キシノウエトカゲとジュゴン
キシノウエトカゲは、宮古では、バカギサ、パリィズィと呼ばれ、八重山ではバギラと呼ばれる(「琉球新報」)。新城島ではヤマフダチミ、西表島祖内ではボーナチだ。(「西表島・鳩間島及び新城島における 動植物の方言名について」「西表島総合調査報告書」2001)
バカギサとバギラはともかく、これらは全部、異なる言葉に見える。しかし、琉球語の音韻グラフをみれば、どれも同じなのだ。こういう場合、どれがもとになった言葉を探るには、意味が分かるものを頼りにする方法がひとつある。
宮古では、バカギサ系が「若い父親」の意味もあると聞き取りされているのが例になる(「ハイヌ(畑の)グルクン」久貝勝盛)。興味深いことに、フダチミは、ヤモリだけでなく、キシノウエトカゲにもその名がついている。フダチミはぼくの考えでは、「まあいを詰めるもの」の意味だ。キシノウエトカゲは、「若い父親」であるとともに「まあいを詰める者」なのだ。
これだけ音韻がばらけるのに、どれもひとつの言葉から発していると言えるのは、変わりうる音韻の幅が広いことに依っている。音韻グラフをもとにすれば、たとえばア行音は、ハ、ワ、ラ、タ、ナ行音と6行の可能性を持てることになる。この融通無碍な自在さが、音韻グラフが本当は何の意味も持たないと考えさせる点でもある。
しかし一方、意味があるとしたら、琉球語が島(シマ)によってまったく違って聞こえる一因にもなっている。
ここに立ち止まるのは、キシノウエトカゲがジュゴンに化身するという詞に出会ったからだ(参照:「「カーラヌ バタサヌ アブダーマ ユングトゥ」(西表島)」)。そしてここでも音韻からいえば、「ボナチェーマ」は「ザノ」になれてしまうのである。
音韻グラフが教える重要なことは、動植物が別の動植物にメタモルフォーゼするとき、言葉が伴っていたことだった。変態する動植物を言い表すとき、言葉そのものを変態させることで対応させていた。ここでは、動植物のメタモルフォ―ゼと言葉のメタモルフォーゼは同じ意味を持っている。それだけではない、ラがダに変わるように、音そのものにもメタモルフォーゼが考えられているのだ。
それは何を物語っているだろう。仮に、キシノウエトカゲの元の音をバカギサに置いてみる。するとそれは、「まあいを詰めるもの」である「フダチミ」になりうる。「ザノ」にもなりうる。「ザン」についていえば、ジュゴンのもともとの言葉は、「ユナヌイュ(サンゴ礁の魚)」を起点に置くのが根本的だと思える。にもかかわらず、「バカギサ」のメタモルフォーゼによっても「ザノ」にたどり着ける。こういう場合、言葉の一致によっても、メタモルフォーゼが考えられたということではないだろうか。
ユナヌイュ→ザン
というメタモルフォーゼが先にあり、バカギサ→ザノというメタモルフォーゼに後で気づく。そこで、バカギサはザノになりうるという思考が生まれる。
ユナヌイュ→ザン←バカギサ
という流れだ。
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