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2017/06/05

「境界紀行(三)与論島 たましいの行方をさがして」(谷川ゆに)

 風葬という言葉が好きだ。風葬が好きだと言ってもいいかもしれない。それは死者を風に晒すという原義を持つだろうけど、死者が風になると受け止めることもできる。与論では、近代化の過程で風葬を禁じられ、土葬へ移行した経緯があった。しかし、それはスムーズに行われたのではなく、島人の気持ちは抗った。埋葬は「このうえもない不人情」だと感じたのだ。

 谷川ゆには、そこをこう掬い取っている。

 棺を密閉して土中に埋めては、死者はひどく息苦しいであろうし、なんといっても一人きりで闇の中にい続けるのは寂しいであろう。しかし、風葬ならば、そんなことはない。

 ここで谷川が見ているのは、「死者をどこか生者のように扱ってきた」ということ、もっと言えば、死者は生きているということだ。

死は生に緩やかに連続しており、そこに、現代人である私たちの考えるような、はっきりとした断絶はない。

 谷川の感じ方に触発されて、風葬とは死なない葬法なのだと位置づけてみると、見えてくることがある。オーストラリアでひろく観察された樹上葬も、やはり言ってみれば風に晒す。そして彼らの多くが再生信仰を持っていた。つまり、樹上に置かれて身体が朽ちていくのは、再生するまでの過程に過ぎないと見なされたのだ。

 ぼくの考えでは、樹上葬を行なってきた種族が、定着生活に入ると樹上葬は台上葬に転換される。琉球弧の風葬も台上葬のひとつだと見なされるものだ。そして、琉球弧でもかつて再生は信仰されていた。

 樹上葬と台上葬では、地上に置かないことがポイントになる。そしてそれは一見、地上に置いているようにみえる風葬でも同じなのだ。典型的には洞穴近くに置くには違いなくても、「四個の平たい石を置き、その上に死体の棺を載せ」(山田実『与論島の生活と伝承』)る。注意深くみれば、直に地面に触れることが避けられている。

 どうやら再生を信仰した人々にとって、地面とは死を意味していたようなのだ。樹上葬にしても台上葬にしても、大事にされていたのは、死なないことだった。死者は生きているのだから、ということだ。


 さて、与論人にはなじみ深いハミゴーにも、谷川は足を運んでいる。

 ハミゴーは「神壕」とされているけれど、インジャゴー、シゴー、ヤゴーが湧水地であることを考えれば、「神泉」なのではないだろうか。とはいえ、語感は神の泉ではなく、死者(カミ)を迎える泉とでも言えばいいだろうか。

 ここは島人の死生観をたどるうえでもとてもシンボリックな場だと思うのだが、「ハミゴー遊び」の勢いに押されて、もっぱら風俗として、あるいは歌垣の舞台のような紹介のされ方に留まってきたように思う。

 けれど、谷川はここでも浅く掬い取っていない。

 ここに眠る骨となった人たちも、生前はやはり三線にのせて恋の歌を掛け合い、二人きりの洞窟で甘い接吻を交わしたのであろう。そして、亡くなって骨となって納められた後も、歌や踊りに誘われて、生者とともに遊びに参加するのだ。

 生者に加わる死者たち。あるいは死者たちの輪に加わる生者。そうなのだと思う。そういう場がハミゴーだ。ハミゴーを象徴する西向棚(イームッケーダナ)は、琉球の船を迎えた場と言われている。しかし、もっと遡れば、ムッケーダナとは、カミ(死者)を迎える棚、なのではないだろうか。

 谷川は、印象的にこう続けている。

 人はひとりでは生きられない。しかし生きている者同士がつながるためには、死者が必要である。今亡き人のおもかげを抱くことで(あるいはそれに包まれることで)人はやっと個人の輪郭を放擲することができる。

 民族誌は、ふたたび生まれる再生信仰が断念されたところでは、死者は孫のなかに入って孫の成長を助けるとか、兄弟のなかに入るとか考えた種族の存在を教える。これを「記憶」として霊魂の根拠とみなす西洋の人類学者もいる。しかし、「記憶」というのはいかにも「個人」概念の所産だ。観察された種族は、「記憶」として祖父や兄弟を語ったのではなく、まさにいる者として、生者として語っているだろうから。

 記憶、ではなく、「今亡き人のおもかげを抱く」、「あるいはそれに包まれる」ということ。それは、「個人の輪郭を放擲する」回路であるとともに、個人の手前にとどまる回路なのだと思う。

 与論島も風葬もハミゴーも、こんな風に深く触れられたことはなかったように思う。感謝。


『波 2017年 06 月号』

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