ヨナ・ヨネ地名 2
崎山理が挙げていたヨネ地名について、確認する機会がめぐってきた。(参照:「ヨナ・ヨネ地名」)
この地名を崎山は、『大日本地名辞書』と『古代地名語源辞典』から抽出している。
このヨネ・ヨナ(琉球地名でユニ、ユナ)の分布は、弥生時代初期に、すでに日本海側から東北地方にかけて達していた稲作文化の軌跡と符合している。このことは、イネの穀実が「砂」から意味変化したヨネという言葉とともに、伝搬していったことを意味する。(「日本語の系統とオーストロネシア語起源の地名」)
ぼくたちはここで別の仮説を立ててみる。稲作が浸透する以前に、ヨネ・ヨナ地名はあった。このとき、ヨネ・ヨナ地名は地母神・産土を意味する言葉としてあった。それが稲作の広がりとともに「稲」の意味に変容して漢字が当てられた。そして、ここで検証したいのは、崎山が言うようにもともと「稲」の意味としてつけられたヨネ・ヨナ地名があるか、ということだ。
傍証のひとつとして、ヨネ・ヨナ地名周辺の縄文遺跡の分布を調べてみる。縄文時代に人の行動圏内にあったとすれば、地母神・産土の意味を持った土地である可能性を高めるからである。
これをみると、場所が特定できなかったり、縄文遺跡が確かめられなかったりする場所はあるものの、積極的にもともと「稲」地名を確認できるところはない。逆に、美濃の米田のように、立地といい遺跡の分布といい、いかにも地母神・産土の意味を持っていそうな場所もある。
ただ、#4、5 の陸中、備後のヨナイは遺跡からみる確度は高いが、アイヌ地名である可能性も高いと思える。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント