ジュゴンと蝶 2
琉球弧の北では、島人が「蝶」と関係を持ったのは、「貝」よりも1000年も前のことだった。死体に群がる「蝶」を通じて、脱皮する動物に、島人はトーテムを見た。それからさらに数千年後に島人はアマンをトーテムとするが、死体に群がり脱皮をするという点では、両者はまったく同じ位相を持っている。
ところが、「蝶」は「アマン」とは違い、死体に群がるということが死後との関連性を強める傾向を最初から孕んでいたのかもしれない。しかしその前に、島人は頭部への関心を強め、そこに蝶の相似形、蝶形骨を見出したとき、それを媒介に「霊魂」概念を生み出す。
もうひとつ、すでにサンゴ礁環境が用意されているこの段階で大事な出会いを行っている。ジュゴンだ。ジュゴンとの関係はどう捉えられていたのか。
ジュゴンはサンゴ礁の霊(よなたま)であるという理解は最初からあったと考えてみる。サンゴ礁の魚とは胞衣の魚という意味になる。「胞衣」を介して、人間とジュゴンはつながることになる。
ここで、島人にとって胞衣とは対なる相方だ。それは同時に兄弟にとって姉妹が対なる相方ということと同じだ。こう捉えれば、対なる相方はジュゴンまで延長される。ジュゴンも対なる相方になりうることになる。
これが兄弟姉妹婚の段階での島人とジュゴンとの関係だ。つまり、兄弟姉妹の対関係がそのまま集団の共同幻想に同致している。この共同幻想を象徴しているのが、ジュゴンだ。
もうひとつ、重要なことに気づく。「蝶」を媒介に見出された霊魂は、霊力内霊魂ともいうべき位相を持つ。霊魂はそれとして、霊力から分離していない。
たとえば、徳之島では、霊魂は、トーテムを分解再構成した変形態だった。
さてこのあり方を「貝」トーテム以前に遡れば、ジュゴンと蝶の関係ということになる。それがすなわち蝶形骨器の持つ位相を示している。あれは、霊力内霊魂のことなのだ。
それということは、あの奄美大島の手首内側の、蝶形骨器を模した文様にも同じことは言える。
この文様は、実は貝がトーテムになる以前は、大きく手の甲に描かれていたのかもしれなかった。
ただ、このジュゴン製蝶文様と貝製蝶文様は同じ位相にあるだろうか。前者の「蝶」は、実際的にはジュゴンを殺害し、その骨で作ったということからすれば、それはジュゴンの分解再構成に当たる。特に、ジュゴンの骨を二枚重ねてつくった大型の蝶形骨器はそう見える。
しかし、ジュゴンの霊力の根源にある骨をそのまま「蝶」にしているということでいえば、霊力の分解再構成というより、霊力の変形というのがふさわしい。ちょうど宮古島の手の甲の、「トゲヤからハサミ」への変形のように。
ということは、蝶形骨器が、ジュゴンの骨の一枚か二枚かで作られたということには深い意味が隠されているのかもしれない。
一枚の場合、霊力の変形だが、二枚の場合、分解再構成の意味が強まる。
ここで刺青の起源についても考えることができる。
琉球刺青のデザインでもっとも古層に届くのは、ある意味では指の背の「矢」「竹の葉」の文様だと言える。そこは蝶の分解再構成による蛇、だからだ。霊魂概念がうまれたとき、それは「霊力内霊魂」の形をしていたとするなら、刺青にはジュゴンが描かれていてよかった。しかし、それに該当する文様は痕跡としてもない。
この意味は二様に考えられる。
ひとつは、霊魂発生時に刺青は根拠を持ったが、実際に発生したのは貝トーテムの段階であること。
もしくは、貝トーテム以前に刺青は発生してたが、ジュゴン文様は兄弟姉妹婚を象徴するので、タブー化された時点で文様から外されたという可能性もある。
しかしもし後者だとしたら、奄美大島の手首内側の文様も消失されてしかるべきだ。あるいは「亀」と読み換えることで生きながらえさせたのかもしれない。
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