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2017/04/27

「柄鏡形住居に見る女神の子宮と産道の表現」(吉田敦彦)

 吉田敦彦がこれを書いたのは1993年だから、考古学上の知見も更新されていると思うが、更新すべきことは追ってするとして、「柄鏡形住居に見る女神の子宮と産道の表現」から、分かることを書いておく。

 八ヶ岳山麓の住居址の「炉」は、縄文中期初頭には住居中央にあるが、中期後半には、住居の奥に移り、さらにその奥には組石の施設が組まれ定着する。その同じころに住居入口には「埋甕」が出現し、そこに石棒が伴う傾向がみられる。

 この敷石住居は、柄鏡形住居の起源に当たるものと考えられている。柄鏡形住居は、集落内からひとつだけ見つかり、かつ住居とするには狭隘である。

 図解してみる。

Photo

 さまざまな連想が過ぎるが、ここで注目したいのは、「炉」の位置の変遷と住居入口での「埋甕」の出現である。「炉」が奥まっていくのも、入口付近に「埋甕」が置かれるのも、「あの世」の発生に対応しているのではないだろうか。死者との共存の段階から、移行の段階へと移り、集落の近くに「あの世」が発生する。

 この他界の発生に、住居が対応したのが、炉の位置の変更と埋甕の出現である。敷石住居の集落周辺を見れば、他界に該当する山や森があるはずだと思える。そうだとすれば、いわゆる環状集落は、死者との共存の段階に発生したと言えるのかもしれない。

 吉田は「埋甕」の用途について書いている。

 埋甕の用途については、周知のように、分娩の後に後産として排出される胞衣を埋納するための施設だったとする見方が、有力な専門家のあいだで、しばしば提唱されてきている。だがその説に従った場合には、卑見によれば、埋甕がこれまで見てきたようにしばしば、陽根を表わした石棒を伴って発見されることの理由は、説明をすることがきわめて困難になるのではないかと思われる。

 この理解は、石棒を陽根の意味に限定しすぎているのではないだろうか。埋甕も石棒も精霊に戻してみれば、胞衣に対して両者が思考されたとして不思議ではない。


 参照:『縄文社会と弥生社会』


『日本人の女神信仰』


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