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2017/06/07

埋めない葬法と思考

 久しぶりに葬法と思考を考える機会を得た。ここでは、埋めない葬法を取り上げる。

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 現象的に現われる葬る姿勢に対して、そこに宿る思考は多様になる。それは、思考の累積が心の地層として折り重ねられているからだ。

 これを踏み外さずに抽出するには、他界概念に対応させるのがいいと思える。葬法は他界に呼応するからだ。

 「野ざらし」というのは、そう見えるということに過ぎないが、他界を持たない段階では、野ざらしのまま、死体はそのままにしておかれたことは想定できる。外側からみれば、捨てたように見えるが、これは種族の脱皮行為として捉えることができる。

 この類型に樹上葬も対応させてみたが、樹上葬の段階ではすでに、死は発生している。そして再生も考えられている。なぜ、樹上なのか。あるいは、なぜ地面は忌避されるのか。それは地面が死に接しているからではなく、過程の段階をそれは象徴しているのではないだろうか。生者から死者への過程だ。そしてもうひとつ、死者は風になること、つまり蛇の精霊へと化すことが思考されているのではないだろうか。

 種族は定着すると、屋内へ死者を葬り、樹上葬は台上葬へと転換される。ここでは、死者は脱皮とあの世を介した再生とが二重に思考される。ここから顕著になる改葬あるいは洗骨は、骨による再生(脱皮)の儀礼だと考えられる。

 他界が発生すると、葬る場所は、他界に向き合う、その入り口へと転換される。そこでは、再生が思考されている。

 他界が遠隔化されるときには、再生というより、神化が思考されているはずだ。そこで洗骨の意味も、神への浄化の意味合いを強めていく。そして、ここでは死穢の観念も不思議ではなくなる。

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