ぶなぜー神話の位相 2
もういちど、多良間島の兄妹始祖神話の位相を考えてみる。(参照:「ぶなぜー神話の位相」)
大昔、ぶなぜーという兄妹があった。ある日、畑に出て仕事をしていると、南の方から、突然、大きな波がおしよせてきた。これを見た二人は、あわててウイネーツヅという丘にかけのぼり、波にさらわれようとするところを、シュガリガギナ(チカラシバ)にしがみついて、ようやく難をのがれた。周囲を見ると、家や村も波にさらわれてしまって、たすかったのは兄妹二人だけであった。そこで、二人は夫婦のちぎりを結び、村の再建をはかった。最初に生まれたのは、ポウ(へび)とバカギサ(とかげ)であった。次にアズカリ(シャコ貝)とブー(苧麻)を産み、そのあとに人間が生まれた。
こうして、島はしだいにもとのすがたにかえったという。
村の西方に、ぶなぜー兄妹をまつった祠があり、住民は今もこのものがたりを語りつぎながら、島建ての神として崇拝している。(『村誌たらま島 孤島の民俗と歴史』1973)
この神話は、苧麻(ブー)がトーテムになったときの世替わりを伝えたものだ。宮古、八重山で霊魂の発生は、どういう世替わりを意味したのか。
兄妹の「夫婦のちぎり」は、間接化を受けていないので、母系社会の出現を意味していない。母系社会化の世替わりであれば、苧麻(ブー)の次の蟹も出現していなければならないと思える。
兄妹の素朴な「夫婦のちぎり」なのだから、むしろ文字通りの兄妹婚姻の位相を示している。当たり前だが、これは親子婚のタブーの後を意味している。だとしたら、この神話はそのまま親子婚の破綻を意味しているだろうか。そんなことはありえるだろうか。
ぼくは、親子婚のタブー化の契機には、死の発見があったと考えている。だから、貝トーテムの後に、親子婚がタブー化されることはあり得る。しかし、貝は「死と再生」を担うのだから、遅すぎると言えばいえる。死は死で、大事件のはずだから。
こんどは、「大きな波」はザン(ジュゴン)のことだと考えてみる。ザンが後退し、苧麻が前面化するとは、どういう事態を指すだろうか。ありうるとしたら、あの世とこの世を往還するのは、ザンではなく、苧麻と解される場合だ。しかし、相互排除する必要はない。
そもそもザンは兄妹婚の象徴でもあれば、仮に親子婚の破綻を物語るのであれば、ザンとともに葬り去るのはが兄妹婚というのは順番が合わない。
「よなたま」伝承は、ザンを食らうことと海を制することとの破綻を表現している。だから、ザンを食べるということは行われていた。ザンとの関係は、奄美、沖縄よりも濃厚だったはずである。ということは、ザンはトーテムではなかったことを意味するだろうか。それは、ありえていい。
宮古、八重山は琉球弧でも霊力思考の旺盛な地域だ。そこからすれば、ザンは脱皮をしないのだから、トーテムではないのが自然だ。ただ、ここに兄妹婚が始まるというか、兄妹婚がクローズアップされているとしたら、ザンを食らうだけではなく、ザンと交わることも重視されたのはこの後ということになる。
この神話をそのまま受け取ると、宮古、八重山では、霊魂、しかも霊力内霊力というべき、弱い霊魂の発生時に、親子婚はタブー化されたと言うことになる。しかし、そんなことはありえるだろうか。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント