「歌の発生」(吉本隆明) 4
吉本隆明は、記紀の地文での、「韻律化された成語・成句・成文・律文・韻文」の例を、見る限り丹念に取り上げている。律文と韻文のちがいを身体が覚えるように、ひとつずつ挙げてみる。
律文
朝日の直刺す國
夕日の日照る國なり
韻文
是の夕べに觀覧(はるかにみはるか)せば、鉅野墳腴(おほのうぐもちこ)え
平原瀰(ながきはらひも)く迤(の)び、人の跡罕(まれ)に見え
犬の聲聞ゆること蔑(な)し
律文では調子が出てきているが、韻文ではそれがはっきり整えられている。しかし、和語と漢語の融合への四苦八苦がこれだけでも分かる。そこには、「「この夕べに遥かにみはるかせば」のような文脈は、もはや和語の基層構造からは遥かにへだたっていた」という飛躍、断絶も含まれていた。
編者たちは、この眼もくらむような概念の落差と異質さにぶつかったとき、言葉が無理にでも現実の在り所から離脱させられるときの軋みを体験した。これは、歌の発生をかんがえるばあい、言葉の律化、韻化の原因としてもうひとつかんがえられることであった。
吉本は、折口信夫に依りながら、歌を促したものにたどり着こうとしている。まず、問答歌が歌の初形。次に、歌と諺の分離前の姿として「稱へ言」にいたる。「稱へ言」から派生する律文化、韻文化。
言葉は、律文化、韻文化の作用を受けるが、その核心にあるものは、諺的な中心に集中される〈語〉の〈畳み重ね〉にあるとみることができる。
これは「帰化到来系の〈対称対句法〉ともいうべき展開の仕方とちがっている」。
この語の〈畳み重ね〉は、「それに近傍(あるいは同一対象についての異った言葉)の概念を重ねて、わりに自在で、ひろい対象の〈空間〉を指す語をつくりうる言葉であった。」
琉球弧のニライ・カナイを思い出させる。この意味では、琉球語は和語の基層を露出させている。
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