を露出させている。

 
『初期歌謡論』

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2017/07/06

「歌の発生」(吉本隆明) 3

 吉本は、「語り文がいかにして律文化韻文化をうけるか」ということについて、二つの初原を挙げている。

 「口大(くちふと)の尾翼鱸」。尾翼鱸は、尾びれの立派なスズキという意味だと思う。

 吉本は言う。「口大の」は口の大きいという形容語のように見えるが、このいいまわしができた次元で考えれば、「口の大きな(図体の大きな)魚」という慣用語で、「尾翼鱸」と同じ対象を「ちがった(このばあい大ざっぱな)語で云い重ねているとみなされる」。

〈口大の魚〉と〈尾翼鱸〉という語とを〈重ね〉たものが「口大の尾翼鱸」という慣用語の意味であるとうけとれるものであり、そう受けとったとき「口大の」は〈枕詞的なもの〉の初原の形とみなすことができる。

 これは受け取りやすい。そして、「尾翼鱸」よりも「口大」が、もともとの名であったろうことも推察できる。

 もうひとつ吉本が挙げているのは、「塩こおろこおろにかきなして」の、「こおろこおろ」だ。

 この「畳み重ね」は現在の語感では、「声調の韻律化と意味の強調」に見られるが、「この〈畳み重ね〉は、もっと和語の本質に根ざした普遍的な意義をもっていたと推定される」。そして〈枕詞的なもの〉の初原でもあった」。

 この普遍性によれば、「具体的な〈物〉を離れてあまり抽象的な概念をあらわすことができなかった」代わりに、

語の〈畳み重ね〉によって、それに近傍(あるは同一対象についての異った言葉)の概念を〈重ね〉て、わりと自在で、ひろい対象の〈空間〉を指す語をつくりうる言葉であった。

 この、ひとつの対象を指す語を、別の視角から指すという屈折と反復の仕方について、吉本は「律化の最初の契機をみてもよかった」としている。

 この語法は、村瀬学のいう「双葉ことば」に当たっているようにみえる。(参照:「『初期心的現象の世界』(村瀬学) 双葉ことば」


『初期歌謡論』

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2017/07/05

「歌の発生」(吉本隆明) 2

 吉本は和語の本性に近づくために、として「和語のいいまわしを純粋に保存しているわが南島の歌謡」を参照している。

 南七ヌ島カラ  パイナーラの島から
 水本ヌ島カラ  水本の島から
 石雨戸ユ  石の戸を
 ハネアケ  はね開け
 金雨戸ユ  鉄の戸を
 キリアケ  切りあけ
 黒ミヤガリ  黒き雲
 給ボウラレ  給われ
 白ミヤガリ  白き雲
 給ボウラレ  給われ
 海ナラシ  海鳴らし
 給ボウラレ  給われ
 山ナラシ  山鳴らし
 給ボウラレ  給われ
 バガ島ヌ  和が島の
 上ナカ  すべて
 親島ヌ  親島の
 チイジガナカ  頭のうえ
 (『八重山古謡』)

 そして、書いている。

ここでの助詞のつかい方、切りつめ方は詩的な省略の限度をこえている。これは構文の本性に根ざしているように推定される。たぶん和語は基層のところでは、名詞と名詞の重ねとおなじように主語と述意の言葉があれば、助詞が存在しなくても文脈にのっとって適切な意味をたどれるものであった。そのためには主語の接尾形にある異いがあった。そういう時間を想像することができるかもしれない。

 助詞がなくても、というところは琉球語の語感からしてもそう言いうる気がする。ただ、違いと言っている「主語の接尾形」については分からない。

 ただ、神話的な読み解きでは言えることがある。

灌漑水は、東南アジアから南中国のどこかにある想像上のパイナーラの島に水元があり、天にかかった石の戸をあけ鉄の戸をあけると雨が天から降ってくると、八重山の村落人たちは信仰していた。

 パイナーラは遠隔化された他界を示してゐる。パイナーラは「南のナーラ」だが、このナーラはニーラスク・カネーラスクのニーラスクと同じだ。つまり、「南」は方角を示すとしても、ナーラは他界を表している。

 そこでこの歌謡に見られる思考を巻き戻せば、ナーラはサンゴ礁の向こうのことであり、「石の戸、鉄の戸」は貝としてのサンゴ礁を指している。そこに、「水の元」、言い換えれば、シジの元、霊力の元があった。そういう意味になる。
 


『初期歌謡論』

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2017/07/04

「神に守られた島(新連載)」(中脇初枝)

 沖縄戦の始まったころの沖永良部島という舞台設定が面白いのだが、まず登場人物がすべてエラブの童名なのに目が行く。

 トラ、マチジョー、カミ、ハナ、ヤンバル、ユニ、マチ、ナーク、ナビ。

 カミには「瓶」の字が当ててあり、ユニは男性だ。ユニという童名は沖永良部島にもあったわけだ。ヤンバルが童名になっているのも興味深い。

 「こんなになっても、痛くないんだな」。標準語であっても言い回しは島のそれを再現しているので、知らず知らずのうち、島風アクセントで読み進めることができた。中身より先に民俗的事象に関心が行ってしまったが今後の物語展開が楽しみ。


「小説現代 2017年 07 月号」

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2017/07/03

「歌の発生」(吉本隆明) 1

 吉本隆明の「歌の発生」の書き出しは唸らされてしまう。

 神話の物語や歌謡には、物語ること歌うことが、実際の行為と区別できなかった時代が埋もれている。

 もちろんぼくたちは、「物語ること歌うことが、実際の行為と区別できなかった時代」を、実際の行為と同じであった時代と言い換えることができる。

 吉本は記紀の他界についてこう書いている。

〈死〉を媒介にしてゆける〈地下〉の概念は、これに対して南方大陸系のものとみなされる。また、〈海の底〉と〈海の彼方〉という概念は、南島の神話のものとみなすことができよう。

 これを普遍性に引き寄せれば、どちらも南島系のものと見なすことができる。さらに普遍化すれば、地域発のものと見なす必要のないことだ。ただ、〈天〉は南島では内発的には発生しなかったと言える。

 記紀の「緊迫した律文」は、「自然を神とみた時代の人々の発語ではないのか」として、吉本は書いている。

そこでは歌謡と地の文とは地続きではなかったのか。もちろん、それよりももっと以前に、わたしたちが現在、推し測ることができない歌と散文の時代があったかもしれない。真の歌の生誕期は、そこにおくべきかもしれない。だが、少なくとも『記』、『紀』、『風土記』などの歌謡と地の文をもとにするかぎり、このふたつが地続きであった時期を、歌の発生の時とみなすほかない。

 『記』、『紀』、『風土記』を元にするわけにはいかない琉球弧ではどう言えるだろうか。言語自体がメタモルフォースする。それに従って名称もメタモルフォースをする。この言語思想そのものは、歌の発生とは言えないだろう。歌には、呼応する対象が必要であるとすれば、他界の発生の段階で歌も発生したと考えることはできる。この場合も、「真の歌の生誕期」かは分からないにしても。


『初期歌謡論』

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2017/07/02

刺青の「霊力内霊魂」と「独立霊魂」の位相

 奄美大島や徳之島の手首内側に描かれた「蝶」の刺青は、「霊魂」としては独立しておらず、「霊力内霊魂」だと見なされる。それは「蝶」を介して霊魂を思考したときに、発生の契機を持つ。

 一方、手首内側に描かれずに右手尺骨頭部のみに描かれた「蝶」は「独立霊魂」と見なせる。それは、ジュゴンの骨で作られた蝶形骨器の終焉とともに発生したと考えられる。母系社会の出現とともに、霊魂は独立したのだ。
 

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2017/07/01

ミタマとミカケ

 「和名類聚抄」の十巻本の巻一、「神靈類第十六」の「霊」の項を見ると、

 靈
 四聲字苑云、郎丁反。日本記云、(美太萬)。一云、(美加介)。又用魂魄二字。(「国立国会図書館デジタルコレクション - 和名類聚抄 20巻」

 とある。

 ここでいう「美太万(ミタマ)」はぼくたちの言葉でいえば、霊力。「美加介(ミカケ)」は「御影」のことだろう。霊魂のことだ。

 「魂魄」二字も用いられる。「魂魄」は、古代中国の霊魂・霊力のことだ。

 ここで確認しておきたいのは、本土日本でも平安時代に、あいまいな形ではあれ、霊力と霊魂の二重性は捉えられていたということだ。

 また、「人間のなかの人間」(フレイザー)としての霊魂は、「雛形霊」とも呼ばれているようだ(碓井益雄『霊魂の博物誌―原始生命観の体系』)。この雛形霊の表象は日本では希薄なのではないだろうか。

 


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