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2017/05/13

蝶がジュゴンから飛び立つとき

 約4000年前、老女はジュゴンをはじめ鯨や亀の硬い骨でできた「蝶」を身に着けた。女神出現の瞬間だった。彼女が身に着けたのは「蝶」ばかりではない。「蛇」も「貝」も装着していたが、後頭部につけた「蝶」は常に意識にのぼっていた。老女の目に見えなくても骨の重みがたしかな実在を伝えるのだ。

 女神は単独で存在しているのではなかった。むしろ、女神本体を背に、その化身態として島人の前に姿を現すのである。女神本体とは他でもない、サンゴ礁のことである。女神は、その本体であるサンゴ礁を背に、その一部に包まれるように現れるのである。

 それから、約2400年ものあいだ、島人の技術者は硬い骨を穿って「蝶」を掘り続けた。一枚の骨から、あるいは二枚組にすることもあった。硬い骨にどうやって通したのだろう。「蝶」の上翅と下翅のあいだには孔を通した。そこにおそらくは麻の紐をとおして、女神が頭部に結わえることができるようにしたのだ。そればかりではない。横に通した孔の真ん中あたりから真下にも孔は穿たれた。女神の背中に長いながい垂れ飾りをつけるために。

 約1600年前、「蝶」は飛び立とうとするように、翅を大きく伸ばし、あるいは怪しく揺らめかせるまでに大型化していた。そしてその完成を見る前に、製作は中断されてしまう。1600年後、考古学者はその未完成の「蝶」を手に取ることになる。

 何があったのか。それはサンゴ礁の夢の時間のなかでの大変化だった。新しいトーテムが加わり、島人は浜辺へ住むようになる。それと歩調を合わせるように、女神の頭部からジュゴンが姿を消す。しかし、「蝶」は姿を消していない。それは現在の神女の後頭部にも別の形でしっかり存在感を発揮している。

 「蝶」はジュゴンから飛び立ったのだ。「あの世」と「この世」を行き来するという反復する時間から離脱し、ひとつの方向へと流れるように舞って行ったのだ。このとき、島人は、「貝」に続いて「蟹」をトーテムとする。「蟹」は「貝の子」。島人は、特に女性は、「私たちは貝」から、「私たちは貝の子」へと鏡像を更新した。これは同時に母系社会の出現を意味している。

 兄弟と姉妹の関係を軸に集団が組まれはじめた。それまで、兄弟姉妹は婚姻の関係を結ぶことができた。彼ら彼女らは、ジュゴンの別名である「胞衣」の分身として身体を合わせることができた。しかしタブーの扉は開かれ、身体が重なる象徴として胞衣を見ることができなくなった。胞衣とは、「もうひとりの自分」であるに過ぎなくなった。

 女神は、集団を象徴するためには「胞衣」を被ることができなくなる。その代り、女神の兄弟がもうひとつの象徴として登場してこなければならない。しかし、どの兄弟であったとしても集団を象徴することはできない。そこで島人たちは、象徴を始祖へと観念的に疎外したのである。

 蝶は、骨から浮き上がって、翅を全開しそして揺らめかせ、こんどこそはと南の空に飛び立った。あとには製作途上で放棄された「骨の蝶」が残された。「蝶」はジュゴンから飛び立つというのは、「霊力」の内部から「霊魂」の分離を意味している。そこで起きたのは兄弟姉妹婚のタブー化という大変化だった。

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