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2017/03/17

「ジュゴンの乱獲と絶滅の歴史」(当山昌直)

 当山は、ジュゴンの骨製品について、

骨製品の場合は、出土しtからといって必ずしもそこにジュゴンが生息していたという証拠にはならない。島内の、または離れた島との交易、またはかの島に住む人からのプレゼントされた骨製品の飾り、ということもありえるのである。

 と書いている。

 蝶形骨器は、津堅島からもっとも多く出土していた。これは島のサイズからすれば不自然で、津堅島は蝶形骨器の製造所だっと考えるのが妥当だと思う。

 ここで想像をたくましくすると、他の島や沖縄島で捕獲されたジュゴンが津堅島に持ち込まれる。津堅島の島人は、その返礼として蝶形骨器を作ってプレゼントしたことも考えられる。それは外からみれば交易だろうが、内側からみれば、贈与と返礼ということになる。

 また、八重山と沖縄でのジュゴンに対する態度について、当山はこう書いている。

八重山では食の対象にもなっていたが、沖縄島の伝承などには食べたという事例があまり見られず、むしろ畏敬の念が強いように思われる。このような意味で、沖縄島と八重山でとでは、ジュゴンに対する接し方が若干異なっていると考えられる。

 その食の対象になった八重山では、先史時代のジュゴンの骨はあまり出土しておらず、沖縄諸島で多く出土している。八重山で食すようになってもその伝承や歌謡には禁忌感がつきまとっているから、食の伝承は、タブーが解けていった後のものだと見なすのがいいのではないだろうか。沖縄島では禁忌感のある伝承がそのまま残ったと見なすのだ。

 

『島と海と森の環境史』

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