「沖縄県宮古島の無土器時代の遺跡を巡る」(江上幹幸)
宮古島の「嶺間御嶽」の由来譚では、「犬」の前進が「アマム」であり、「犬」は「アマム」が換喩的な置換を受けていることが示唆されていた。宮古島では、アマム・トーテムが痕跡としてしか見つからないので、これも痕跡には違いないが、重要な伝承であることにちがいはない。
これを別の角度からみてみる。というのも、宮古島は考古学では、紀元後1世紀から11~12世紀にかけて「空白の時代」だとされている。これに対して、「嶺間御嶽」の由来譚ではアマムの段階が示唆され、アマリ山という場所も指定されている。アマムはトーテムとして最後の動物であり、11~12世紀以前を想定することができる。この伝承は、空白の時代に対して、存在を訴えているのだ。
近年の考古学の成果では、「城辺字友利インギャー海岸に広がる」「友利元島遺跡」では、「標高約4mの砂丘地で、5~8世紀の無土器期の生活層が確認された」。「友利の後ろアマリ山」とこの遺跡の位置関係をぼくはよくわからないが、伝承と遺跡を重ねてみることはできるのではないだろうか。
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