「歌の発生」(吉本隆明) 3
吉本は、「語り文がいかにして律文化韻文化をうけるか」ということについて、二つの初原を挙げている。
「口大(くちふと)の尾翼鱸」。尾翼鱸は、尾びれの立派なスズキという意味だと思う。
吉本は言う。「口大の」は口の大きいという形容語のように見えるが、このいいまわしができた次元で考えれば、「口の大きな(図体の大きな)魚」という慣用語で、「尾翼鱸」と同じ対象を「ちがった(このばあい大ざっぱな)語で云い重ねているとみなされる」。
〈口大の魚〉と〈尾翼鱸〉という語とを〈重ね〉たものが「口大の尾翼鱸」という慣用語の意味であるとうけとれるものであり、そう受けとったとき「口大の」は〈枕詞的なもの〉の初原の形とみなすことができる。
これは受け取りやすい。そして、「尾翼鱸」よりも「口大」が、もともとの名であったろうことも推察できる。
もうひとつ吉本が挙げているのは、「塩こおろこおろにかきなして」の、「こおろこおろ」だ。
この「畳み重ね」は現在の語感では、「声調の韻律化と意味の強調」に見られるが、「この〈畳み重ね〉は、もっと和語の本質に根ざした普遍的な意義をもっていたと推定される」。そして〈枕詞的なもの〉の初原でもあった」。
この普遍性によれば、「具体的な〈物〉を離れてあまり抽象的な概念をあらわすことができなかった」代わりに、
語の〈畳み重ね〉によって、それに近傍(あるは同一対象についての異った言葉)の概念を〈重ね〉て、わりと自在で、ひろい対象の〈空間〉を指す語をつくりうる言葉であった。
この、ひとつの対象を指す語を、別の視角から指すという屈折と反復の仕方について、吉本は「律化の最初の契機をみてもよかった」としている。
この語法は、村瀬学のいう「双葉ことば」に当たっているようにみえる。(参照:「『初期心的現象の世界』(村瀬学) 双葉ことば」)
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