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2017/05/17

『装飾する魂―日本の文様芸術』(鶴岡真弓)

 鶴岡真弓は「蝶」について、書いている。

 ギリシアに限らず、幼虫の活動期から、静止した蛹に変態して仮死状態を過したのち、燃えるような翅を出現させて華麗な成虫になる蝶のメタモルフォーシスに、人間が生―死―再生の神秘を見たのは何処も同じであった。アーサー・エヴァンズ卿が「ネストルの環―ミュケナイの死後の世界」(一九五二年)で強調したとおり、墓に埋められていた円盤の蝶は、死者の再生を祈願するエンブレムであったと推測されている。

 これは種子島広田遺跡の貝符を思い出させる。(参照:「広田遺跡の貝符の位相」

 どうやら、島人にとっての「蝶」は、二段階を経ている。

 霊力内霊魂とも言うべきところから、霊魂が霊力から離脱したところへの二段階だ。琉球弧では、蝶形骨器のおかげでその時間を知ることができる。現在の考古学の知見から引けば、一段階目は、約4000年前から約2400年前まで、二段階目はそれ以降だ。一段階目は、1600年もの期間を持つ。

 この間、「蝶」はこの世とあの世を往来していた。ということは、鶴岡が「何処も同じ」と書く通りだとしたら、琉球弧でも、「蝶」はかつて再生の象徴だったのだ。それがジュゴン製の蝶形骨器の意味だということになる。しかし、霊魂の象徴である「蝶」は、そこにとどまっていられない。「蝶」はあの世とこの世との往来を軛とするかのように、その環を破って外へ飛び出してしまった。

 島人はそれでも再生を捨てていない。しかし、その後、「蝶」は未生の象徴であることを止め、死者の化身としてのみ生きることになった。ひらひら舞う蝶に、島人はそのとき不安を覚えたのではないだろうか。どこまでも飛んで行って消えてしまうのではないだろうか、と。

 

『装飾する魂―日本の文様芸術』

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