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2017/04/30

「メタフィジーク・メタモルフォーゼ・メタファー」(山田貞三)

 著者が提示しているものを強引に図解すると下記のようになるだろうか。

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 ゲーテはメタフィジーク(形而上学)にメタモルフォーゼを対置している。言葉を豊かにふくらませて多様化するのである。ゲーテはメタモルフォーゼを植物から汲み取っているが、対象にそれだけにとどまらなかった。ゲーテにとっては、「植物の形態のみならず、動物や人間、鉱物にいたるまで森羅万象がメタモルフォーゼを遂げる存在として理解されていた」。

 ただし、際限ない戯れはカオスへと通じる「危険な賜物」とも捉えられていた。

 一方、カントにあっては、象徴あるいはメタファーの位置づけは低く、「概念を表現する言葉の貧困」に他ならなかった。象徴的にしか表現できないのは悟性概念を少ししか持ち合わせていないからだ、と。

 しかしそれで収まるわけではなく、理念世界へ超越しようとするその瞬間はメタファーでしか「橋を架ける」ことができないのも確かだった。

 こうして著者は、メタファーなりメタモルフォーゼを構成するアナロジーが、「両者ではまったく異なった意味において理解されている」ことを指摘している。

 面白いコントラストだと思う。キリスト教神学にとって、「変身とは、神の創造した秩序を破壊する異端者の犯罪にほかならない」という指摘には驚かされもした。カフカの『変身』は勇気ある行動だったのだろうか。

 メタファーはメタモルフォーゼに由来しているという視線には、ぼくたちの知らない抵抗の壁が控えているのかもしれない。

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2017/04/29

サンゴ礁期の対幻想

 試論の域を出ないが、吉本隆明の「対幻想論」での議論を、琉球弧に引き寄せて読み換えてみる。

 男・女神が想定されるようになると〈性〉的な幻想に、はじめて〈時間〉性が導入された。
 〈対〉幻想のなかに時間の生成する流れを意識したとき、そういう意識のもとにある〈対幻想〉は、なによりも子を産む女性に所属した〈時間〉に根源を支えられていると知ったのである。
 〈時間〉の観念は自然では、穀物が育ち、実り、枯死し、種を播かれて芽生える四季としてかんがえられた。人間では子を産む女性に根源がもとめられ、穀母神的な観念が育ったのである。
 この時期には自然時間の観念を媒介にして、部族の共同幻想と〈対〉幻想とは同一視された。
 このように穀物の栽培と収穫の時間性と、女性が子を妊娠し、分娩し、男性の分担も加えて育て、成人させるという時間性が違うのを意識したとき、人間は部族の共同幻想と男女の〈対幻想〉との違いを意識し、またこの差異を獲得していったのである。もうこういう段階では〈対〉幻想の時間性は子を産む女性に根源があるとみなされず、男・女の〈対幻想〉そのものの上に分布するとかんがえられていった。つまり〈性〉そのものが時間性の根源になった。
 自然の産出力に、女性の産む力が重ねられるようになると、対幻想にはじめて空間性が導入された。サンゴ礁の自然では、何もないところから、貝や魚が産み出される。その空間性は、人間では子を産む女性に根源が求められ、大地母神的な観念が育ったのである。この時期には、胞衣(子宮)空間の観念を媒介にして、種族の共同幻想は対幻想と同一視された。

 時間性の方からいえば、サンゴ礁から日ごと生まれ死に移行する太陽や月の反復と、人間の生死と再生とが重ね合わされた。

 しかし、女性はサンゴ礁のように、常に子を産んでいるわけではなく、サンゴ礁の持つ時間性とは矛盾している。この矛盾を初期のシャーマンは同致する役割を担った。

 人間は〈対〉幻想に固有な時間性を自覚するようになって、はじめて〈世代〉という概念を手に入れた。〈親〉と〈子〉の相姦がタブー化されたのはそれからである。

 人間は〈対〉幻想に固有な時間性、つまり死を自覚するようになって、はじめて〈世代〉という概念を手に入れた。〈親〉と〈子〉の相姦がタブー化されたのはそれからである。


『改訂新版 共同幻想論』

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2017/04/28

『日本人の女神信仰』(吉田敦彦)

 吉田敦彦の女神像は、徹頭徹尾、人間的だ。吉田は、クロマニョン人が残した壁画やその所在の洞窟について触れて、こう書いている。

 このことからこのような岩壁画の描かれた地下の聖所が、クロマニョン人たちによって、彼らの暮らしに必要なこれらの動物を、無数に妊娠しては生み出してくれる、有り難い母神の子宮と見なされていたことが、明らかだと思える。またそこに行き着くために通らねばならぬ、迷路のような長い地下の通路はまさしく、その母神の産道に見立てられていたにちがいないと想像できる。

 クロマニョン人はとても発達した思考を持っていたと思える。ただ、彼らのことを脇に置けば、初源は人間は自然のなかから立ち上がるもので、人間が自然を立ち上げるのではない。クロマニョン人が、吉田のいう「見立て」を行なっていたとしたら、すでに人間を介して自然を解釈する眼を彼らが持っていたことになる。

 思うに、自然の産出力に、女性の産む力を重ねたときに生まれるのが大地母神あるいは女神の像だ。この女神の持つ位相は、狩猟・採集の段階から農耕にいたるまでさまざまでありうるが、少なくともその初期においては、自然の産出力のあり方を通じて、女性の産む力を見出したことになるはずである。

 だから、吉田の女神像は、その後、人間が自身と自然を区別し、人間身体の方から自然を解釈する段階に入って以降のものだと考えられる。

 吉田は、女神の後継の姿として、「山姥」を挙げているが、その通りそれは女神の零落した表象だと思える。

 この「山姥」あるいは「祖母」の持つ位相は、対幻想を共同幻想に同致できるような人物を、血縁から疎外したとき家族が発生したという吉本隆明の言葉を思い出させる。

 「山姥」が引き継いだ女神の位相は、初期のシャーマンが象徴した女神像なのではないだろうか。

 

『日本人の女神信仰』

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2017/04/27

「柄鏡形住居に見る女神の子宮と産道の表現」(吉田敦彦)

 吉田敦彦がこれを書いたのは1993年だから、考古学上の知見も更新されていると思うが、更新すべきことは追ってするとして、「柄鏡形住居に見る女神の子宮と産道の表現」から、分かることを書いておく。

 八ヶ岳山麓の住居址の「炉」は、縄文中期初頭には住居中央にあるが、中期後半には、住居の奥に移り、さらにその奥には組石の施設が組まれ定着する。その同じころに住居入口には「埋甕」が出現し、そこに石棒が伴う傾向がみられる。

 この敷石住居は、柄鏡形住居の起源に当たるものと考えられている。柄鏡形住居は、集落内からひとつだけ見つかり、かつ住居とするには狭隘である。

 図解してみる。

Photo

 さまざまな連想が過ぎるが、ここで注目したいのは、「炉」の位置の変遷と住居入口での「埋甕」の出現である。「炉」が奥まっていくのも、入口付近に「埋甕」が置かれるのも、「あの世」の発生に対応しているのではないだろうか。死者との共存の段階から、移行の段階へと移り、集落の近くに「あの世」が発生する。

 この他界の発生に、住居が対応したのが、炉の位置の変更と埋甕の出現である。敷石住居の集落周辺を見れば、他界に該当する山や森があるはずだと思える。そうだとすれば、いわゆる環状集落は、死者との共存の段階に発生したと言えるのかもしれない。

 吉田は「埋甕」の用途について書いている。

 埋甕の用途については、周知のように、分娩の後に後産として排出される胞衣を埋納するための施設だったとする見方が、有力な専門家のあいだで、しばしば提唱されてきている。だがその説に従った場合には、卑見によれば、埋甕がこれまで見てきたようにしばしば、陽根を表わした石棒を伴って発見されることの理由は、説明をすることがきわめて困難になるのではないかと思われる。

 この理解は、石棒を陽根の意味に限定しすぎているのではないだろうか。埋甕も石棒も精霊に戻してみれば、胞衣に対して両者が思考されたとして不思議ではない。


 参照:『縄文社会と弥生社会』


『日本人の女神信仰』


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2017/04/26

『女神のこころ』(「創造」ハリー・オースティン イーグルハート)

 宗教的なところやイデオロギーなところに躓かなければ女神のカタログのように読むことができる。

 ここから、琉球弧の名もなきサンゴ礁の女神に似た面影を探してみる。

 北アメリカのスパイロー遺跡から発掘された鎧の喉あてにはクモが描かれている。チェロキー族やカイオワ族の伝説では、「年老いたクモ女が太陽の国から光を運んできた」。クモは聖地の守護者である。

 つまり、クモはあの世とこの世を行き来する者だ。目を見張るのは、このクモが「貝殻」に描かれていることだ。クモは女だとされ、「太陽を創り」ともされているけれど、もともと太陽を生んでいるのは貝なのではないだろうか。

 太陽を生むヌートは、「古代アフリカの宇宙の女神」とされている。

 太陽は毎朝ヌートから生まれ、その子宮から光を放ちます。そして毎夕ヌートに吞み込まれ、夜空という彼女の体内を旅するのです。彼女がいてこそ、星は光を放てます。

 ただ、雨も彼女の「母乳」であり、ヌートの体は「水、滴、ヘビ、多産」など、普遍的な象徴で覆われる、そのところは、貝とは位相を異にする。ヌートはもともと蛇だろうか。

 琉球弧の視野からは、「器」といえば「貝」なのだけれど、「乳房」もそれにあたっている。しかし、産む、育むという順序からいえば、子宮(貝)、そして「乳房」なのではないだろうか。

 もうひとつ立ち止まらせるのは、約6000年前のアフリカの「鳥頭のヘビの女神」だ。この女神は「地のヘビと天の鳥を統合している」。鳥は巣作りの習性から女神と結びつけられる。

 琉球弧は、鳥は蛇の零落とともに出現する。この「鳥頭のヘビの女神」は、天と地の分離の際の融合の形か、分離以前に、地の蛇と空の鳥が融合する形かのどちからかだと推察させる。


 

『女神のこころ』

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2017/04/25

「女性の霊性に関する考察 女神たちのイメージから」(藤澤佳澄.)

 著者のモチーフからは離れてしまうのだが、地母神のイメ―ジを掴んでおきたい。

 「大母神」「地母神」は旧石器時代から始まっている。狩猟・採集中心の社会では、その後継者として「動物の女主人」「山の(女)神」が崇拝される。

 たとえば、アルテミスは「野生の獣を中心としてあらゆる生命の死と誕生、成長を司る、古い地母神の性格を持つ女神であった」。

 アルテミスは人間の住む都市にはやってこない。「人間の方が女神に会うために自然の中に出かけていく」。その神話的表現は「産婆」。

 へステアは「炉もしくは竈の女神」であり、「永遠の処女神」と目されていた。

 藤澤は書いている。

 地母神が司るのが「死と再生」という変容の過程であるとするなら、処女神が司るのは「異界に繋ぐ」という「状態の魔力」ではないか。このように、考えると、処女神の霊性というものについて一つの仮説を成立させられる。異界に道を開くことで非現実的な力を現実において身につけさせてくれる、それが処女神の霊性であるという仮説である。

 この場合、「異界に繋ぐ」というのは、共同幻想と対の関係にある位相と捉えればいいのだと思う。

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2017/04/24

『POWERS OF TWO 二人で一人の天才』(ジョシュア・ウルフ・シェンク)

 以前、ビートルズの魅力をレノン-マッカートニーという創作クレジットに求めたことがある。ビートルズの魅力の核心は、ジョン・レノンとポール・マッカートニーというふたりの稀有な才を持ち合わせた個人にあるのではない。ふたりとも音楽の才に恵まれていたにはちがいないが、もしふたりが出会わなければ、それぞれの輝きは半減していただろう。ふたりの個人というわけではない、彼らの曲をあれだけのものにしたのは、レノン-マッカートニーという創作クレジットがもたらす場の力にあるのではないかと、そう考えた。

 それはとても不思議なことだ。だってそれは、ふたりが今後どちらが曲をつくっても作詞作曲「レノン-マッカートニー」とクレジットしようという合意に過ぎないのだから。たったそれだけの取り決めなのだ。しかし、そこには不思議としかいいようのない場の力が働く。実際、レノン-マッカートニー・ナンバーでのふたりの融合の度合いに分ければ、harmony型, collaborate型, help型, spice型, advice型とでもいうような五つの類型が見い出せる。(参照:『ビートルズ:二重の主旋律―ジョンとポールの相聞歌』

 協力の仕方には、ふたりの色合いが溶け込んで、もはや一方のみの要素を取り出すことができないharmony型から、あきらかに一方が作っていて、他方はadviceを加えたに過ぎないものまで幅は広い。にもかかわらず、ここにはレノン-マッカートニーというクレジットの力はどれにも生き生きと作用しているのだ。ある意味でそれをもっとも示すのは、cover型と言うのも変だけど、誰かが作った曲をカバーしたものを見るのがいい。カバーしたものにすら、レノン-マッカートニーという場の力はありありとしている。それはアレンジのどこかにレノン-マッカートニーの作用が働いているからだし、カバーにしても二人の声のハーモニーはどこかで入っている。たったそれだけでも、カバー曲というより、レノン-マッカートニー・ナンバーとして聴く者の耳に響いてくる。

 そして、次々に新しい曲を生み出していく推進力になったのは、曲づくりの応答にある。たとえば、ポールが「私を愛して(love me do)」といえば、ジョンは、「俺を喜ばせろ(please please me)」と応えるわけだ。それはまるで、相聞歌だ。そしていちどそう聴いてしまうと、彼らの曲はそのようにしか聴こえなくなる。この応答こそが、タフなスケジュールと環境のなかでも、絶えることなく曲を産み出す力になっていった。

 ところで、12年前はこうしたレノン-マッカートニーという創作クレジットを滅多に起きることのないものとして捉えていたが、そうではないという手応えがやってくるのが、この本『POWERS OF TWO 二人で一人の天才』だ。偉大な業績は「孤高の天才」がもたらすと思われているが、それは神話にすぎない。それは、「クリエイティブ・ペア(創造的な2人組)」が行うものだ。とまで言い切ろうとする勢いでこの本は書かれている。

 そこには何があるのか。著者は、魅力的なフレーズをいくつも書き出している。

真のクリエイティブ・ペアは、2人そろえば、どちらか1人で創造できることを超えて文化に貢献する。

クリエイティブな人間関係には典型的なストーリーがあることがわかった。創造的な関係には1本の弧を描き、2人が進む道を照らすテーマがある。

私たちは人生を変える人に出会うときがある。この瞬間から人生が変わるのではないかという可能性を感じる。地球上にいながら、自分たちだけが新しい軌道に飛び込むような感覚だ。

多くのペアは、自分たちにしかわからない「私的言語を持っている。(中略)2人だけに通じる言葉は、絶え間ないやり取りから有機的に生まれる。

偉大なペアは大きく違う2人であり、かなり似ている2人でもある。

ペアを組む2人が似ていることは(中略)、共通の関心と感覚が、未来のパートナーとの出会いを演出するからだ。

将来のペアの1人が磁石になり、もう1人を引き寄せるときもある。

クリエイティブ・ペアになる2人は、不思議なくらい似ていることが多い。そのような相手に出会うと、類似点が心に強く刻まれる。

果てしのない会話が続くことも、最初の出会いを象徴する。

クリエイティブ・ペアに発展する2人は、自ら創造に挑む。

 クリエイティブ・ペアの特徴には、「創造的な習慣の基礎」があって、著者はそれを「儀式」と呼んでいる。決まった時間に会う、決まった場所でつくるなどだ。そうして距離が縮まると、二人は自分たち以外の世界から切り離される。そして、レノン-マッカートニーのような2人(だけ)の約束が生まれる。

 こうした「ペアの創造的な活動と深い愛情は、区別できない場合も多い」。「創造的なペアは、創造的な活動を追求する」。著者が引用しているキュリー夫妻の言葉もいい。「私たちは夢を見ているように完全に没頭している」。

 レノン-マッカートニーについての言及も多い。というか、終始、主要な参照先になっている。著者によれば、ポールは、「ジョンが自分に差し出した挑戦的で大胆な素材を、ときにはさりげなく、ときには凝った技法で、ポピュラー音楽の言葉に乗せた」。一方、「退屈になりそうな歌をジョンが複雑な趣で生き返らせると、ポールには手も足も出なかった」。そして、ジョンとポールがそうであったように、ペアの関係は「役割の交代を通じて発展するときもある」。

 さらに「創造的な前進と同じくらい重要なのが感情のマネジメント」だ。あるアーティストと作家の組み合せでは、「どちらか一方の感情が悪化すると、もう1人の決断力が強まる」。意思しているわけではない。2人同時に落ち込まないように意識しているわけではない。単にできないのだ。

 著者のジョシュア・ウルフ・シェンクは、クリエイティブ・ペアの道程を六つのステージで捉えている。

 1.邂逅
 2.融合
 3.弁証
 4.距離
 5.絶頂
 6.中断

 興味深かったのは、6番目が終焉ではないことだ。著者は書いている。「ジョンとポールが明確に決別した時期を特定できない理由は、明確な決別がなかったからだ」。「クリエイティブなパートナーシップの場合、2人の関係から抜け出す決定的な方法がないからだ」。幕切れはある。しかし火花は消えていない。「たいていは周囲の状況に決定的な変化が起こり、バランスが失われるだけだ」。

 ただ、ジョンとポールの成り行きを追ったことのあるぼくには、著者の掘り下げに追加したくなることもある。ビートルズは少年の友情の物語のようなものだから、成熟した異性愛の場を持つようになれば、恋愛の準備としての友情は終わる。そうした成長の物語として見ることができる。しかし、よく考えてみると、恋愛したからといって、友情を終わらせる必要はないわけだ。

 それならなぜ、レノン-マッカートニーというクレジットは終わらざるを得なかったのか。それはやはりジョンが、ポールとのパートナーシップよりもオノ・ヨーコとのパートナーシップを選んだということだ。それはポールの立場からすれば残酷ですらあった。けれど、恋愛はしても友情は終わらなくていいということからすれば、やはりジョンとポールの友情にも終わりはなかった。だから、レノン-マッカートニーは終焉がなかったというだけではなく、再開へと開かれていたといっていい。

 それでもそれはなかった。その可能性は点滅しながらも、火花を散らすことがなかったのは、レノン-マッカートニーがどれだけ偉大だったとしても、ビートルズはジョージ・ハリスンとリンゴ・スターを加えて四人で成立するものだったからではないだろうか。ビートルズは、レノン-マッカートニーというクリエイティブ・ペアを軸にした共同体だったからだ。レノン-マッカートニーは、二人揃えば成り立つが、ビートルズは四人いなければならない。そこにはさらに複雑な要因がからむことになる。それに、いつも夢見がちに前を向いていたジョンは、そうそうに死者と化してしまった。

 また、著者が提示する六つのステージは、「邂逅」「融合」などの状況の他に、「弁証」や「時間」などの方法にかかわるものが混ざっていて混乱しないでもない。そこで、別のものを対置したくなる。

 1.火花
 2.融合
 3.方法化
 4.継続
 5.受容

 説明は要らないだろう。5の「受容」については、「中断」にせよ再スタートにせよ、それまでとは異なるものを受容することを指している。生き証人であるポール・マッカートニーの足跡をみれば、彼のなかでレノン-マッカートニーは終わっていないが、そこでは、ビートルズの解散、つぎにジョンの死という深刻な受容を経なければならなかった。そしてここ数年のことで言えば、これまであくまでパートナーとして向こう側に置いてきたジョンについて、「ジョンになる」という受容をし始めているというのがぼくの見立てだ。

 12年前、ただただ仰ぎ見るように羨ましく憧れたレノン-マッカートニー・クレジットは、この本を通じて、誰にでも開かれた、起こり得る関係として見えてくる。そしてもし自分にそのチャンスが訪れたなら、それにはきっと乗らずにはいられない。
 

『POWERS OF TWO 二人で一人の天才』

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2017/04/23

『言霊と他界』(川村湊)

 川村湊の『言霊と他界』をガイドに「言霊」をめぐる議論を一瞥する。

 「言霊信仰」はふつう、このように捉えられている。

 言霊の信仰とは、我々が発する言語には精霊があって、その霊の力によってその表現の如くに事が実現すると信ずることである。「雨降る」といへば、これを言ふことによって「雨降る」といふ事実が実現すると考へる。不吉な言を発すれば、そこに不吉な事が現はれるのである。(時枝誠記『国語学史』)

 しかし考え方はそれぞれのようで、平田篤胤に源流を持つ「音義言霊派」もあれば、「言語によって表現されない思いの部分こそが、言霊によって語らずして通じなければならない」という富士谷御杖の考えもある。

 音議論でいえば、「是人の声の霊なり、夫人は各七十五声毎に義理備る。其義を号けて言霊といふ」(中村孝一道)のが、「模範回答」と紹介されている。

 折口信夫は、言語に付着する「たましい」こそ「ことだま(言霊)」に他ならないと考えた。しかし単語ではない。

どんな語の断片にも言語精霊が潜んでいたのではない。完全な言語の一続きでなければならなかった。その外には嘗て一続きの形であった言語の断片化して残ったもの、即ちいまは断片化してゐるが本来の意味をその使用法によつて感ずることのできる詞、これ以外には、言霊が内在すると見たとはいへぬ。それは咒文に潜んでいる霊魂で、単語にあるものではなかったのである。(『国史大辞典』)

 ぼくたちがサンゴ礁の神話的世界で目撃しているのは、メタモルフォースする動植物は、その呼称もメタモルフォ―スしているということだ。しかも、一音いちおん変態している。それは、折口説よりは音義説に近く、単語そのものに精霊が宿る。あるいは、単語そのものを精霊と見なしていたことを意味するのではないだろうか。

 ところで川村湊は、渡来した「文字」が聖なるものとして優位であった状況下で「言霊信仰」は生まれたと見なしている。それが「言霊」を考えるうえで「手離すことのできない条件である」、と。しかし、サンゴ礁の神話世界は、そうではないことを示している。
 

『言霊と他界』

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2017/04/22

サンゴ礁の神話モデル

 貝と胞衣について、ぼくたちには何に感銘を受けていると言えばいいだろう。

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 島人が、サンゴ礁を「貝」と見なしたとき、シャコ貝と同じものをそこに見たはずだ。しかし、「サンゴ礁は貝」と言えば、ぼくたちにはそれはメタファーに聞こえる。また、礁池は胞衣、しかも動植物がメタモルフォースを行う不思議な胞衣空間と見なした。それもぼくたちにはメタファーに聞こえる。

 こうしたメタファーに見える関係を、島人はメタモルフォースによって神話的な世界をつくっている。それが感銘の由来のひとつの理由になる。

 もうひとつ感銘を受けることがあるとすれば、このサンゴ礁の思考は、ひょっとしたら、現在の科学的思考が捉えるサンゴ礁理解よりも深いのではないかと思わせることもあるだろう。

 さらに言えば、このサンゴ礁空間は、ひとつの自然モデルとして、他の、たとえば都市空間などの構想に生かせるのではないかと思えること。それも、感銘をもたらす一端になっている。

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2017/04/21

メタモルフォースした言葉の相互関係

 貝(gira)のメタモルフォースから生み出された言葉相互の関係を見てみる。

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 貝(gira)に対して、太陽(tida)、胞衣(iya)、ジュゴン(zan)は隠喩的関係にある。また、貝(gira)に対して、岩場(pida)、干瀬(pisi)、そして、砂州(yuna)、礁池(ino:)から澪(nu:)にかけては、貝の部分をなすので換喩的関係だと言える。

 同じように、胞衣空間(yuna)も貝(gira)の一部であり、貝(gira)に対して換喩的関係にある。

 名前は、同じ言葉をメタモルフォースさせながら、相互の関係は、隠喩的にと換喩的にと無意識に分けて考えられたのだと思える。


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2017/04/20

メタモルフォースを軸にした生命の循環

 メタモルフォースを軸にした生命の循環の図を更新しておく。

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 いくらか落ち着きがよくなっただろうか。生命は「あの世」からもたらされ、「あの世」へ返っていく。

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2017/04/19

「自然の構築」(フィリップ・デスコラ)

 咀嚼しきれないのだが、なんとなくヨーロッパ人は大変だなと思う。デスコラは相対主義は採りたくない。「自らの自然の定義を他のすべての文化をはかる暗黙の物差しとする唯一の文化であるという特権的な立場から逃れる道は絶たれる」からだ。

 デスコラは、「非人間の社会的な客体化を組織する精神モデルを、文化を跨いで存在する有限の組み合わせとして扱うことができる」と信じる。

 デスコラにそれはどのように捉えられているのか。

 自他を区別する様式には、「トーテミズム的なシステム」と「アニミズム的なシステム」がある。

トーテミズム的な分類が、自然種の間にある経験的に観察可能な非連続性を用いて、社会的単位の境界を定める分類秩序を概念的に組織するのに対して、アニミズムは自然の存在物に人間的な性向と社会的な属性を授ける。アニミズム的なシステムはそのためトーテミズム的な分類の対称的な反転なのである。

 だから、非人間は、「トーテミズム的なシステム」では「記号」として扱われ、「アニミズム的なシステム」では「関係の項」として扱われる。

 アニミズムでは、「ナチュラリズムが隠喩的にしかつくりだせないような人間と非人間の連続性を、儀礼によって生みだされる象徴的なメタモルフォーゼにおいて概念化する」。

 これをサンゴ礁の思考に引き寄せて言い直してみると、人間と非人間の連続性は、儀礼だけではなく習慣的な行動のなかで思考されるメタモルフォーゼにおいて身体化される。それは、現代人には隠喩的にしかつくれないものである。

 関係の様式には、「互酬性」、「捕食」、「保護」がある。

 互酬性において、

内的な交換は、エネルギーの一部が非人間に返礼されるように組織されなければならない。他にも様々な方法があるが、「動物たちの主」への人間の魂の返還と、その帰結として起こる被狩猟動物への転身によって、エネルギーのフィードバックは確実に行われるものになっている。人間と非人間は一方が他方の代わりとなるものであり、両者は共に、互酬的交換によって、宇宙の一般的均衡に貢献している。

 これはサンゴ礁の思考にも見られる。人間は貝を食べるけれど、死では人間は貝に食べられる。そう言ってもいい。
 
 捕食では、人間は栽培植物と血族的な、森の動物たちとは姻族的な紐帯でつながっている。しかし非人間は、人間との交換のネットワークに入っておらず、非人間は、植物の場合、女性や子供の血を吸うことで、被狩猟動物は、過剰な狩猟者たちを蛇が咬むことを、「動物たちの主」に委託することで報復しようとする。

 この互酬的な捕食は、人間同士の関係も統制する。ここで挙げられているのは、首狩りと不断の争いだ。ぼくはこのところは、霊力思考に霊魂思考が混融したときに起きる一態様として理解してきた。

 保護は相互に利益をもたらすだけでなく、しばしば非対称的な関係の反復によって異なる存在論的なレベルを繋ぐ、増幅する依存の連鎖である。
カミは、時にローカルな経済で特に重要な動植物の化身となり、人間が利用し保護する非人間の究極的提供者として-時には直接の生みの親として-捉えられているだけではなく、人間の始祖や守護者として捉えられている。

 つづいてカテゴリーの様式。

 動植物の民俗分類は、多くの場合に類似性の原理、つまり隠喩的な図式に従って組織されるが、命名の意味論的な側面では、亜属の分類群のレベルでは、名づけを決定するのはしばしば換喩的な図式だ。

 これもサンゴ礁の思考に引き寄せてみると、サンゴ礁と胞衣の命名は隠喩的だが、サンゴ礁内の自然物の命名は換喩的だ。ただ、どちらもメタモルフォーゼを基底において、同じものの別の形という同一性を保持している。

 トーテムである非人間との関係は、互酬でも捕食でもない。

トーテム種は社会の分節の単なるシニフィエである以上、人間との互酬的な関係に参入することができないからである。

 しかし、オーストラリア外では、「純粋なトーテミズムのシステムは例外的」であり、アニミズム的なシステムと組み合わさっていて、それによって互酬的な関係を表すことが可能になっている。

 この文脈に添えば、琉球弧も「トーテミズム的なシステム」と「アニミズム的なシステム」の組み合わせだと言える。

 こうした理解が人類学に一般的なら、サンゴ礁の思考は、「トーテム」という言葉を使いこそすれ、「トーテミズム」とは言えないことになる。しかし、トーテミズムを「記号」として扱うのは、「人間の性向や行動の原因が植物や動物に由来する」という「人類学の最も古い難題」を、難題にし続けるのに寄与してしまうのではないだろうか。

 むしろ、オーストラリアのトーテミズムを、トーテミズムのアニミズムとの組み合せによる一態様として位置づけるのがいいのではないだろうか。これは、レヴィ・ストロースの後遺症のようにも見える。

 デスコラは「多次元的人類学」の地平を念頭に置いている。

そこでは、石斧やクォーク、栽培植物やゲノムマップ、狩猟儀礼や石油産業を、人間だけでなく非人間をも含みこむ諸関係の単一セット内の多様なヴァリエーションとして理解することが可能になるだろう。

 ここは共感すると言っていいのかもしれない。ぼくに見えているのは、それを可能にするのは、比喩の力であり、その基底にはメタモルフォーゼがあるということになる。そこまでの射程を持つかは分からないけれど。デスコラの「自然の構築」に対置させれば、「自然の編集」になるだろうか。 
 


『現代思想 2017年3月臨時増刊号 総特集=人類学の時代』

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2017/04/18

二重のメタファー

 「サンゴ礁の夢の時間」でもっとも根本的な認識は、下図で表せる。

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 この「貝」はサンゴ礁のことだ。サンゴ礁を比喩的に「貝」と見なしたのではない。それは文字通り、島人の捉えた巨大な「貝」なのだ。そしてサンゴ礁としての「貝」が内側に抱えるイノー(礁池)は、「胞衣」だった。

 しかもその「胞衣」は、いまのぼくたちが思う羊水や胎盤のこと、そのままではない。無から有がメタモルフォースを繰り返して現出する不思議な「胞衣空間」とでも言うべきものだ。この「胞衣空間」では、無から有のベクトルではなくて、元の精霊へ戻るベクトルも存在している。

 しかも、言語から見る限り、「胞衣空間(yuna)」は、「貝(gira)」のメタモルフォース形なのだ。

 「貝は胞衣」、こういうとぼくたちには、メタファーに見える。しかも、ぼくたちの眼には「サンゴ礁は貝」と言ってるように見えるから、これもメタファーに見える。「サンゴ礁は貝」、「礁池は胞衣」、そしてそのうえに島人の認識を重ねれば、「貝は胞衣」なのである。

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 だから、島人の認識は、ぼくたちには二重のメタファーとなって響いてくる。

 とても不思議だ。

 これは、なんというか、現在に生かせる世界のつなぎ方に示唆を与えていないだろうか。ぼくたちがここで受ける感銘に似た心の動きは何ごとかを語っているのではないだろうか。

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2017/04/17

メタモルフォースは言語精霊の不思議な業

 動植物のメタモルフォースについて、ぼくたちは何を見ていることになるのだろうか。いまそれを敢えて数式に表現すれば、こうなる。

 1.A→B
 2.f(A)→f(B), f(A)=a1a2・・・an(anは一音)
 3.a1→b1, a2→b2,・・・,an→bn

 A,B:動植物・自然物
 →:メタモルフォース
 f(A)=a1a2・・・an :Aの名称

 典型例をあげれば、バカギサ(キシノウエトカゲ)からカタカス(オジサン)へのメタモルフォース(変態)である。

 動植物のメタモルフォースを追うと、その呼称のメタモルフォースに行き当たる。そして、呼称のメタモルフォースは、それを構成する言語のメタモルフォースが支えている。やはり、言語もメタモルフォースするのだ。

 これは言うところの「言霊」のことではないだろうか。折口信夫は書いている。

所謂「言霊の幸サキハふ国」とは、言語の精霊が不思議な作用を表す、と言ふ事です。つまり、言葉の持つて居る意義通りの結果が、そこへ現れて来ると言ふ事が、言霊の幸ふと言ふ事です。つまり、さう言ふ事を考へて来るのは、やはり根本に、言葉の物を考へさせる力を考へ、更にそれからまう一歩、その言語の精霊の働きと言ふものを、考へて来たのです。つまり、我々の周囲にある物が、皆魂を持つてゐるやうに、我々の手に掴む事が出来ない、目に見る事も出来ないけれど、而も自己の口を働かしてゐる言葉に、精霊が潜んでゐるのだ、と言ふ風に考へた訣です。(『国語と民俗学』)

 ここでいう言語精霊のことだ。ぼくたちが目撃しているのは、「魂」というより「霊力」なのだが。

この、言霊の幸ふと言ふやうな事を言ひ出した時代は、日本の国でもさう古い時代とは思はれません。それに似た信仰は、古くからあつたに違ひないのですけれども、言霊の幸ふと言ふ言葉は、言葉の形から見れば新しい形です。少くとも、万葉集などゝ言ふ書物に書かれてゐる歌が、世間で歌はれて居た時代です。だから少くとも、奈良朝を溯る事そんなに古い時代に、起つた言葉だとは思はれません。けれども、それと同時に、言霊が不思議な働きをすると言ふ信仰は、それではそれ以前はなかつたかと言ふと、全然なかつたとは言ひ切る事は出来ません。

 ここが、ぼくたちの引き取る個所だろう。「奈良朝」以前の言語精霊の祖型。その作用は、言語自体のメタモルフォースに見ることができるのではないだろうか。

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2017/04/16

宮古島漲水御嶽伝承(真下厚)

 真下厚は、「神婚神話伝承の形成」のなかで、1970年代に漲水御嶽伝承について昔話調査を行い、27話を採録している。

 真下によればそれは、「娘が出産し子を連れて蛇と再会する、出産再開型とでも呼ぶべき型と、子を流産させる、流産型とでも呼ぶべき型」に分類している。

 そして、『宮古史伝』の伝承を従来のものと比較したうえで、「浜下り出産のモチーフの入り込んだ漲水御嶽伝承は『御嶽由来記』などに拠ったのではなく、当時の口承資料に拠ったものと思われる」としている。また、「浜下り由来となるいわゆる流産型の宮古島への伝搬は新し」いとしている。

 その流産型においても、おりた蛇の子が「神々、あるいはその使い」となることに真下は、「浜下り由来の話が沖縄本島から伝搬してきたとき、その蛇の子を神として崇めずにはいられなかった宮古島の人々の神への崇高の高さを示していると思われる」、と書いている。

 一方、大城御嶽の由来伝承では、女神は若い男とみあいする夢をみて懐妊し、男女二児を生む。父が分からないので、初めて行き会う者を父と定めようと、子供を抱いていくと、山の前の大岩に大蛇が這いかかっている。子供をみると、首をあげ尾をふってよろこび躍るような風情にみえたので、これを父となした。これより狩俣邑はじまり子孫栄える。

 真下は、ここには苧環型のモチーフもみられず、古型に当たるだろうとしている。

ところが漲水御嶽が平良という一大政治勢力の拠点で文化的に開かれた地にあったため、伝搬してきた「蛇聟入〈苧環型〉」の話型によって大きく変容し、新たなる伝承として定着し、さらには近代にいたって村芝居という新し刺激を受けて成長・展開をとげたと考えられるのである。

 真下が採録した27話のうち世間話として除外された1例を除く26話の分布を整理してみると、

 出産再会型 4
 流産型 22
 ・浜下りの由来 15
 ・おりた蛇の子が近在の御嶽の神となる 3
 ・片目の蛇を語る 4

 となっている。つまり、42%は神が蛇由来のものであることを語っている。とくに、「流産型」であっても、蛇との縁を切っていないのは、22話中7話(32%)になる。 

 これを真下は、「その蛇の子を神として崇めずにはいられなかった宮古島の人々の神への崇高の高さ」と書く。そうには違いないが、もっとも重要なのは、神が蛇由来のものであることを消さなかった点にある。そこに心動かされる。 
 

『声の神話―奄美・沖縄の島じまから』

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2017/04/15

「宮古島の二つの壺」(居駒永幸)

 居駒永幸は、ふたつの「壺」に着目している(「海の宮」12号)。ひとつはティダガガマ(太陽の洞窟)の「壺」であり、もうひとつはンナフカ祭の「壺」である。

 前者の万古山の祭祀は、西側の「ヤマトドマイ(泊浜)」と北東のクーラ浜で潔斎してから行ったということが書き留められている。洞窟の前に、その本源であるサンゴ礁とのつながりを保ったということだ。

 ンナフカ祭の「壺」は「瓶」のことで、イーヌカミ(エイの瓶)と呼ばれている。この壺は、神女が躍る際、「ユーザスが白いカンパニ(神衣)の懐にイーヌカミを隠し持ち、ツカサたちと一緒にユークイをうたい踊る」。この場面が印象的だ。

 居駒は、「一つは天界から太陽神が与えたユーと生命の壺。もう一つは海の彼方の竜宮からもたらされた豊穣・富貴自在の壺」と整理している。

 ぼくたちはここに、「壺」の原型がサンゴ礁としての貝であるのを付け加えることができる。ティダガガマの壺も、ンナフカ祭のイーヌカミも、もとはこの大きな「貝」に発祥していた。

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2017/04/14

二様のメタモルフォーゼ

 いま、ぼくたちは二様のメタモルフォーゼを考えていることになる。(参照:「「カーラヌ バタサヌ アブダーマ ユングトゥ」(西表島)」「キシノウエトカゲとジュゴン」

2

 1のメタモルフォーゼは、形態や色合いや動作の類似から考えられたもの。その思考に添って、「カタカス」という言葉も、「バカギサ」から生まれた。

 2のメタモルフォーゼは、「ザン」が「バカギサ」の言葉の変態でありうるという言語の類似(一致)から考えられた。「ザン」は、「バカギサ」という言葉から生まれたわけではないが、できていた言葉は、バカギサからも辿れることから、メタモルフォーゼが思考された。

 2もありえたと考えられるためには、やはり動植物の変態と言葉の変態とが、等価と見なされる必要がある。言葉は霊力の表現の大事なひとつに他ならなかった。

 ぼくは少し胸躍るのを抑えられない。動植物間のメタモルフォーゼについて、伝承や古謡に依るしかないことに心もとなさを覚えていた。しかし、言葉も変態するのであれば、呼称から動植物のメタモルフォーゼにアクセスできる可能性を手にすることができるのだ。もちろん、形態や生態の類似を大事にして。

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2017/04/13

キシノウエトカゲとジュゴン

 キシノウエトカゲは、宮古では、バカギサ、パリィズィと呼ばれ、八重山ではバギラと呼ばれる(「琉球新報」)。新城島ではヤマフダチミ、西表島祖内ではボーナチだ。(「西表島・鳩間島及び新城島における 動植物の方言名について」「西表島総合調査報告書」2001)

 バカギサとバギラはともかく、これらは全部、異なる言葉に見える。しかし、琉球語の音韻グラフをみれば、どれも同じなのだ。こういう場合、どれがもとになった言葉を探るには、意味が分かるものを頼りにする方法がひとつある。

 宮古では、バカギサ系が「若い父親」の意味もあると聞き取りされているのが例になる(「ハイヌ(畑の)グルクン」久貝勝盛)。興味深いことに、フダチミは、ヤモリだけでなく、キシノウエトカゲにもその名がついている。フダチミはぼくの考えでは、「まあいを詰めるもの」の意味だ。キシノウエトカゲは、「若い父親」であるとともに「まあいを詰める者」なのだ。

 これだけ音韻がばらけるのに、どれもひとつの言葉から発していると言えるのは、変わりうる音韻の幅が広いことに依っている。音韻グラフをもとにすれば、たとえばア行音は、ハ、ワ、ラ、タ、ナ行音と6行の可能性を持てることになる。この融通無碍な自在さが、音韻グラフが本当は何の意味も持たないと考えさせる点でもある。

 しかし一方、意味があるとしたら、琉球語が島(シマ)によってまったく違って聞こえる一因にもなっている。

 ここに立ち止まるのは、キシノウエトカゲがジュゴンに化身するという詞に出会ったからだ(参照:「「カーラヌ バタサヌ アブダーマ ユングトゥ」(西表島)」)。そしてここでも音韻からいえば、「ボナチェーマ」は「ザノ」になれてしまうのである。

 音韻グラフが教える重要なことは、動植物が別の動植物にメタモルフォーゼするとき、言葉が伴っていたことだった。変態する動植物を言い表すとき、言葉そのものを変態させることで対応させていた。ここでは、動植物のメタモルフォ―ゼと言葉のメタモルフォーゼは同じ意味を持っている。それだけではない、ラがダに変わるように、音そのものにもメタモルフォーゼが考えられているのだ。

 それは何を物語っているだろう。仮に、キシノウエトカゲの元の音をバカギサに置いてみる。するとそれは、「まあいを詰めるもの」である「フダチミ」になりうる。「ザノ」にもなりうる。「ザン」についていえば、ジュゴンのもともとの言葉は、「ユナヌイュ(サンゴ礁の魚)」を起点に置くのが根本的だと思える。にもかかわらず、「バカギサ」のメタモルフォーゼによっても「ザノ」にたどり着ける。こういう場合、言葉の一致によっても、メタモルフォーゼが考えられたということではないだろうか。

 ユナヌイュ→ザン

 というメタモルフォーゼが先にあり、バカギサ→ザノというメタモルフォーゼに後で気づく。そこで、バカギサはザノになりうるという思考が生まれる。

 ユナヌイュ→ザン←バカギサ

 という流れだ。


 

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2017/04/12

トーテムの系譜と島人の思考 2

 蟹トーテムに対する認識を加えて、「トーテムの系譜と島人の思考」を更新しておく。

Photo


 これが伝承や考古学的事実と符合するか、確かめていこう。動植物たちの謎かけ。


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2017/04/11

「カーラヌ バタサヌ アブダーマ ユングトゥ」(西表島)

 これは、『八重山古謡』で見知っている詞とは異なっている箇所があって、とても関心をそそられる。

 井戸 端にいる 蛙に 羽が生えて 飛ぶまでも
 屋戸の 桟にいる ヤモリが 大海に下って フカになるまでも
 森森の セマルハコガメが 大海に下って ウミガメになるまでも
 ヒルギの 下にいる ヒルギ貝が 珊瑚礁に下りて シャコガイになるまでも
 家の まわりにいる キシノウエトカゲが 大海に下って ジュゴンになるまでも
 石垣の 隙間にいる カタツムリが 大海に下って 夜光貝になるまでも
 我々の 命も 島と 共に あらしてください
 このようなお願いであります

 重要なのは、もともとの音だ。

 カーラヌ バタサヌ アブダーマ バニバムイ トゥブケ
 ヤドゥヌ サンヌ フダチメマ ウブトゥウリ サバナルケ
 ムリムリヌ ヤマメーマ ウブトゥウリ カミナルケ
 ブシキヌ シタラヌ キゾガマ ビーニニウリ ギラナルケ
 ヤーヌ マールヌ ボナチェーマ ウブトゥウリ ザノナルケ
 グシクヌ ミイヌ キザメーマ ウブトゥウリ ヤクナルケ
 バカケラヌ イヌテ シマトゥ トゥミ アラショリ
 カシユゥ ンザリ

 『八重山古謡』のユングトゥと異なるのは、キシノウエトカゲが、なんとジュゴンになることだ。もうひとつは、カタツムリがヤコウガイになる詞が付加されている。

 キシノウエトカゲがジュゴンになる。「ボナチェーマ」が「ザノ」。ぼくたちは音韻の変化について、法則的なものを仮説していrから、それに従うと、「ボナ」→「ザノ」はありうる。

 ありうると仮定すると、なぜキシノウエトカゲがジュゴン、なのだろうか。

 ・両者とも、貝と蛇の精霊の化身態である。
 ・砂地を這う(這うように泳ぐ)

 しかし、前者はトーテムであり、後者は胞衣魚だ。これ以上は、いまのところ進めない。

 カタツムリがヤコウガイというのは分かる気がする。「キザ」が「ヤク」になるのもありえる。

 石垣に詰めるカツムリ。おそらくヤコウガイは、サンゴの石垣に詰めているように見えるのだ。殻の様子も似てないこともない。

 直観だけれど、これは『八重山古謡』の詞よりも新しいのではないだろうか。

 子蛙が、翅をはやして化身するのは「蝶」だと、ぼくたちは仮説している。そして、「アブダーマ」は、音韻からも「ハビラ」になりうる。でき過ぎで戸惑ってしまう。

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2017/04/10

「南島の入墨(針突)について」(小原一夫)

 小原一夫が『南島入墨考』(1962年)を出すずっと前に、針突きについて論考を発表していた。その1947年の「南島の入墨(針突)について」は、『南島入墨考』の部分要約に見えて読み流してきたが、注意していると、ここにも重要な記述があった。『南島入墨考』では割愛された箇所だ。

昔から伝わるこの入墨の文様を、左手と右手とを突き違えた入墨施術者に、美しく優しい八重山乙女が自らの手を食ひ切って、再び突き直させたと云う挿話が、今にも語りつがれて、これが如何に重要であり、且つ神聖なものであったか、と云ふことを示して居る。

 右手左手の文様の違いには意味があったこと、とても重要だったことが示されている。それを知らずに追ってきたぼくたちの眼にも、左右の違いに格別の意味を見出してきたから、この聞き取りはかけがえがない。

 もうひとつは奄美大島の歌謡だ。

 彩入墨つかし
 片手ささぐれば
 天の白雲を取つたごとくに

 この歌謡は、針突きをした女性の、誇らしげで躍る気持ちが伝わってくる。輪踊りの詞の横に置くといい。

 腕あげれあげれ綾はづち拝ま
 腕あげれあげれ玉乳拝ま

 針突きについて書かれたものはいくつかあるけれど、重要な示唆は、大部分は小原の取材した伝承や老女からの伝承から受け取っている。調査時期がはやかったことにも依るだろうが、小原には何かそういった大切なものを引き寄せる力があったのではないだろうか。

 参照:「琉球文身」

 

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2017/04/09

「胞衣笑いの深層-霊魂の交通」(飯島吉晴)3

 ぼくはまだ、笹森儀助の「昔は沖縄の妊婦は、出産の時には必ず胞衣を喰い、火で温めて汗を出した」(『南島探検』)という記述を見つけられていない(参照:「胞衣笑いの深層」(飯島吉晴))。

 しかし中国の歴史書にも日本の文書にも「胞衣を食らう」記述は出てくる。これは、台湾タイヤル族の「死の起源」に言う「糞まみれ」の別表現ではないだろうか。(参照:「脱皮と糞まみれ」

 本土の雪隠参りでも赤子に糞を食べさせる真似をする(参照:「「雪隠参りと橋参り」(小野重朗)」)。これは、脱皮の仕草なのだ。

 赤ちゃんは、母親の身体から脱皮した新しい身体である。脱皮した抜け殻はふつう抜け殻に留まる。しかし人間の場合、抜け殻に相当する母親の身体が脱皮を自分のものにするためには、「食べる-食べられる」が人間と自然の関係であった段階では、母親が赤ちゃんに食べられるか、母親が赤ちゃんを食べるかして、脱皮を自分のものにしなければならない。

 この段階では、子供と糞は産むことにおいて等価と見なされる。それが、タイヤル族の神話で、「糞まみれ」になることが不死の条件である意味だ。

 ところで、赤ちゃんの場合、赤ちゃんに食べられるわけにも、食べるわけにもいかない。そこで、もうひとりの赤ちゃんである胞衣を食べた。だから、胞衣を食べるということは脱皮の表現なのだ。

 飯島は書いていた。

沖縄ではなぜ産婦が胞衣をたべたのか、はっきりとした理由はわからない。葬式で、長寿の死者を儀礼的に食う風習と関係があるのかもしれない。

 この視点からみれば、この段階での食人も死者の脱皮の表現だったことになる。

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2017/04/08

琉球語の音韻グラフ 2

 嘉味田宗栄(かみだそうえい)の『琉球文学表現論』。この、とても魅力的なタイトルで、けれどひどく孤独な顔つきをした本。ここから、音韻変化の例を抜粋してみる。

1.二→ミ

「ニ」-「ミ」の対応で、「ニイ」が「ミイ」と音声表出される接頭語「新」は、「ミーユミ」(新婦)、「ミーメー」(新米の飯)、「ミーヤー」(新築の家、新しく分家した家)、「ミーミチ」(新開の道)など出てくる。

 これは、ミ→ニで逆はないという中本正智の説とはベクトルが逆になる。しかし、新しい言葉である「新」の「ニ」を「ミ」に引っ張ったと見なすことはできる。

2.ナ←→ラ

「見せ(む)ことに」にあたる「見シラ(ナ)クトゥニ」を、「ミシ(ラ)ナークニ」又は、「ミシナークニ」と表出し述語に対する副詞的修飾語をなすことがある。「ラ」が「ナ」と表出されるのは、琉球方言に著しい舌内音〔n〕-〔r〕の交代による。

3.m←→b

 さしぶ。さしもの-サシモノ-サシブヌ-サシブ 
 斎みうち-イミウチ-イビウチ-ウブウツ-ウブツ
 貴人、貴び人、貴み人-たたみひと、たたみっちゅ、たたみちゅ

 嘉味田は、「〔m〕-〔b〕の交替」と法則のように書いているが、上記はどれも嘉味田の仮説である。そして、「斎みうち」についてぼくは別の仮説を持っている。この交替は、「けむい-けぶい」のように大和言葉の例からの発想に見える。ただ、典型的な通韻例ではある。

4.イ←→ヤ

 ニライ・カナイ。

ニルヤ・カナヤとも表出する。イとヤとの交替である。

 これは、もともとヤ行が、イとア、ウ、オの複合でできていることから発生している。

5.リ→ニ、リ→イ

音節「リ」は、「リ」のほかに、「ニ」や「イ」になるという一般的なきまり

6.ア行→ヤ行

「ア」-「ヤ」の移行で、「あひて」が「やひて」、「あてィ」、「アティ」-「ヤティ」がみられる。

 これも4に同じ。

 ここで、3を視野に入れて、音韻グラフを更新してみる。


2

 参照:「琉球語の音韻グラフ」

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2017/04/07

蟹がトーテムになるとき

 蟹は貝に化身するから、貝の子という位相を持つ。蟹がトーテムになるとき、それに対応する人間側の位相がうまくつかめていない。

 考えられる可能性は三つある。

 1.親-子という世代を持ったこと。
 2.兄弟-姉妹間の婚姻が禁止されたこと。
 3.日光感精

 1は、「死」の発生の契機のひとつになりえるが、それは、貝トーテムの段階の前に発生していなければならない。だから、この可能性はない。

 2の可能性はこういうことだ。貝トーテムは女性性を強く持つ。その作用で、蛇トーテムは男性性を帯びることになる。「女性が産むこと」が至上であったとき、貝トーテムと矛盾しない。

 しかし、兄弟-姉妹間の婚姻が禁止され、母系社会化すると、貝と蛇を融合する存在が必要になる。子供が女性から生まれることに加えて、母系からの霊力の贈与と考えられる必要があるからだ。蟹は「貝の子」だから貝との結びつきは強い。一方、食べられることからいえば、トカゲ-蛇とのつながりを持つ。つまり、蟹は貝性と蛇性を持った動物だ。そこで、蟹がトーテムとして選ばれる必然性が出てくる。

 これは、島人が岡上から浜辺へ居住した段階に対応させることができる。ここで、人間は渚に生まれるという思考も明瞭になったはずだ。この可能性は、考古学上の知見と照らし合わせて確かめていこう。

 もうひとつ、民話で、蟹は蛇を退治する役柄として出てくることも、この延長で示唆を受け取ることができるかもしれない。猿蟹合戦も。

 3は、いまのところぼくはグスク時代以降のこととして想定している。この場合、御嶽の発生がはやくなってしまうので、この可能性は低いと思える。

 2の場合はさらに、示唆を受け取ることができるかもしれないのは、多良間の創生神話についてだ。そこでは、トーテムは蛇、トカゲ、貝、苧麻と、トーテムは揃っているのに、そこで途絶えていることに謎を残す。つまり、その次の蟹が割愛されているのだ。

 ぶなぜー兄妹は、津波に襲われるが、ウイネーツヅにのぼってシュガリガギナにしがみついて難を逃れる。蟹は津波やシュガリガギナにはなれないが、島や陸地にはなれる。このウイネーツヅは蟹に相当しているのかもしれない。(参照:「ぶなぜー神話の位相」

 ぶなぜー兄妹はその後、夫婦の契りを結ぶので、母系の壊れと受け取れるが、逆に母系社会以前を示しているのかもしれない。すると、蟹が登場しない理由になる。この場合、ぶなぜー兄妹がトーテムに先立つことと契るところが、後に変形させられたところだ。つまり、神話の原型は、四つのトーテムの後に女が出現していたはずだ、ということになる。

 あるいはもっと単純に、母系社会以前の神話の変形の可能性もある。


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2017/04/06

琉球刺青、各島の類縁

 この縮尺じゃ、見にくいだろうけど、ある程度、島の位置との関連を持たせながら、刺青デザインを分布させてみた。

Photo_2

 このデザイン分布は、ある確からしさで歴史の反映を見ることができる。沖永良部島と与論島の類縁は、北山勢力圏にあった15世紀的と言えるかもしれない。また、沖縄島と石垣、与那国島の類縁は琉球王朝支配以降の16世紀的なものを感じさせる。同様に、宮古島は、自ら服属を図ることで八重山に見られる影響を被っていないのは、刺青についても言えることになる。そういう意味では15世紀以前的だ。

 しかし、目を見張るのは、「ウマレバン」と「後生の門」でつながる宮古島と与論島の類縁で、こういう歴史時代に入ってからの反映をみるだけでは経緯を読み取ることはできない例を示している。それはなんといっても、多良間島と沖永良部島が、線と面の区分を超えて類縁を感じさせることに象徴的だ。

 伊波普猷は、『李朝実録』の朝鮮人漂流の記録に刺青の記述がないことから、15世紀以降の刺青発生の可能性について言及している。宮古-与論、多良間-沖永良部の類縁は、それでは説明がつかないことも示している。

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2017/04/05

与那国島の刺青デザイン

  池間栄三は『与那国の歴史』で、与那国島の刺青デザインを模写している。

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Yonaguni22

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 与那国島の刺青デザインは石垣島と似ている。ただ、同一というわけではもちろんない。指の背の文様は指先に近づくにつれ、先が尖るのがふつうだが、先をふたたび臼のように太らせているのは特徴的だ。与那国島はここだけ見ても、この島と名指せるほどだ。

 また、久米島のデザインとも類縁を感じさせる。

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 思い出させるのは、明治期の『マーチェサ号航海記』に描かれている刺青文様だ。

Photo

 このデザインは、肝心の尺骨頭部の文様がないのが不自然なのだが、甲と指の背から見る限り、この女性は与那国島にゆかりを持つ島人だったのではないかと思わせる。

 池間は書いている。

 入墨の風習は貧富の区別なしに行われ、嫁入り前、叉は出産前後になると、吉日を卜して親類、知人の女を集め、施術者を招いて、茶菓で祝事を行い、入墨を施した。施術は非常に苦痛であったようで、施術中は母親や集った女達がよってたかって娘の手首や腕を握り、体を抱いて、入墨を強行した。

 施術の模様が目に浮かんでくるようではある。しかし、池間はどちからといえば否定的な眼差しを注いでるように見える。これだけ丁寧にデザインを模写したのだから、個々の文様の名称や意味の聞き取りもしてほしかったものだ。

 琉球刺青は、記録者がいるだけでは足りなかった。記録する者に、近代の偏見を払拭できる懐も必要だった。


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2017/04/04

中国による琉球刺青記述

 15世紀の『大明一統志』の「琉球国」には、「手に刺青をし」とあり、その注に、『太平寰宇記』の記述として、「婦人は墨で手に刺青をして、龍蛇の文を作る」とある。

 『明代琉球資料集成』の注では、『太平寰宇記』の記述は「ほとんどが『随書』の引用である」としている。一方、伊波普猷は、「支那人には琉球の風俗習慣はかなりよくわかっていたはずだから、黥に関する『一統志』の記述が『随書』の縁引でないことはいうまでもない」と書いている(『沖縄女性史』)。

 冊封正使として来琉した陳侃が記した『使琉球録』では、「婦人は、まことに墨で手に黥をし、指に花鳥鳥獣の形をつくる」と書かれている(蕭崇業、謝杰著 原田禹雄、三浦國雄 訳注)。

 この二書のあいだの『李朝実録』には、「黥」の記述が見られないことから、伊波は「『一統志』が信用できないとすれば、この風習は、この六十年間に始まったとも見られる」と判断が揺れている。この60年というのは、1474年から1534年のあいだということになる。

 この理解では、琉球王朝の勢力拡大とともに刺青が浸透したかのような印象を与える。それは、18世紀の『中山伝信録』では、かつて廃止をしようと試みたがなされなかったという記述とは矛盾しているとも考えられる。

 むしろここは、『李朝実録』に記述されなかった背景を探るほうが妥当ではないかと思える。 


『明代琉球資料集成』

『沖縄女性史』

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2017/04/03

刺青・仮面・衣装

中沢 刺青(ペインティング)と仮面の問題ですね。この二つはだいたいいつも一致していますが、仮面の文化が最も発達した地域がアフリカだということには何か意味があるような気がします。仮面を着装することによって、人間と動物の間の存在に変わっていく。ラスコーの洞窟に描いてあるシャーマンも仮面を着装しています。ところがインドだと仮面ではなく人間の体の半分が動物になった神々がいっぱい出てくるのですが、あの神々-牛の神様やら馬の神様やら象の神様やら-は起源が本当に古いのだろうと思います。(「人類の自然」中沢新一+山極寿一)

 ぼくの観点からいえば、「刺青(ペインティング)と仮面」が「一致」するのは、ともに霊魂の発生を物語るからだ。 これに対して、インドの半人半獣は、人-動物のトーテム像に淵源を持つことになる。ただ、この理解だと、ラスコー洞窟の人物を「仮面」と解すると、そのことには答えられなくなる。

アニミズムの社会において、動物の身体に扮することと、動物の形をした仮面を着用することは、同じ意味を有していない。というのも「衣装を身につけるとは、動物の肉体を獲得することであり、仮面をつけるとは、動物の内面性を獲得して、その内面を部分的に支配することなのだ」(Descola 2010:36)(トマ・ゴルセンヌ「装いの系譜学」)

 「動物の身体に扮することと、動物の形をした仮面を着用することは、同じ意味を有していない」のは同感だ。ただ、言い方は少しちがってくる。「衣装を身につけるとは」その動物への変態を意味しており、「仮面をつけるとは」、その動物の霊魂を持つことで、その動物に変態することを意味している。だが、「その内面を部分的に支配することなのだ」とまでは、言えない気がする。


『現代思想 2017年3月臨時増刊号 総特集◎人類学の時代』

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2017/04/02

「沖縄県宮古島の無土器時代の遺跡を巡る」(江上幹幸)

 宮古島の「嶺間御嶽」の由来譚では、「犬」の前進が「アマム」であり、「犬」は「アマム」が換喩的な置換を受けていることが示唆されていた。宮古島では、アマム・トーテムが痕跡としてしか見つからないので、これも痕跡には違いないが、重要な伝承であることにちがいはない。 

 これを別の角度からみてみる。というのも、宮古島は考古学では、紀元後1世紀から11~12世紀にかけて「空白の時代」だとされている。これに対して、「嶺間御嶽」の由来譚ではアマムの段階が示唆され、アマリ山という場所も指定されている。アマムはトーテムとして最後の動物であり、11~12世紀以前を想定することができる。この伝承は、空白の時代に対して、存在を訴えているのだ。

Photo_7

 近年の考古学の成果では、「城辺字友利インギャー海岸に広がる」「友利元島遺跡」では、「標高約4mの砂丘地で、5~8世紀の無土器期の生活層が確認された」。「友利の後ろアマリ山」とこの遺跡の位置関係をぼくはよくわからないが、伝承と遺跡を重ねてみることはできるのではないだろうか。

 

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2017/04/01

原ユタから祝女、ユタへ

 改めて、「太陽」との関係から、原ユタからの祝女、ユタの分岐を探ってみる。

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 サンゴ礁期には、太陽は女性性を持つが、「原ユタ」は、太陽の化身といってもいい位相にある。

 これがグスク時代になると、男性である按司が「太陽の化身」とみなされる。「祝女」はその姉妹にあるのであれば、「太陽の化身の姉妹」として、やはり太陽の化身であることになる。

 ところで、ユタの祖は、口承によれば、太陽に刺される女性の子であるという日光感精説話に則った来歴を語る。

 こうしてみると、どの存在も複雑な来歴を持っている。そして、祝女とユタはアマテラスとも異なる存在なのだ。

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