「恵奈山」と「米山」
吉田東伍は、『大日本地名辞書』のなかで、『大同類聚方』に記された「恵奈山薬 越後国三志摩雄之家伝也 元者少彦名神方也」を米山の初見として、「恵奈山」から「米山」への転訛を主張した。
『米山信仰 山とひとの民俗宇宙(第36回特別展図録)』のなかで、渡邉三四一は、9世紀成立と伝えられる『大同類聚方』の原本が伝存せず、写本が残されているだけなので、確実な史料として扱われることは少ない。だから、これを初見とすることは差し控えたいとしている。
そのうえで同書は、米山の境界性に着目して、「米山の呼称とされる恵奈山には、初めから境界的な意味合いが備わっているのではないか」として、書いている。
まずこの山名の類似例として想起するのが、岐阜県の恵那山であるが、この山も信濃との境界に聳え、また天照大神の胞衣(胎盤)埋め伝承を持つ。一方当地では胞衣をヨナと発音するが、米山山麓の柏崎市上輪には安産子育ての神・胞姫神社が鎮座し、源議経北の方の胞衣埋め伝承を持つ。どちらも胞衣に関連がある。胞衣をめぐる習俗をみると、中世史料では胞衣を境界の山である中山に埋めたことが知られ、考古学や民俗学の成果からはその埋め場所を家屋の出入り口に当てる事例が豊富に確認されている。また東北地方に伝わるエナババ伝承は生と死、この世とあの世との境界神的性格を持っている。類例をあげれば切りがないが、つまり胞衣が象徴するのはいわば境界性なのである。ならばその山に境界性を象徴するエナ(ヨナ)が冠されても不思議ではない。この問題は吉田東伍の妥当性とともに米山の文化的淵源を探る上においても重要であり、別の機会に詳しく検討したいと考えている。
胞衣としてヨナを捉えているわけだ。崎山理は、新潟の「米山」を砂州を意味する「ヨナ(ユナ、ユニ)」の北上言語であると捉えていた(「ヨナ・ヨネ地名」)。
米山は火山ではないことが確認されているから、北上したユナは「砂」としてのユナではなく、「胞衣」としてのユナだったのかもしれない。この名づけが行なわれたとき、すでに「砂」ではなく「胞衣」の意味に転化していたという意味で。
どちらにしても、エナ山からヨネ山への転訛の前に、ヨネ-エナ-ヨネという変化も考えられるわけだ。
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