「沖縄の浦嶼子伝説」(水野祐)
島尻の南風原(ハイバル)にある穏作根岳(オンサネダケ)という拝所の頂上に立つ桑の古木にまつわる伝説(水野祐『古代社会と浦島伝説』)。
泡盛に酔った男が与那久浜で目を覚ますと黒髪を握っている。持ち主が分からない。同じ浜で夕刻佇んでいると、「私のものです」と艶やかな乙女が言う。お礼に私の家にお連れしますといって、二人で波の上を歩き、「やがて千尋も知らぬ海底へと沈んでいった」。
御殿の奥深くたくさんの乙女に囲まれて夢うつつの二日三日を過ごす。盃のなかにふと故郷の影が映ったような気がして暇を乞う。乙女は一つの包みものと一本の桑の杖を渡す。ここは竜宮だが、竜宮の一日は人間界の千年に当たる。ふたたび竜宮に来たいときには杖を海に投げると路は開く。けれど包みものは決して開けてはならない。
気がつくともとの与那久浜に立っていたが、三日前の記憶にあるものは何もなかった。途方に暮れて包みの紐を解くと、白髪がばらばらと飛び散り、若者の身体にまつわりついた。そして若者の姿はなくなり、ただ一本の桑の若木が生えていた。
・亀や他の動物は出てこない。「竜宮」という言葉が出てくる。
・他界と現世をつなぐものが「杖」。
・乙女は海神かどうかは告げられない。
・他界(常世)と現世の対比が、黒髪と白髪で語られている。
・三日と千年と時間の懸隔も甚だしい。
・人間の桑への化身譚になっている。
下野敏見によれば、「龍宮信仰」の分布は、奄美、八重山と沖縄、宮古に分かれる。
奄美、八重山 神女のカミクチのなかに「龍宮」という言葉が見られる(古)。中世。
沖縄、宮古 龍宮を祀る石や祠を伴う(新)。近世。
久高島では、ニライは自然死の人の行で、く他界で、龍宮は海難事故でニライに行けない悪霊の集まる他界。
一見そうであっても不思議ではないのに、琉球弧で浦島太郎伝説が希薄なのは、他界の遠隔化が遅かったこと、あるいは遠隔化が完全にはなされていないことに起因している。
それにしても、トーテムないしはトーテム植物に戻るという結末は、琉球弧の説話から繰り返し聞かれる。ぼくたちはここでも、「竜宮」と現世の分離未完了の響きを受け取る。
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