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2017/03/28

「「女神土偶」と生成のコスモゴニー」(鶴岡真弓)

 なんといっても鶴岡真弓の「「女神土偶」と生成のコスモゴニー」が生き生きとしている。サンゴ礁の思考にとっても刺激的だった。

 まずぼくたちのこだわりどころから入っていこう。

 古代中国の漢字の解字からいえば、「文様」の「文」は「×」のしるしのことだ。「「いれずみ」を「刺青」や「入墨」ではなく「文身」と書くとき、まさにその意味が明示される」。

 それは、「「よいもの」を留める、「よき封じ」のしるしである」。

この古代からの象形と漢字の解字が伝える「文 ×」の機能は、それより前の先史時代の恣意や信仰を継承しちる可能性が高い。

 鶴岡によれば、「+」は「×」で「回転させて、最初の動力を入れる」形であり、渦巻きを生成させる。

 また鶴岡は、「×=アヤ=文=文様は、災いのストッパーとしてのしるしでもあった」と書くが、「でもあった」というように、それだけではない意味も見い出している。日本で続いてきた、生まれた赤ちゃんの額に描く「×(文(あや)っこ」は、「祝いの文様」なのだ。

 ここでぼくたちも言うことができる。琉球文身の「+」「×」は、「魔除け」の記号と解されることが多い。しかし、初発の意味はそうではない。それは、豊かな霊力の場そのものを意味し、とりわけその境界の意味を持った。境界だから、封じるという機能も生じたのである。人間が自然に対して優位性を発揮するようになると、やがてそれは「魔除け」とも解されるようになった、ということだ。

 もうひとつ言うべきことがある。鶴岡は縄文土偶の女神について書いている。

 では何を指して、「女神」と呼ばれるのか。
 縄文社会、共同体あげての「生命産出」と「生成持続」への願いは、特殊なものではない。「いのち」「生成」という普遍的な経験と観念は、私たち今を生きる人間にも同じように思惟の要にある。しかし先史、新石器時代人の造形の強度と豊穣は、現代人の力をはるかに超えているといわねばならない。「女神」や「母神」とおぼしき像は、その後の人類芸術史には競うものがないほど豊かな「生命/生成のデザイン」を追究した。
 なぜなら結論めくが、それらは、近現代人が考えるような「あらかじめいる神の描写」をしたのではなかったからだ。存在が、創造的・想像的に繰り出す、徹底した「生命/生成イメ―ジ」の表象だからだ。

 その表象を牽引するのが「渦巻き」文様である。

 さて、琉球弧では「土偶」は出土していない。島人は土偶をつくることはなかった。これは、島人が自分を客体視した身体像を持たなかったことに対応していると思える。島人はまだ自然のなかに溶け込んでいた。しかし、それは女神の不在を意味していない。

 琉球弧においては、女神とは出現するものだった。それこそ女性身体として。女性たちは、女神本体の一部だった。そして、その本体とはサンゴ礁に他ならない。それは、「地母神(アース・マザー)」、「ゴッデス(女神)」と呼ばれるものの琉球弧バージョンであり、サンゴ礁母神ともいうべき存在だ。しかし、繰り返すが琉球弧では、サンゴ礁母神を造形したのではない。それを女性たちは生きたのである。

 琉球弧では、女神像からその思考にアプローチすることはできない。けれども、それによらずとも女神のあり方を生き生きと伝えて寄越す。それが先史琉球弧の魅力だと言ってもいい。そして、その女神のあり方を今日まで伝えたのが、琉球文身であることは言うまでもない。

 

『ユリイカ 2017年4月臨時増刊号 総特集◎縄文 JOMON』

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