宮古島の霊魂観 3
宮古島のマウは、マブイ由来なのか、フー(運気、呼気)由来なのか。
少なくとも、音韻の変化からはどちらとも決定できない(mabui>mauui>mau、huu>muu>mau)。
しかし、ぼくたちはすでにマブイが、ハビラ(蝶)由来であるという仮説を立てている。宮古では、霊魂は「蝶」に由来していなから、この側面からいえば、マウ神の「マウ」は、「フー」由来だと見なせることになる。
マウ神とタマスについて整理してみる。
この表だけみると、どちらも霊力的であり霊魂的でもあり、決定不能性に陥ってしまいそうだ。
しかし、宮古島の霊魂は、もともと霊力的であり、ふたつ霊魂が、ともに霊力と霊魂の両方の要素を持つのは不思議ではない。
何を根本的だと見なせばよいのか。
ちがいとして明瞭なのは、マウ神が家族の系譜に連なるのに対して、タマスは共同体的であることだ。この意味では、マウ神はより霊力的であり、タマスは霊魂的である。マウ神が一代限りのものであることも霊力的だと言える。
この場合、マウ神が「頭上に存在する」のが霊魂的のように見えるが、タマスがツヅから抜けることを思えば、振る舞いはタマスが霊魂的であると言える。
こうしてみると、「宮古島の霊魂観 2」で見たように、マウ神が霊力的であり、タマスは霊魂的であると見なすのが妥当だと考えられる。両方ともアマルガムであることを前提にして。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント