ジュゴンと蝶
蝶形骨器の出現の時期は、まだ厳密な意味で他界は発生していない。死者とは共存の段階で、この世とあの世は同致している。
このとき、島人は「蝶」に死者の化身を見ている。この契機になったのは、死体に群がる蝶だ。その蝶は、集落のそこかしこを舞う。死者の化身に見えるのはとても自然だと言える。
この段階で、島人はジュゴンともかかわりを持った。サンゴ礁の海でジュゴンに出会った島人は、人間の相似形を見出して、これも死者の化身と感じたのではないだろうか。
まさに、「この世における彼は、人間身を持つ我等であり、往いて他界にある自分の身はたとへば儒艮身であらうも知れぬ」(折口信夫「民族史觀における他界觀念」)というような。もっともこの世とあの世は分離していないから、サンゴ礁の海で出合い頭にそう感じたのだ。
蝶 脱皮をする。死者の化身という一方向の時間の契機を含む。
ジュゴン 人間の相似形。
「蝶」は死者にとって換喩的であり、ジュゴンは人間と隠喩的な関係にある。ジュゴンは、脱皮する生き物ではないから、トーテムとは見なしにくい。ただ、この段階では、円環する時間は旺盛だから、ジュゴンは人間との相互変換形の環のなかにいたのかもしれない。
死者との共存の段階でのトーテムは、蝶とジュゴンだった可能性があるということだ。そうだとしたら、このときの女性シャーマンは、蛇としての頭部の葛以外では、後頭部の蝶形骨器がひときわ重要な装身具であったことになる。
すると、奄美大島の手首内側の文様は、部分的に「亀」と呼ばれるのが気になってくる。蝶形骨器は、ジュゴンの他、亀の骨でも作られることがあった。つまり、蝶形骨器がジュゴン製の骨でできているなら、そのデザインを踏襲しているもの文様には、蝶にジュゴン(亀)が重ねられているということではないだろうか。
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