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2017/05/28

兄妹始祖神話の位相

 兄妹始祖神話は、兄妹の性交による世の始まりを伝えたものだとよく言われる。しかし、それは間接的なものだというように、ぼくたちは考えてきた。(参照:「琉球弧の兄妹始祖神話(民話)」

 たとえば、よくしられているものに古宇利島の始祖神話がある。

 むかしむかし古宇利(フイ)島(運天港の入口にある小さい島)に男の子と女の子が現われた。二人は裸体でいたが、まだこれを愧ずるという気は起らなかった。そして毎日が天から落ちてくる餅を食って無邪気に暮していたが、餅の食い残しを貯えるという分別が出るや否や、餅の供給が止まったのである。そこで二人の驚きは一通りではなく、天を仰いで、
 たうたうまへされ、たうまうまへ(お月様、もしお月様)
 大餅ちやと餅お賜べめしよれ(大きい餅を、太い餅を下さいまし)
 うまぐる拾うて、おしやげやべら(赤螺を拾うて上げましょう)
と歌ったが、その甲斐も無かった。彼等はこれから労働の苦を嘗めなければならなかった。そして朝な夕な磯打際でウマグルなどをあさって、玉の緒を繋いでいたが、或時海馬の交尾するのを見て、男女交媾の道を知った。二人は漸く裸体の愧ずべきを悟り、クバの葉で陰部を隠すようになった。今日の沖縄三十六島の住民はこの二人の子孫であるとのことだ。(伊波普猷「お隣りのお婆さんから聞いた話」)

 「海馬の交尾するのを見て、男女交媾の道を知った」というくだりは、そのまま受け取るのではなく、性交と妊娠の因果関係を知ったことを言おうとしている。それを媒介を経た性交という言い方で表現したのだ。

 ただ、ここで「海馬」ことジュゴンが出てくるのには、古い歴史が隠されている。この神話を古形にさかのぼれば、たぶんジュゴンが登場することに行き着くのではないだろうか。ジュゴン・トーテムの段階である。そこでは兄妹婚姻が行われていた。ただし、注意しなければいけないのは、ジュゴンはそこで交尾する役で出てくるのではない。人間に先立つものとして現れるだけだ。性交が神話に出るのは、妊娠と出産の因果関係を知ったのは、ぼくたちが読んでいるこの神話の段階でのことだ。

 

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2017/05/27

蝶形骨器の時代 2

 ここで確かめたいのは、蝶形骨器の形態とそのおおよその時代だ。

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(「沖縄縄文時代の蝶形骨製品」(金子浩昌))

 ここで吹出原遺跡の蝶形骨器が、貝塚時代第Ⅴ期に相当されている。つまり、約3000年前だから、ぼくの考えでは「貝」時代に入っている。それまでは、「ザン-蝶」の時代と見なせる。

 興味深いことは、蝶形骨器製作の初期から一枚組のものだけではなく、二枚組のものも作られている。そして、第Ⅴには一枚組は作られていない。

 ぼくの考えでは、これは霊魂思考の進展を示すものだ。つまり、「蝶」を「ジュゴン」の変形と見なす思考は、第Ⅳ期までで、それ以降は、「蝶」を「ジュゴン」の分解再構成とみなす考えが優勢になったということだ。

 二枚組のものは多くが「蝶」の翅が大きく広げられ、いまにも飛び立ちそうに見える。実際、これらの形態は「蝶」が、「ジュゴン」の元を離れたがっているようにも見える。(参照:「蝶形骨器の時代」

 

 

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2017/05/26

「おなり神」と「ゑけり神」

 こうしてぼくたちは兄弟姉妹婚のことを考えざるをえないところまできた。伊波普猷は、その痕跡を探しながら書いている。

国頭村安田で、一年おきに替り番に、「おなり神」を拝み、また「ゑけり神」を拝むと称して、部落中の女性または男性を互に拝しあう儀式があるが、これなども多分例の女神と男神とを拝むという形式の変化した、新しい行事に違いない。というのは、南島の俗、「をなりみ神」と「ゑけりみ神」とを代表させるのは、いずれも女性であって、男性ではないからだ。

 ここは伊波の言うのとはちがい、一年おきに「おなり神」と「ゑけり神」を拝みあうのは、母系社会のなかで行われたふるいものだと考えられる。しかも、母系社会の初期ではないだろうか。

 「「をなりみ神」と「ゑけりみ神」とを代表させるのは、いずれも女性であって、男性ではない」のは、たぶんの祝女の登場を重なっている。男性は実際の女性姉妹である「をなりみ神」を尊んだのに対して、女性は共同幻想を対の対象として選択したということだ。
 

『古琉球』

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2017/05/24

トーテムの系譜と島人の思考 5

 「トーテムの系譜と島人の思考 4」もすぐさま更新することになった。ジュゴンを図に加えてみる。だんだん混み合ってきた。

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 ジュゴンは、「胞衣」表象として生きている。なぜ、胞衣だったのか。島人は、死後の時間を「蝶」を通じて表象したが、それはまだ過去へと延びてゆかない。死後即未生とでもいうような相互浸透のなかに時間感覚はあった。

 その死後即未生という時間感覚を「胞衣」は象徴したのではないだろうか。

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2017/05/23

ジュゴンと蝶 2

 琉球弧の北では、島人が「蝶」と関係を持ったのは、「貝」よりも1000年も前のことだった。死体に群がる「蝶」を通じて、脱皮する動物に、島人はトーテムを見た。それからさらに数千年後に島人はアマンをトーテムとするが、死体に群がり脱皮をするという点では、両者はまったく同じ位相を持っている。

 ところが、「蝶」は「アマン」とは違い、死体に群がるということが死後との関連性を強める傾向を最初から孕んでいたのかもしれない。しかしその前に、島人は頭部への関心を強め、そこに蝶の相似形、蝶形骨を見出したとき、それを媒介に「霊魂」概念を生み出す。

 もうひとつ、すでにサンゴ礁環境が用意されているこの段階で大事な出会いを行っている。ジュゴンだ。ジュゴンとの関係はどう捉えられていたのか。

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 ジュゴンはサンゴ礁の霊(よなたま)であるという理解は最初からあったと考えてみる。サンゴ礁の魚とは胞衣の魚という意味になる。「胞衣」を介して、人間とジュゴンはつながることになる。

 ここで、島人にとって胞衣とは対なる相方だ。それは同時に兄弟にとって姉妹が対なる相方ということと同じだ。こう捉えれば、対なる相方はジュゴンまで延長される。ジュゴンも対なる相方になりうることになる。

 これが兄弟姉妹婚の段階での島人とジュゴンとの関係だ。つまり、兄弟姉妹の対関係がそのまま集団の共同幻想に同致している。この共同幻想を象徴しているのが、ジュゴンだ。

 もうひとつ、重要なことに気づく。「蝶」を媒介に見出された霊魂は、霊力内霊魂ともいうべき位相を持つ。霊魂はそれとして、霊力から分離していない。

 たとえば、徳之島では、霊魂は、トーテムを分解再構成した変形態だった。

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 さてこのあり方を「貝」トーテム以前に遡れば、ジュゴンと蝶の関係ということになる。それがすなわち蝶形骨器の持つ位相を示している。あれは、霊力内霊魂のことなのだ。

 それということは、あの奄美大島の手首内側の、蝶形骨器を模した文様にも同じことは言える。

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 この文様は、実は貝がトーテムになる以前は、大きく手の甲に描かれていたのかもしれなかった。

 ただ、このジュゴン製蝶文様と貝製蝶文様は同じ位相にあるだろうか。前者の「蝶」は、実際的にはジュゴンを殺害し、その骨で作ったということからすれば、それはジュゴンの分解再構成に当たる。特に、ジュゴンの骨を二枚重ねてつくった大型の蝶形骨器はそう見える。

 しかし、ジュゴンの霊力の根源にある骨をそのまま「蝶」にしているということでいえば、霊力の分解再構成というより、霊力の変形というのがふさわしい。ちょうど宮古島の手の甲の、「トゲヤからハサミ」への変形のように。

 ということは、蝶形骨器が、ジュゴンの骨の一枚か二枚かで作られたということには深い意味が隠されているのかもしれない。

 一枚の場合、霊力の変形だが、二枚の場合、分解再構成の意味が強まる。

 ここで刺青の起源についても考えることができる。

 琉球刺青のデザインでもっとも古層に届くのは、ある意味では指の背の「矢」「竹の葉」の文様だと言える。そこは蝶の分解再構成による蛇、だからだ。霊魂概念がうまれたとき、それは「霊力内霊魂」の形をしていたとするなら、刺青にはジュゴンが描かれていてよかった。しかし、それに該当する文様は痕跡としてもない。

 この意味は二様に考えられる。

 ひとつは、霊魂発生時に刺青は根拠を持ったが、実際に発生したのは貝トーテムの段階であること。

 もしくは、貝トーテム以前に刺青は発生してたが、ジュゴン文様は兄弟姉妹婚を象徴するので、タブー化された時点で文様から外されたという可能性もある。

 しかしもし後者だとしたら、奄美大島の手首内側の文様も消失されてしかるべきだ。あるいは「亀」と読み換えることで生きながらえさせたのかもしれない。


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2017/05/22

ジュゴンと蝶

 蝶形骨器の出現の時期は、まだ厳密な意味で他界は発生していない。死者とは共存の段階で、この世とあの世は同致している。

 このとき、島人は「蝶」に死者の化身を見ている。この契機になったのは、死体に群がる蝶だ。その蝶は、集落のそこかしこを舞う。死者の化身に見えるのはとても自然だと言える。

 この段階で、島人はジュゴンともかかわりを持った。サンゴ礁の海でジュゴンに出会った島人は、人間の相似形を見出して、これも死者の化身と感じたのではないだろうか。

 まさに、「この世における彼は、人間身を持つ我等であり、往いて他界にある自分の身はたとへば儒艮身であらうも知れぬ」(折口信夫「民族史觀における他界觀念」)というような。もっともこの世とあの世は分離していないから、サンゴ礁の海で出合い頭にそう感じたのだ。

 蝶 脱皮をする。死者の化身という一方向の時間の契機を含む。
 ジュゴン 人間の相似形。

 「蝶」は死者にとって換喩的であり、ジュゴンは人間と隠喩的な関係にある。ジュゴンは、脱皮する生き物ではないから、トーテムとは見なしにくい。ただ、この段階では、円環する時間は旺盛だから、ジュゴンは人間との相互変換形の環のなかにいたのかもしれない。

 死者との共存の段階でのトーテムは、蝶とジュゴンだった可能性があるということだ。そうだとしたら、このときの女性シャーマンは、蛇としての頭部の葛以外では、後頭部の蝶形骨器がひときわ重要な装身具であったことになる。

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 すると、奄美大島の手首内側の文様は、部分的に「亀」と呼ばれるのが気になってくる。蝶形骨器は、ジュゴンの他、亀の骨でも作られることがあった。つまり、蝶形骨器がジュゴン製の骨でできているなら、そのデザインを踏襲しているもの文様には、蝶にジュゴン(亀)が重ねられているということではないだろうか。


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2017/05/21

トーテムの系譜と島人の思考 4

 こんどは、「トーテムの系譜と島人の思考 3」の動植物の位置を少し変えてみた。驚くべきことが分かって震えてしまう。

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 この推移は刺青デザインそのものではないか。

 もうひとつ重要なことに気づかされる。

 北の琉球弧の発生時、貝はまだトーテムではない。したがって、この段階で刺青が発生していたら、いまに伝わるデザインとはまったく違っていたはずである。あるいは、奄美大島と徳之島の手首内側の「蝶」モチーフは、その段階での刺青デザインの痕跡なのかもしれない。

 上記がなければ、「貝」トーテムを待って刺青は発生している。そのデザインは現在まで伝えられた。


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2017/05/20

トーテムの系譜と島人の思考 3

 こんどは「トーテムの系譜と島人の思考 2」に考古学上の年代の知見を当てはめてみる。すると、いくつか修正が必要なのが分かる。

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 ぼくたちは「貝」との関係ばかりに目を奪われがちだが、実は「蝶」の方が古くからの付き合いなのだ。そして、「蝶」が霊力内霊魂として発生し、霊力を離脱するまで、1600年間かかっている。これはそのまま蝶形骨器が作られた期間でもある。「蝶」は実に2100年ものあいだ、未生の領域を担ってきたのだ。

 また、琉球弧の北と南の重要な違いも分かる。南では、霊魂の発生は、「貝」をトーテムとする前だが、北では、「貝」トーテムに先立っている。これが刺青デザインの差として表出されているものだ。

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2017/05/19

トーテムの系譜と島人の思考 2

 「トーテムの系譜と島人の思考」を更新する。

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 ここでぼくたちは、「蝶」について、「貝」以前の「死と再生」の象徴と見なすことになる。それは、死者との共存の段階に対応している。「貝」は死者と生者の区別の段階への移行を示すものだ。


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2017/05/18

奄美大島の手首内側の「蝶」

 奄美大島の手首内側の文様は、蝶形骨器のデザインを手本にした「蝶」だと見なしてきた。そして、「蝶」であるからには「霊魂」を現してきたものと見なしてきた。

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 しかし、少し修正が要る。これは霊魂には違いないのだが、霊魂の位相が異なる。「蝶」は、死者の化身でもあるのは初発からしてそうなのだが、はじめは再生の象徴でもありえた。それがときを経て、再生の象徴ではなく、死者の化身のみの意味を残したのだ。

 考えてみると、「蝶」は霊魂を象徴する前に、死者の化身だった。この「死者」という概念と「霊魂」という概念の空隙は、「蝶」が再生を担うと考えられたこととかかわりがあるはずである。

 そして、霊魂が霊力を離脱するとき、「蝶」はあいまいな形で再生の環からも離脱した。「蝶」を死者の化身として尊ぶ一方、気味悪く感じたり、恐れたりするのはそのためではないだろうか。

 奄美大島の手首内側の文様は、この離脱前の「蝶」だ。蝶形骨器を手本にしているなら、この「蝶」も蝶形骨器と同じ位相を持つはずである。だから、大きく手首内側に「蝶」を描いた大島の島人は、そこに再生を託したのだ。

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2017/05/17

『装飾する魂―日本の文様芸術』(鶴岡真弓)

 鶴岡真弓は「蝶」について、書いている。

 ギリシアに限らず、幼虫の活動期から、静止した蛹に変態して仮死状態を過したのち、燃えるような翅を出現させて華麗な成虫になる蝶のメタモルフォーシスに、人間が生―死―再生の神秘を見たのは何処も同じであった。アーサー・エヴァンズ卿が「ネストルの環―ミュケナイの死後の世界」(一九五二年)で強調したとおり、墓に埋められていた円盤の蝶は、死者の再生を祈願するエンブレムであったと推測されている。

 これは種子島広田遺跡の貝符を思い出させる。(参照:「広田遺跡の貝符の位相」

 どうやら、島人にとっての「蝶」は、二段階を経ている。

 霊力内霊魂とも言うべきところから、霊魂が霊力から離脱したところへの二段階だ。琉球弧では、蝶形骨器のおかげでその時間を知ることができる。現在の考古学の知見から引けば、一段階目は、約4000年前から約2400年前まで、二段階目はそれ以降だ。一段階目は、1600年もの期間を持つ。

 この間、「蝶」はこの世とあの世を往来していた。ということは、鶴岡が「何処も同じ」と書く通りだとしたら、琉球弧でも、「蝶」はかつて再生の象徴だったのだ。それがジュゴン製の蝶形骨器の意味だということになる。しかし、霊魂の象徴である「蝶」は、そこにとどまっていられない。「蝶」はあの世とこの世との往来を軛とするかのように、その環を破って外へ飛び出してしまった。

 島人はそれでも再生を捨てていない。しかし、その後、「蝶」は未生の象徴であることを止め、死者の化身としてのみ生きることになった。ひらひら舞う蝶に、島人はそのとき不安を覚えたのではないだろうか。どこまでも飛んで行って消えてしまうのではないだろうか、と。

 

『装飾する魂―日本の文様芸術』

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2017/05/16

刺青にみるトーテムと霊魂のアマルガム(徳之島と宮古島)

 徳之島の左右の尺骨頭部の文様は、「貝」と「蝶」なのだが、その特徴は「貝」の変形として「蝶」が構成されていたことだ。これは「貝と蝶」の型のなかでは、他島では見られない。しかし、この変形は、変容(メタモルフォース)というより、分解再構成で、霊魂思考的である。

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 一方、左の尺骨頭部にみられる文様には、四つの花びらを想起させるものもある。これは、「蝶」の部品から「貝」が構成されたものだと見なせる。このことは、他の部位にも見出され、指の背は、「蝶」を部品に「蛇」が構成されていると見なせる。徳之島の左手尺骨頭部の四つ葉型と指の背は、いずれも「蝶」アマルガム型なのだ。

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 このことが意味するのは、霊魂発生の初期において、霊力と霊魂が明瞭には分離していなかったことを意味する。時間の観念でいえば、霊魂が一方向に進むものとしてまだ独立していなかった。それが、「蝶部品による貝」、「蝶部品による蛇」デザインが構成された理由になる。

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 同様のことは、宮古島についても言える。ただし、ベクトルを逆にして。宮古島の場合、「貝」から「苧麻」が構成されるが、左手では「貝」が描かれているのに対して、右手では「貝」を地にして「苧麻」という図を浮かび上がらせている。そう見なせる。

 徳之島
 ・「貝」の分解再構成よる「蝶」構成
 ・「蝶」部品による「貝」構成

 宮古島
 ・「貝」の変容による「苧麻」構成

 この場合、霊力ー霊魂は、徳之島では「貝・蝶」アマルガムなのに対して、宮古島では「貝・苧麻」アマルガムである。しかし、そのアマルガムは前者が再構成にであるのに対して、後者は融合である。ここに霊魂思考が優位な前者と霊力思考が優位な後者の差異が認められる。

 このアマルガムのデザインの痕跡が認められるということは、琉球弧の刺青が「ふたつの霊魂」を表現したということだけではなく、両者が未分離の状態をも保存したことを意味する。つまり、「ふたつの霊魂」の初期形である。

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2017/05/15

サンゴ礁の時代の区分

 サンゴ礁が成立して以降の段階の年代を挿入してみる。

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 死者との共存(4500~3500年前)1000年
 霊魂の発生 (4000年前~)
 ・蝶形骨器(4000~2400年前)1600年
 あの世の発生(3500年前~)
 ・身近なあの世(3500~1000年前)2500年
 低地居住  (2500年前~)
 ・交易期(2500~1000年前)1500年
 蝶形骨器終焉(2400年前)
 グスク時代 (1000年前)

 時代の幅を列記する。

 死者との共存。1000
 身近なあの世。2500年。
 蝶形骨器。1600。
 兄弟姉妹婚。1600年以上。

 死者との共存の段階が1000年あることは忘れがちだ。「身近なあの世」の段階も2500年ある。「あの世」について、身近な「あの世」がもっとも長いのだ。

 大きくいえば、シャコ貝時代は2500年、蟹時代は1500年。

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2017/05/14

ザンは兄弟姉妹婚の象徴だっただろうか。

 たしかな手応えを持ちにくいのだが、ザン(ジュゴン)が兄弟姉妹婚の象徴だった段階があるのかもしれない。

 ジュゴン製の骨でできた蝶形骨器が終焉する約1600年前について、ぼくは母系社会の成立を想定している。これが妥当しているとしてだが、それならそれ以前に女性シャーマンの後頭部に飾られた「ジュゴンの骨」は、兄弟姉妹婚の象徴の可能性を持つことになる。

 与那国島は、胞衣はアングヌムヌと呼ばれる。これは直接的には赤ちゃんの「相手をする」という意味だが、旅人への性的歓待を含意している(参照:「ブーは一番神様に近い植物」(「与那国島のものの見方・考え方」))。胞衣には、性的な意味が含まれるのである。赤ちゃんの相手をする胞衣に性的な意味が含まれ、また、胞衣は兄弟関係の呼称で呼ばれることもあることを踏まえると、こういう類推ができる。

 赤ちゃんと胞衣の関係は、兄弟姉妹の関係と同じである。胞衣には性的な相手をするという意味が含まれるなら、兄弟と姉妹の関係にもそれが想定できる。また、ザンには「食らう」という伝承のそばにあるいは裏側に「交わる」というニュアンスがつきまとう。

 もうひとつ、古宇利島の兄弟始祖神話では、兄妹はザンの交尾を見て性交を知る。ここではザンの交尾は兄弟姉妹婚のメタファーだ。

 これらのことは、ザンが兄弟姉妹婚の段階を象徴していたことを暗示しているのではないだろうか。

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2017/05/13

蝶がジュゴンから飛び立つとき

 約4000年前、老女はジュゴンをはじめ鯨や亀の硬い骨でできた「蝶」を身に着けた。女神出現の瞬間だった。彼女が身に着けたのは「蝶」ばかりではない。「蛇」も「貝」も装着していたが、後頭部につけた「蝶」は常に意識にのぼっていた。老女の目に見えなくても骨の重みがたしかな実在を伝えるのだ。

 女神は単独で存在しているのではなかった。むしろ、女神本体を背に、その化身態として島人の前に姿を現すのである。女神本体とは他でもない、サンゴ礁のことである。女神は、その本体であるサンゴ礁を背に、その一部に包まれるように現れるのである。

 それから、約2400年ものあいだ、島人の技術者は硬い骨を穿って「蝶」を掘り続けた。一枚の骨から、あるいは二枚組にすることもあった。硬い骨にどうやって通したのだろう。「蝶」の上翅と下翅のあいだには孔を通した。そこにおそらくは麻の紐をとおして、女神が頭部に結わえることができるようにしたのだ。そればかりではない。横に通した孔の真ん中あたりから真下にも孔は穿たれた。女神の背中に長いながい垂れ飾りをつけるために。

 約1600年前、「蝶」は飛び立とうとするように、翅を大きく伸ばし、あるいは怪しく揺らめかせるまでに大型化していた。そしてその完成を見る前に、製作は中断されてしまう。1600年後、考古学者はその未完成の「蝶」を手に取ることになる。

 何があったのか。それはサンゴ礁の夢の時間のなかでの大変化だった。新しいトーテムが加わり、島人は浜辺へ住むようになる。それと歩調を合わせるように、女神の頭部からジュゴンが姿を消す。しかし、「蝶」は姿を消していない。それは現在の神女の後頭部にも別の形でしっかり存在感を発揮している。

 「蝶」はジュゴンから飛び立ったのだ。「あの世」と「この世」を行き来するという反復する時間から離脱し、ひとつの方向へと流れるように舞って行ったのだ。このとき、島人は、「貝」に続いて「蟹」をトーテムとする。「蟹」は「貝の子」。島人は、特に女性は、「私たちは貝」から、「私たちは貝の子」へと鏡像を更新した。これは同時に母系社会の出現を意味している。

 兄弟と姉妹の関係を軸に集団が組まれはじめた。それまで、兄弟姉妹は婚姻の関係を結ぶことができた。彼ら彼女らは、ジュゴンの別名である「胞衣」の分身として身体を合わせることができた。しかしタブーの扉は開かれ、身体が重なる象徴として胞衣を見ることができなくなった。胞衣とは、「もうひとりの自分」であるに過ぎなくなった。

 女神は、集団を象徴するためには「胞衣」を被ることができなくなる。その代り、女神の兄弟がもうひとつの象徴として登場してこなければならない。しかし、どの兄弟であったとしても集団を象徴することはできない。そこで島人たちは、象徴を始祖へと観念的に疎外したのである。

 蝶は、骨から浮き上がって、翅を全開しそして揺らめかせ、こんどこそはと南の空に飛び立った。あとには製作途上で放棄された「骨の蝶」が残された。「蝶」はジュゴンから飛び立つというのは、「霊力」の内部から「霊魂」の分離を意味している。そこで起きたのは兄弟姉妹婚のタブー化という大変化だった。

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2017/05/12

「沖縄の山の神について」(上原孝三) 2

 上原孝三の「山の神」議論について、もう少し考えてみる。

 先史琉球弧の世界の動物の主は次のように考えられる。

 地底、空、山(蛇) テラ山(貝) サンゴ礁(貝) 海(蛇)

 こうだとする。この段階では、シヌグは来訪神ではない。祭儀があったとすれば、スクの精霊を出現させた予祝行為そのものだった。

 ここで改めて、スクたちの性別をあげると、

 キラハニ  女性性(太陽)
 スク    女性性(干瀬の子)
 ウンジャミ 男性性(蛇)

 となる。ここで矛盾が生じる。

 シヌグ(スク) 女性性 男性が担う
 ウンジャミ   男性性 女性が担う

 これを矛盾ではなく受け取ろうとすれば、これは一種の異性装でもあったのではないだろうか。

 サンゴ礁の神話時間のなかで、世界は性を受け取る。この段階では、死者を食べる儀礼も行われていた。他者との同一化である。そして、男性と女性は明確に分離されておらず、性はグラデーションだ。そのグラデーションを踏まえつつ、性の全体性を表現する方法として、女性性の神を男性が担い、男性性の神を女性が担うようになった。

 上原は「山の神は女性に特定されないことが沖縄の「山の神」の特徴といるのではないか」と書いていた。ことは、「山の神」の性が問題なのではなく、異性装による見かけがそう思わせるということではないだろうか。

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2017/05/11

「沖縄の山の神について」(上原孝三)

 上原孝三はシヌグ祭について考察している。

 シヌグにしてもウンジャミにしても、「山から海へのルートを辿る」ことになる。その際、安田では山の神に扮するのは男性であり、比地のウンジャミでは、山の神に扮するのは女性である。

 上原は書いている。

 シヌグ・ウンジャミの両祭において山の神が現れた。シヌグでは男が、ウンジャミでは女が主に山の神となった。山の神は女性に特定されないことが沖縄の「山の神」の特徴といるのではないか。

 シンプルだが、強い喚起を受ける。

 ぼくは、シヌグもウンジャミもサンゴ礁の潮の精霊の祭りだと考えている。それはスクとウンジャミという魚として出現していた。そして、サンゴ礁と同じ意味は、身近な山も担っていた。陸地ではそれは大地の精霊として出現することになるからだ。

 サンゴ礁は女性であるから、山も基本的には女性だと考える。どちらも、サンゴ礁に、山に生命を放つ存在である、

 サンゴ礁 女性性
 山     女性性

 次に、スクも性を予想することができる。それは、小型のものから、ウンジャミ、スク、キラハニと呼ばれた。

 ウンジャミ 男性性(蛇の精霊の化身として)
 スク     女性性(サンゴ礁の子として)
 キラハニ  女性性(貝の精霊の化身として)

 男性祭儀であるシヌグの場合、山での性的な儀礼を含むので、明らかに山は女性性として捉えられている。

 シヌグには、スクが対応する。すると、男性が女性性の強い神と化して出現することになる。そしてウンジャミの場合には、女性が男性性の強い神として出現することになる。

 これは矛盾ではないのか。と、こういうところに上原の言葉は飛び込んでくるわけだ。

 ここで海や山の性の変遷とそれによる祭儀の変遷という歴史の推移を背景に置く必要はある。ここでは、その要素は除くとして、除くとしても言えるのは、上記の自然や動物はすべて固定的な性別を持っておらず、どちらあの要素が強いにしても、グラデーションのなかにあるということだ。

 仮に性の転換を想定するとしたら、もともとは男性がウンジャミを担い、女性がシヌグを担っていたのかもしれない。もともと両祭儀は、混然としたものだたから、そういう転換も起こしやすかったのかもしれない。

 

 

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2017/05/10

琉球語の音韻グラフ 3

 改めて、吉本隆明の濁音等価と転訛(同価)の議論を取り上げてみる。試行してきた音韻グラフに重ねるように描くと、下記が得られる。

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 吉本は上図の線を事例から導いている。しかし、ア行-ラ行、ア行-ハ行の濁音等価については事例に出会っていないが、そうみなすことができるという仮定として置いている。吉本は上図のようなモデルを見ていたのだと思える。

 こんどは、中本正智の『琉球方言音韻の研究』から、音韻変化の例を取り上げる。中本に濁音等価と転訛(同価)の区別の問題意識はないから、どれも実線で表現する。また、転訛の方向が書かれている場合は、矢印で記す。

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 これは、試行の音韻グラフに近づく。欠けているところを挙げてみれば、サ行-マ行は、吉本は、「通し」が「クミ」となる例を挙げていた。また、吉本も中本も挙げていない、ラ行-ア行、ア行-ハ行について、こちらで挙げる例になる。

 ラ行-ア行 「あふ」が「あろう」になる。
 ア行-ハ行 「あげー」と「はげー」

 後者など、奄美大島ではあまりに身近で気が引けるほどだが、当てはまるので仕方ない。

 これらを組み込んで、音韻グラフを更新すると、下図になる。

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 線分が増えるのには不満が残る。数学の試験問題みたいで美的ではないし、それこそ任意の海に解体してしまいそうだ。これでいけば、カ行、タ行とハ行は万能の行で、どの行にも行けることになってしまうのも、なんだかいただけない。ただ、カ行は、発音を忌避されるように散らされている印象は受ける。ハ行音は、P音考で語れるように、琉球弧を象徴する音であると言えばいえる。

 ここで、吉本の濁音等価の問題意識は、円弧状の曲線とタ行-ヤ行に生きている。けれど、濁音等価と転訛(同価)の区別はぼくの理解が及ばないので、実線で示すより他ない。しかし、それが何ごとかを語っているのではないかと思えるのは、動植物のメタモルフォースに対応した言語のメタモルフォースに見えるからだ。


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2017/05/09

パピルは「後世の姿」(野口才蔵)

 与論島の民俗研究家、野口才蔵は、刺青の左手尺骨頭部の文様について、小原一夫が採取した「アマン(ヤドカリ)」という聞き取りを紹介した後、右手の尺骨頭部について考察している。

右手の同じ部位にあるものを『パピル』という。パピルは蝶や蛾の意で、美人や踊りのうまい人の意にもとれるが、奄美諸島全域に見られるもので、特に奄美大島では、蛾のことを『ハヴィラ』と言う。夜間に光に集まってくる蛾を見ると、死者の化身として恐れられる習慣があり、死人の出た直後は特にその感が強い。この考え方からみれば、与論島に見られる『パピル』は、後世の姿をとるのが妥当ではないかと思う。(『奄美文化の源流を慕って』)

 ぼくたちの理解では、入墨自体が霊魂の発生を物語るので、「後世の姿」はその通りだとしても、それは死者の精霊というより、霊魂のことを指すと考えている。

 しかし、いままで読み流してきてしまっていたが、驚くことに、野口は右手の尺骨頭部の文様についても理解を届かせていた。それはとても素晴らしいことだ。野口は、与論の場合と限定をつけているが、広く琉球弧に寄与できる洞察だったのだ。それはいまから35年も前に遂げられていた。

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2017/05/08

『みみずくは黄昏に飛びたつ』(川上未映子、村上春樹)

 『職業としての小説家』もそうだったが、『みみずくは黄昏に飛びたつ』もたくさんのキーワードが印象に残った。いちばんはこの個所。

本当のリアリティというのは、リアリティを超えたものなんです。事実をリアルに書いただけでは、本当のリアリティにはならない。もう一段差し込みのあるリアリティにしなくちゃいけない。それがフィクションです。

―でもそれはフィクショナルなリアリティじゃないんですよね。

村上 フィクショナルなリアリティじゃないです。あえて言うなら、より生き生きとパラフレーズされたリアリティというのかな。

 小説を書くわけではないぼくはこれを読み換えなくてはいけない。サンゴ礁の思考という琉球弧の縄文相当期を浮かび上がらせようとする試みは、ある意味で「本当のリアリティ」を引き出したいと言うことになると思う。

 残された習俗や伝承をそのものでは、「本当のリアリティ」にはならない。そうなるためには、「もう一段差し込」んで、その習俗や伝承を生きた島人の思考を掬い取らなきゃいけない。「より生き生きとパラフレーズされたリアリティ」へ、と。こういう文脈なら、サンゴ礁の思考もフィクションだ。

 別の観方をすると、縄文期相当の思考を取り出しただけでは、今を生きる人のリアリティに届かない。むしろ、さんざん経験しているようにキョトンとされてしまう。それを「より生き生きとパラフレーズされたリアリティ」にするには、今の人のリアリティのどこかにつながるものに、それこそパラフレーズしなくてはいけない。それも確かだ。

 この二重の作業が、「より他者と共鳴しやすいボイス」に変換することになるのだと思う。

 印象的なフレーズをメモしておく。

ボイスをよりリアルなものにしていく、それが 僕らの大事な仕事になる。それを僕は「マジックタッチ」って呼んでいます。

目よりは耳を使って書き直していきます。

音楽を演奏するみたいな感覚で文章を書いているところは、たしかにあると思う。

メッセージがいちばんうまく届くような言葉の選び方、場所の作り方を見つけていきたいというのが、今の率直な僕の気持ちです。

ものを作る人って、やはり自分にしか作れないものを追求するのが何より大事になってくる。

書いている時間よりはむしろ待ち時間のほうが長い。サーファーが沖合で波を待つのと同じような感じです。

コンピュータの前に座っていても、古代、あるいは原始時代の、そういった洞窟の中の集合的無意識みたいなものとじかにつながっていると、僕は常に感じています。

 ぼくの場合、「常に感じている」というところまで行かないけれど、それを感じられるところまで降りて行って、感じられたとき、えも言われぬ喜びに浸ることになる。

ボイス、スタイル、語り口ってものすごく大事にします。よく僕の小説って読みやす過ぎるっていわれるけど、それは当然のことであって、それが僕の「洞窟スタイル」だから。

古代とか原始時代の洞窟での語り部的なものと、そういう神話性とは、やはりどこかでつながっているんじゃないかな。

僕の文章というのは、基本的にリアリズムなんです。でも、物語は基本的に非リアリズムです。

自分がこれまで何をやってきたかというと、文体を作ること、ほとんどそれだけです。

最初に結論を書いておく。それはネタバレとは違って、こういう物語なんだけど読んでくださいという、一種の口上みたいなものです。作者の宣言。あるいは読者への挑戦。そこにテンションが生まれる。

オルタナティブ・セルフに僕自身がなれる。そういうのは一種の治癒行為にたるんじゃないかなとは思うけど。(中略)それはこっちの道を選んできたことによって自分の中に生じた変化、ひずみみたいなものをアジャストするこです。

新しい文体が新しい物語を生み、新しい物語が新しい文体を補強していく。そういう循環があるといちばんいいですね。

勘を研ぎ澄ませて文章を彫琢していく。

 「応答」と「比喩」

まず、文章がなくちゃいけない。それが引き出していくんです。いろんなものを。

目で響きを聞き取れないとダメなんです。作家は。

文体が自在に動き回れないようでは、何も出てこないだろうというのが僕の考え方です。

スタイル・コンシャス。

 どれも、これから書いていくうえでのヒントだ。


川上未映子、村上春樹『みみずくは黄昏に飛びたつ』

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2017/05/07

「手」の位相メモ(ヘーゲルと吉本隆明)

 ヘーゲルは「手」の持つ位相について、こう書いている。

 いうまでもなく、手は、運命にたいして外的なものというより、運命と内的にかかわるもののように見える。運命とは、特定の個人が当初の内面的性格として潜在的にもっていたものが、おもてにあらわれたものにすぎないのだから。そして、潜在するものを知るには、たとえば、全生涯をおわってみなければ知ることはできないと考えた古代ギリシャの賢人ソロンの言にしたがうよりも、手相術師や人相学者のもとにおもむくふが手っとり早い。ソロンが運命の転変を見わたそうとするのにたいして、手相術師や人相学者は潜在する元のすがたを見ようとする。そして、手が個人の運命の元のすがたを表現していることは、手が、ことばの器官たる口に続いて、人間の自己表現や自己実現の有力な手段であることからも、容易に推測される。手は幸運を作り出す魂のかよった名工というわけだ。手は人間の行為をあらわすものだといえるので、自己実現の実行器官たる手を見れば、そこに魂をもって生きる人間が宿り、もともとみずからの運命を切りひらいていく人間の、その元のすがたがそこに表現されているというわけである。(ヘーゲル)

 手は「ことばの器官たる口に続いて、人間の自己表現や自己実現の有力な手段である」。「手は幸運を作り出す魂のかよった名工というわけだ」。

 これを思い切り、琉球弧のサンゴ礁の思考に引き寄せれば、手は魂の表現そのものに他ならない。手には人間の魂が宿り、「その元のすがたがそこに表現されている」。

 ヘーゲルは論理を語っているわけだが、まるでサンゴ礁の思考を言い当てているようにすら見える。ここでぼくたちは、琉球文身のことを考えている。ヘーゲルが言うのは、手相のことについてだが、文身の刻まれた手の背は、魂を表現できる絶好の場だということになる。

 吉本隆明は、ヘーゲルの言を受けて書いている。

頭部、手、足は、表情として思いいれられた衣裳にほかならない。ただこの思いいれは、まぎれもなく頭部、手、足などのいまのすがたをあらわす、精神のあらわれとして、必然性をもっていて、この必然性が思いいれの本質になっている。(「ファッション論」『ハイ・イメージ論Ⅰ』)

 ここで注目しているのは手だが、そこはまさに霊力と霊魂を表現する場となった。
 

『精神現象学』(長谷川宏訳)

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2017/05/06

アマン(ヤドカリ)トーテムの伝承、他

 アマンの、トーテムから零落までの変遷は以前、辿ったことがある(参照:「アマム(ヤドカリ)の身をやつした姿」)。このなかで、零落形態ではなく、トーテムであることをもっともよく示しているのは、石垣島の伝承だ。

人の始まり
島の最初に、方言アザブネラ(あだん科)自生し、常緑の葉繁茂せり
二番目に、やどかり(方言アマッザ)が樹根の下より穴を穿ちて、
「カブリー」といって出てきた。
三番目には、其の穴より、
「カブリー」と唱へつつ、男女二人が現はれた。
二人は、日を逐うて飢餓に迫られたとき、ふとアサネブラを仰ぎ見るに、巨大なる球の果実(方言、アサヌナリ)が黄赤色を呈し熟せるを、手づから探りて、一日の食となして安楽な生をつなぐ事が出来、子孫繁殖した。(石垣島、岩崎蝶仙「鼠の花竜(一)」「旅と伝説」1931年)

 また、トーテムであることを示唆している伝承といえば、与那国島が挙げられるだろう。

大昔、南の島から陸地を求めて来た男がありました。その男は大海原の中に、ぽつんと盛り上がった「どに」を発見しました。その「どに」には人間は住んでいませんでした。南から来た男は、この「どに」に人間が住めるかどうかを試みるために、「やどかり」を矢で放ちました。そこから幾年か経って、この「どに」に来てみると「やどかり」は見事に繁殖していました。それで、その男は南の島から家族をひきつれて来て、この「どに」に住みました。(池間栄三「与那国伝説」)

 会話のなかで語られたものとしては、野口才蔵の体験が忘れがたい(参照:「与論人の祖先はヤドカリだったって本当?」

子どものころ、潮待ちで浜辺のアダンの下で休んでいて、何げなしに側の叔父に「人間の始まりは何からなったのだろう」と問うた。叔父は、前をコソコソ這うて行く子ヤドカリを見ながら「人間ぬ始まいやアマンからどぅなてぃてゅんまぬい」と、にっこりと言われた。それが今だに忘れられない。
 その後、壮年期になって、入墨の話を聞いたり読んだりしているうちに、われわれの遠祖の先住民とのかかわりのあることに触れ、あの叔父の言われたことが冗談ではなかったこと、しかも重要な伝承であったことに改めて深い関心を持った。((野口才蔵『与論島の俚諺と俗信』1982年、p.253)

 刺青を通じても、それは語られた。

老婆たちは、その背に巻貝を負った「ヤドカリ」の文様をなでながら、この「ヤドカリ」から、われわれは産れてきたもので、これは我々の先祖のしるしであると語った。(小原一夫『南嶋入墨考』)

 野口が子供の頃というのを、仮に10才だとすると、1928(昭和3)年になる。小原が老婆から採取したのは、1930(昭和5)~1932(昭和7)年だから、昭和のはじめのころまでは、信じられてもいたことが分かる。

 トーテムとされていたときからあっただろうと思える「ヤドカリ占い」も付け加えたい(参照:「ヤドカリ占い(沢木耕太郎『オン・ザ・ボーダー』)」)。

よく海岸に行ってヤドカリを探してきたものさ。これは私の旦那、あれはあなたの御主人、こっちは誰々と、ヤドカリに名前を決めておいて、お膳の端に並べるの。そして「いま船はどこにいるの」と訊ねると、無事に航海している時は、ヤドカリがみんな揃ってまっすぐ進む。何かマチガイがある時は、みんなが-ヤドカリよ-まぜこぜになってゴチャゴチャになる。本当にヤドカリの占いは、当たったわよ。(沢木耕太郎『オン・ザ・ボーダー』)

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2017/05/05

「境界紀行(二)日野 たましいの行方をさがして」(谷川ゆに)

 カフェで同僚と仕事の打ち合わせをしていたとき、急に電話に出ると、「いやそれ以上は知らないんです。通りがかっただけなので、本人のことも知りません」と話している。

 何のやりとりか想像がつかなくて、電話を終えたあとに尋ねてみたくなった。

 「いや、このカフェの角を曲がったところに駐車場があるじゃないですか。そこで、おじさんが倒れていたんですよ。大通りだから人はたくさんいるんだけど、みんなまわりを囲むようにして見ているだけだから、かけよったら意識があったので、その場で救急車を呼んだんです。で、ここに遅刻したくなかったので、駐車場の警備員さんに後を頼んできたんですけど、救急車を呼ぶときに電話番号を伝えたから、それでかかったきたんです」。

 いいことしたね、伝えると、彼は「たまに、そういうことに出くわしてしまうんですよ。それもあってか、今日もすぐに身体が動きました」と、こともなげに話してくれた。

 助ける行動を起こした彼と、すぐに救急に委ねられることになったおじさんは知己でもなければ役割関係があるわけでもない。たまたま通りかかったというきっかけがあるだけだ。けれど、これを偶然と言って済ますよりは、小さな縁を言ってみたくなる。とくにそんな場面に出くわすというのであれば。

 困った人がいれば、助けるべき人が助けるということの他に、助けられる人が助けていい。費用が発生すれば、払うべき人が払うということの他にも、払える人が払っていい。それでいいじゃないか。そこで、契約とか役割とか言う必要ない。そんな風に思う心持ちに、谷川ゆにの「境界紀行(二)日野」が響いてくる。

 もっとも谷川は、小さな縁どころか、もっと積極的に、「生まれ変わり」という縁を見出している。もちろん、唐突にそうしているわけではない。前世で家族だったという縁で、年齢もばらばらなのに束の間、たがいを気遣う家族のような関係を結ぶ人たちを描いた映画『トテチータ・チキチータ』(参照:「映画『トテチータ・チキチータ』-頬を撫でる霧雨」)、19世紀に実際にあった生まれ変わりをめぐるエピソード(生まれ変わりを名乗った勝五郎を、国学者の平田篤胤も追っている)を手がかりに引き寄せている。谷川は書いている。

 いま現在に生きている自分と、かつて生きていた自分ならぬ自分。「生まれ変わり」が孕んでいるこの不思議な二重性には、近代以降、私たちが身につけてきた、唯一無二の「個人」とか、揺るぎない「主体」や「自己」といった人間認識を、やんわりと手放させる力があるのではないだろうか。と同時にそのことが、私たちが他者と繋がって生きるための新たな世界像をゆっくりとひらいてくれるのではないだろうか。

 「生まれ変わり」にまで踏み込まれた縁を梃に、谷川はぼくたちがともすれば囚われる窮屈さを解放しようとしている。個人や主体を放棄するというのではない。「生まれ変わり」が、それを「やんわりと手放させる」のだ。そしてただ手放すだけではない。そのことは、新しい関係を「ゆっくりとひらいてくれる」のではないか。開いて結んで。この手つきは優しい。

 それに「生まれ変わり」を荒唐無稽と言って済ますわけにはいかない。柳田国男が日本人の思想としてずっと追ったのも「生まれ変わり」だった。また、民族誌をひも解けば、人類はたしかに「生まれ変わり」を生きた段階を持っている。それがしっかり息づいている種族であれば、同じ母系の霊の流れを汲む者として「同じ肉体」を感じたのだし、やや崩れたところでも、死者は兄弟に宿るとか、孫の成長を助けるなどと信じられていた。こう書けば分かるように、死者の記憶と言っては物足りない、死者との対話や助けを得て、いまの自分も生きているといえば、思い当たる節も出てくる。

 そのうえで、谷川の、そこに「他者と繋がって生きるための新たな世界像」の可能性を見るという視線の向け方が、ぼくには魅力的だった。

 これは新潮社が発行している「波」という雑誌に掲載されている(「波 2017年5月号」)。ぼくは池袋東武百貨店の旭屋書店で買った。


 

 

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2017/05/04

『意識の海のものがたりへ』(谷川雁)

 吉本隆明の横にその存在をずっと感じ続けてきた谷川雁の本を、格別な縁があって手に取ることができた。硬質な文体に吸い寄せられていくのが心地いい。久しぶりだ。

 しかし、立ち止まらせるのは、硬質な文体そのものではなく、そのなかに湛えられたやわらかな感受性の方だった。谷川は、神話の別名は「迷路」だという。

つまり神話とは、人間全部をこどもにしてしまって、そのこどもたちによる、こどもたちのための世界像ですから、それができた道順をほほえみながら逆にたどっていかなければなりません。微笑を忘れなければ、迷路をたどる面白さがあるはずです。

 ぼくたちはこんな風に核心を捉えた言葉に出会ったことがあっただろうか。「こどもたちによる、こどもたちのための世界像」。

 その眼差しから捉えらえる読み解きにも、たくさんの示唆を得ることができる。たとえば、びろう(蒲葵)について、「なぜ、びろうがそれほど珍重されたのか」。

ただの素材というより、なにか郷愁とでもいうほかない魅力が底にただよっている感じがします。植物から受ける祝福の皮膚感覚も、昔の人は私たちよりはるかに鋭敏だったでしょう。

 自然のなかから、人間はその輪郭を浮かび上がらせてきたのであって、人間が自然を立ち上げたわけではない。だから、植物たちのなかから人間が立ち現れるとき、「祝福の皮膚感覚」というにとどまらず、植物を対的な対象として見る感覚も生まれたはずなのだ。その「鋭敏さ」によって。

 応答したくなる記述もある。

 正確な比率ではないとしても、日本語の単語のまず半分は中国大陸からの到来物でしょう。日本語ほど外国語におんぶして成り立っていることばもすくないわけで、むしろ日本語の内側で自分自身のことばをみつけることがむずかしいというたいそう厄介な問題を、日本人はみんな背負っております。

 琉球弧では、サンゴ礁が発生して以降、生命はサンゴ礁という「貝」から生み出されたと考えられた。その名を「ギラ」という。「貝」が内包する「胞衣」から生命は放出される。そのうえ、「胞衣」はサンゴや曽根や礁池へと姿を変えて、あるべき場所を占めている。このとき、もののかたちがメタモルフォースするだけではなく、それを指す言語そのものもメタモルフォースしていた。「ギラ(貝)」は、「ユナ(胞衣)」へと言葉もメタモルフォースさせたのだ。

 こうした単語は、「到来物」ではない。それを話す種族そのものが到来したのだから。これらの言葉は、自然物のほんのひと握りの単語に過ぎない。けれど、それは単語自身をメタモルフォースさせて、次々に新しい単語を生み出している。ぼくたちは、それを「自分自身のことば」の養分として汲みあげることができるのだ。現在では、ただのモノの名前に過ぎないと思われている言葉に概念の生命を吹き込むことによって。

糸をまく、あるいはつむぐという行為は洋の東西を問わず、ある持続した時間と連合します。言いかえれば、物語のなかで糸まきが出現したら、労働の日々のシンボルと読んでみるべきでしょう。

 これはサンゴ礁の思考の連想を促す。麻(苧麻)はトーテム植物だった。不思議なことに、麻はトーテムというだけではなく、霊魂とかかわりの深い植物ともみなされた。それをぼくたちは、可視化された「息」として麻が捉えられたからだと考えている。別言すれば、このとき島人は、身体組成の物質的な象徴を麻に見たのだ。

 ところで、霊魂は一方向に進む時間にかかわる。麻はどのようにその時間とかかわるのか。それは、「糸をまく、あるいはつむぐという行為」のなかで、と言うべきだ。原始農耕の存在が否定されている琉球弧で、それなら一方向に進む時間はどこから学んだのか。谷川の記述は、それを教える。だから、サンゴ礁の思考からは、「労働の日々のシンボル」は、「一方向に進む時間のシンボル」と言い換えることができる。

 また、谷川は記紀神話を紐解きながら、そこから「こことは違う別の世界があって、そして「この世」がある」という共通した思考のあることを見出している。見事な洞察だと思う。「あの世」があって「この世」がある。「あの世」が「この世」の始原に控えている。それは、まさに縄文期の死生観と言うべきものだ。

 出会うべきときに手に取ることができた、その縁をつないだ方に感謝したい。


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2017/05/03

蝶形骨器の終焉

 約2400年前、1600年間続いた蝶形骨器の製作が終わる。少なくとも現在までの発掘からはそう言える(参照:「蝶形骨器・針突き・貝符 5」)。これは、蝶との関わりの終焉を意味していない。ジュゴンの骨で蝶を象る時代が終わったのだ。

 ジュゴンと蝶。不思議な取り合わせだ。一方は、胞衣で他方は死後の姿。胞衣がこの世とあの世を往還するのであれば、蝶はこの世にあったり、あの世から飛来していると見なされる。そこで重ね合わせて見ることはできる。

 なぜ、ジュゴンと蝶の結びつきは終わったのだろうか。

 約2500年前には、蟹トーテムの段階に入ったと考えられる。蟹トーテムは、島人の自己認識が、「貝」から「貝の子」へ移行したこと、母系社会になったことを意味している。ジュゴンは、貝の霊のメタモルフォース態であってみれば、「貝の子」という認識にともなって、ジュゴンとの関係が間接的になったという可能性が考えられる。

 視点を変えてみると、蝶形骨器は、ジュゴン製の骨で作られたが、それは必須ではなく、ウミガメやクジラの骨でもありえた。ということは、ジュゴンの属性のうち、もっとも重視されたのは、貝、サンゴ礁といった系列のうち、この世とあの世の往還という側面だということになる。ウミガメやクジラもそのような存在だからだ。

 そこで、胞衣の側面からは少し離れてみる。

 母系社会になったということは、空間認識の拡大を意味しているはずだ。兄弟姉妹間のインセスト・タブーにより、異性愛が発生するからである。そして、空間認識が拡大するということは、時間認識の深化に対応する。過去と未来の幅がやや伸びたはずである。これはどう捉えることができるのか。

 母系社会になると兄妹始祖が設定される。それ以前は、女性始祖が考えられていた。この女性始祖は、集団のなかの「祖母」に象徴される。言い換えれば、「祖母」は始祖を体現するものとして集団の象徴たりえた。彼女こそが蝶形骨器を装着したはずである。

 そして母系社会になると、始祖は兄妹になる。しかし、兄妹の場合、人数はまちまちだし、家族も分散する。そこで象徴的な兄妹を設定することができない。そこでは、どの兄妹も始祖をいくぶんかは体現することになるが、「祖母」が担っていた象徴となる対になることはできないことになる。そして始祖は観念の領域に移行する。

 それが時間認識の深化に対応するのではないだろうか。

 そこで、胞衣はこの世とあの世を往還するとしても、蝶は必ずしもそうではないという認識と結びついたのかもしれない。蝶はいずれ、一方向にどこまでも進む時間認識となってゆく。この段階は、そこまで行かなくても、蝶はこの世をひらひらしている。あの世からもやってくる。けれど、それ以外は分からない、とでもいうような未明の部分を持つようになった。それが、ジュゴンとの結びつきを弱めた背景にあったものかもしれない。


 

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2017/05/02

「海を歩く女たち-沖縄県久高島における海浜採集活動」(熊倉文子)

 久高島では、スイジガイとクモガイは、どちらもヤルーと呼ばれる。しかも、雄と雌として区別される。

大きいスイジガイがヤルーの雄であり、小さいクモガイが雌である。(熊倉文子「海を歩く女たち-沖縄県久高島における海浜採集活動」)

 もちろんこれは色で区別されたのである。また、男貝のほうが魔除けには積極的に利用されることになったことも分かる。

 変わったものでは、フタモチヘビガイがある。

 何が変わっているのかといえば、おそらく形状のこと言っているのだと思う。(参照:「フタモチヘビガイ」

サンゴにほとんど埋もれ、殻口部だけを外に出している。銛やドライバーなどを殻口部の殻とふたの隙間に素早く差し込み、身を取り出す。今でも、イノーを歩いていて空腹を感じたときには、この貝をとり、そのまま生で食べる。甘味があっておいしい。

 生物名からは男性貝を思わせるが、方言名ではないのでこれで判断はできない。色合いからしても、女性貝のひとつではないだろうか。これも、女性のメタモルフォースの表現のひとつだったと思う。
 


『民俗の技術』

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2017/05/01

大地と胞衣

 ぼくたちはここでようやく、大地と胞衣の両方の意味を持つ言葉に出会う。

 マオリ語でウヘンナ whenna というのは、「大地」と「胎盤」の二つの意味を持っている。

 たったこれだけの引用記述だが、示唆することは大きい。これは、ユナが「砂洲」と「胞衣」の両方の意味を持つのではないかと考えているぼくたちの仮説を後押ししてくれる。

 しかもそれだけではないかもしれない。ウヘンナとユナは音韻が似ていて、どちらもオーストロネシア語に由来している。

 崎山理は、ユナについてこう書いていた。

 日本語のヨネ「米」は、原オーストロネシア語 *qenay(*henay),(原オセアニア語 *qone, *one)「砂」に由来したことが明らかである。(「日本語の系統とオーストロネシア語起源の地名」)
「州」石垣 yuuni, 波照間 (p‘ana-)yunee <**hənay> 「砂」チャ unai, サン, ənne, イヴ qanay など。(「マライ・ポリネシア語と日本語」)

 この辺の記述だけだと、「*qenay(*henay)」の音には行けても、「大地」まではたどり着けない。

 
『大地・農耕・女性』(M.エリアーデ)

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