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2017/05/07

「手」の位相メモ(ヘーゲルと吉本隆明)

 ヘーゲルは「手」の持つ位相について、こう書いている。

 いうまでもなく、手は、運命にたいして外的なものというより、運命と内的にかかわるもののように見える。運命とは、特定の個人が当初の内面的性格として潜在的にもっていたものが、おもてにあらわれたものにすぎないのだから。そして、潜在するものを知るには、たとえば、全生涯をおわってみなければ知ることはできないと考えた古代ギリシャの賢人ソロンの言にしたがうよりも、手相術師や人相学者のもとにおもむくふが手っとり早い。ソロンが運命の転変を見わたそうとするのにたいして、手相術師や人相学者は潜在する元のすがたを見ようとする。そして、手が個人の運命の元のすがたを表現していることは、手が、ことばの器官たる口に続いて、人間の自己表現や自己実現の有力な手段であることからも、容易に推測される。手は幸運を作り出す魂のかよった名工というわけだ。手は人間の行為をあらわすものだといえるので、自己実現の実行器官たる手を見れば、そこに魂をもって生きる人間が宿り、もともとみずからの運命を切りひらいていく人間の、その元のすがたがそこに表現されているというわけである。(ヘーゲル)

 手は「ことばの器官たる口に続いて、人間の自己表現や自己実現の有力な手段である」。「手は幸運を作り出す魂のかよった名工というわけだ」。

 これを思い切り、琉球弧のサンゴ礁の思考に引き寄せれば、手は魂の表現そのものに他ならない。手には人間の魂が宿り、「その元のすがたがそこに表現されている」。

 ヘーゲルは論理を語っているわけだが、まるでサンゴ礁の思考を言い当てているようにすら見える。ここでぼくたちは、琉球文身のことを考えている。ヘーゲルが言うのは、手相のことについてだが、文身の刻まれた手の背は、魂を表現できる絶好の場だということになる。

 吉本隆明は、ヘーゲルの言を受けて書いている。

頭部、手、足は、表情として思いいれられた衣裳にほかならない。ただこの思いいれは、まぎれもなく頭部、手、足などのいまのすがたをあらわす、精神のあらわれとして、必然性をもっていて、この必然性が思いいれの本質になっている。(「ファッション論」『ハイ・イメージ論Ⅰ』)

 ここで注目しているのは手だが、そこはまさに霊力と霊魂を表現する場となった。
 

『精神現象学』(長谷川宏訳)

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