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2017/06/14

「生命の自己表出史 多層自己論」(青木正次)

 人間と自然の関係は、「食う-食われる」から、たがいに共鳴して感知されるようになると、「養う-養われる」という性の水準に移行する。生命は「界」像をなす、と青木は書いている。

食う作動は共振する場「界」を吐いて、生命じたいを包むように感知される。我らの想像しやすいイメージでは、「母胎」という界像だろう。食う作動は声を吐いて、そこに界像を含むようになり、その共鳴する生命は「うた」声をなす。

 「この段階で、生命システムは「特定の空間内に実現していく」」。

 ここでは暗示を受け取りたいのだが、食って吐くは「声」を意識化させる。石垣島の創生神話で、ヤドカリと人間の兄妹が「カブリー」と言って出現するのはこの位相を指している。(参照:「アマム(ヤドカリ)の身をやつした姿」

 「「母胎」という界像」は、琉球弧からみれば、サンゴ礁という貝を意味している。そこで、「共鳴する生命は「うた」声をなす」。形成された界像は、「声」をこだまさせ、それが歌を形成する。

 神や神がかりに頼らない青木の議論は、思わぬ角度から視野を与えている。

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