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2017/03/31

「テダ(太陽)の語源」(間宮厚司)

 間宮厚司は、「テダ(太陽)の語源」で書いている。

1.テダ(太陽)の語源を外国語に求めるのは日本語と同系と認められた言語がないので、避けるべきである。
2.テラ(照)説は、四段動詞の未然形が名詞になるのは他動詞に偏っているなか、「照る」は四段自動詞なので、それに背反する。また、dとrの交替現象はd→rが多く、r→dは例が少ない。よって、テラ(照)説が成り立つ蓋然性は低いと判断され、受け入れにくい。

3.「天道」が「太陽」の意になるのは、<御+日+様>と<御+天道+様>の関係から理解できる。テンタウ(天道)→テダの音変化については、『おもろさうし』にセンドウ(船頭)をセドと書いた例があり、それを参考にすれば納得がいく。テダの語源は天道説の可能性が最も大きいとの結論に至った。

 ここではティダの語を、漢字輸入以降の相当に新しい言葉と理解することになっている。それ自体が、その前の言葉がそうやすやすと跡形もなく消えるのはなぜかという疑問を呼び起こす。太陽は人類にとって、長い付き合いなのだから。

 ぼくたちはここで、ティダの語源を貝(ギラ)とする考えを提出することになる。

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2017/03/30

「ギラ-ユナ」空間

 「琉球語の音韻グラフ」を参照すると、ギラ(シャコ貝)とユナ(砂洲)は相互変換しうる範囲内にあることが分かる。神話空間の理解上とても自然なことだが、でき過ぎで驚かないわけにいかない。果たして、そう見なしていいだろうか。突き止めるこはできないが、そう仮定してみる。

 すると、このときの神話空間理解は、「貝は胞衣」という表現に象徴されることになる。「貝は女」はそこからの派生形だ。

 ここでギラとユナはそれぞれ2音で構成されているので、それぞれの音韻について、音韻グラフを使って、その距離を測ってみる。

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 ここで、二音の音韻距離が小さい方が、元になった言葉だと想定すると、これまで考えてきたように、イノー(礁池)内の自然物は、「ユナ」系に近く、外側の枠が「ギラ」系に近いことが分かる。前者が「胞衣」系であり、後者が「貝」系であるということだ。これは妥当な結果だ。

 理解を更新したほうがいいかもしれないのは、ティダ(太陽)が、「胞衣」系ではなく「貝」系に近いということだ。ということは、ティダは、日ごと「胞衣」から生まれているのではなく、「貝」そのものの化身態だということになる。

 ここまで来ると、ギラとユナについて、どちらが根源にあるかを問うてみたい誘惑にかられる。ことの順番からいえば、貝を象徴と見なしたことを起点とするはずだという意味では、ギラが源ということになる。

 ぼくたちは、イノー(礁池)やユナ(砂洲)という言葉はあるのに「サンゴ礁」そのものに該当する言葉が見当たらないのはなぜかという疑問から出発した。それはおそらく「貝」という名だったのだ。サンゴ礁自体が「貝」と見なされなくなって、その呼称は消えたと考えられる。

 また、「イヤ」が人間の胞衣を指す言葉としてあったのではなかった。「胞衣」を指す「ユナ」系の語彙があり、その人間版を指すときに、「イヤ」と言葉を変態させたのだ。

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2017/03/29

ユニの言語空間

 ユニ(砂)は、本土では意味が変わって「米」になる。そして、琉球弧にも流入する。この崎山理の説が魅力的なのは、サンゴ礁のクリーム色の砂と米粒は、言われてみれば似ているからだ。本土でしばしば見かける黒い砂よりも、米粒のほうが似ている。そちらのほうが「ユニ」と呼ぶにふさわしいと思える。

 だが、ここには陥穽があって、そう言うためには、琉球弧を北上した人が、新しく始まった稲作を前にした時、サンゴ礁の砂の記憶が無くてはならない。一世代のなかでそれが起きなくてはならないことになる。

 たとえば、サンゴ礁の海の記憶が無くなっても、「米」を「ヨネ」と名づけるためには、別の意味、「砂」を包含する概念が無くてはならないことになる。

 そう考えてもっともふさわしいのは、「ユニ」が「胞衣をかぶった子供」あるいは「胞衣」という概念を持っていると見なすことだ。

 そしてその通り、新潟の恵奈山は呼名を米山と呼んだという伝えがあり、その痕跡を認められる。そして、琉球弧の胞衣である「イヤ」も「ユニ」からの音韻変化と見なせる。「ユニ」はもともと物質のみを指す言葉ではなく、かつ人間のそれを指すのではなく、「母なる大地」とでも言うような概念を持っていた。「母なる自然(大地・サンゴ礁)」を表す言葉だったからこそ、「米」にも「火山灰」の意味にも変態することができた。

 地母神と呼ばれるものは、農耕の神とは限らなかった。少なくとも琉球弧においてそれは、貝の精霊の胞衣を指していた。


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2017/03/28

「「女神土偶」と生成のコスモゴニー」(鶴岡真弓)

 なんといっても鶴岡真弓の「「女神土偶」と生成のコスモゴニー」が生き生きとしている。サンゴ礁の思考にとっても刺激的だった。

 まずぼくたちのこだわりどころから入っていこう。

 古代中国の漢字の解字からいえば、「文様」の「文」は「×」のしるしのことだ。「「いれずみ」を「刺青」や「入墨」ではなく「文身」と書くとき、まさにその意味が明示される」。

 それは、「「よいもの」を留める、「よき封じ」のしるしである」。

この古代からの象形と漢字の解字が伝える「文 ×」の機能は、それより前の先史時代の恣意や信仰を継承しちる可能性が高い。

 鶴岡によれば、「+」は「×」で「回転させて、最初の動力を入れる」形であり、渦巻きを生成させる。

 また鶴岡は、「×=アヤ=文=文様は、災いのストッパーとしてのしるしでもあった」と書くが、「でもあった」というように、それだけではない意味も見い出している。日本で続いてきた、生まれた赤ちゃんの額に描く「×(文(あや)っこ」は、「祝いの文様」なのだ。

 ここでぼくたちも言うことができる。琉球文身の「+」「×」は、「魔除け」の記号と解されることが多い。しかし、初発の意味はそうではない。それは、豊かな霊力の場そのものを意味し、とりわけその境界の意味を持った。境界だから、封じるという機能も生じたのである。人間が自然に対して優位性を発揮するようになると、やがてそれは「魔除け」とも解されるようになった、ということだ。

 もうひとつ言うべきことがある。鶴岡は縄文土偶の女神について書いている。

 では何を指して、「女神」と呼ばれるのか。
 縄文社会、共同体あげての「生命産出」と「生成持続」への願いは、特殊なものではない。「いのち」「生成」という普遍的な経験と観念は、私たち今を生きる人間にも同じように思惟の要にある。しかし先史、新石器時代人の造形の強度と豊穣は、現代人の力をはるかに超えているといわねばならない。「女神」や「母神」とおぼしき像は、その後の人類芸術史には競うものがないほど豊かな「生命/生成のデザイン」を追究した。
 なぜなら結論めくが、それらは、近現代人が考えるような「あらかじめいる神の描写」をしたのではなかったからだ。存在が、創造的・想像的に繰り出す、徹底した「生命/生成イメ―ジ」の表象だからだ。

 その表象を牽引するのが「渦巻き」文様である。

 さて、琉球弧では「土偶」は出土していない。島人は土偶をつくることはなかった。これは、島人が自分を客体視した身体像を持たなかったことに対応していると思える。島人はまだ自然のなかに溶け込んでいた。しかし、それは女神の不在を意味していない。

 琉球弧においては、女神とは出現するものだった。それこそ女性身体として。女性たちは、女神本体の一部だった。そして、その本体とはサンゴ礁に他ならない。それは、「地母神(アース・マザー)」、「ゴッデス(女神)」と呼ばれるものの琉球弧バージョンであり、サンゴ礁母神ともいうべき存在だ。しかし、繰り返すが琉球弧では、サンゴ礁母神を造形したのではない。それを女性たちは生きたのである。

 琉球弧では、女神像からその思考にアプローチすることはできない。けれども、それによらずとも女神のあり方を生き生きと伝えて寄越す。それが先史琉球弧の魅力だと言ってもいい。そして、その女神のあり方を今日まで伝えたのが、琉球文身であることは言うまでもない。

 

『ユリイカ 2017年4月臨時増刊号 総特集◎縄文 JOMON』

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2017/03/27

食物連鎖とトーテミズム

 「食」が人間の表現の主題だった段階では、人間と自然の関係は、「食うー食われる」と表現できる。ふつうには食物連鎖と言われているものだ。

 この「食うー食われる」は、トーテムとも関係している。琉球弧で、「蛇」の次の段階で「トカゲ」がトーテムに選ばれたということには、蛇がトカゲを食べることが重視された。それが理由のすべてではないが、蛇がトカゲを食うことが、トカゲをトーテムとする重要な契機のひとつになっていると考えられる。

 ここで、食物連鎖としてみれば、人間と自然の関係は「食うー食われる」になるけれど、トーテミズムの視点からみれば、「食われる」ということは、そのものに「なる」ことを意味している。実際に捕食はそのように見える。これは逆にいえば、「食う」とはそのものを「取り込む」ということになる。「食われる」ものを「食う」ものの一部にするということだ。

 この連鎖のなかでは、トカゲの「祖先」は蛇になるし、蛇はトカゲを生み出すことができることになる。

 また、トカゲの祖先が蛇だという場合、部分が全体のなかに取り込まれることであり、蛇がトカゲを生み出すとは、全体から部分が生まれると言うこともできる。ここに、部分と全体が一致するという思考を見ることができる。

 一方、「仮面」の装着によってそのものになるという行為もある。この場合、「仮面」という部分を、そのものという全体に一致させている。

 前者は、霊魂発生の前から存在できるのに対して、後者は霊魂の発生を必要としている。こう考えると、部分と全体の一致という思考は、霊魂の発生によって表現方法を増やした、あるいは変えたと見なせる。

 これはボディペイントと刺青の差としても言うことができるのではないだろうか。

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2017/03/26

「ひざら貝になった男」(沖永良部島)

 沖永良部島の龍宮譚では、「ニラの島」での別れの際、求められて、「蒔かずに作られる作物の種が欲しい」と所望すると、「クヂマ(ひざら貝)」をもらう。

 男は「海へ行って楽にして食べよう」と思って、「舟の上でクヂマ貝の背中の殻を取り外したら、笛吹松自分がクヂマになった」。

 これは男がトーテムである「ひざら貝」に戻ったことを意味している。

 この場合、持参した「ひざら貝」とは別に、男の化身態である「ひざら貝」がもうひとつできたのではなく、持参した「ひざら貝」になった、あるいはそのなかに取り込まれたと考えるべきなのだと思える。

 このシーンは、「ひらぶ貝」に挟まれるサルタヒコの最期の場面を思い出させる。

 サルタヒコ ひらぶ貝にはさまれる
 笛吹松   ひざら貝の殻を取り外したら、ひざら貝になる

 これは同じことを意味しているのではないだろうか。サルタヒコはそれが最期の場面であることによって、トーテミズムの終わりも鮮明に印象づける。笛吹松の場合、そうは書かれていないが最期であるにはちがいない。だから、これもトーテミズムの終わりを示しているのだろう。

 劇的ではない、このなし崩しにも見える顛末は、琉球弧らしい気がする。宮古島の「山立御嶽」の由来譚で、異類婚姻をしたふたりが最後、スズという大魚になって海へ帰るのとも似ている。(参照:「山立御嶽」(『宮古史伝』)

 トーテミズムの終焉というより、みずからひとまず閉じたとでもいうような感触だ。

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2017/03/25

言葉の変態と動植物の変態

 言葉の変態による命名の系列をサンゴ礁から採ってみる。

 ユナ(砂洲)-イノー(礁池)-スニ-ヌー(澪)-ウル(サンゴ)

 これは地名の系列だ。これには植物を加えることができる。

 ユウナ(オオハマボウ)-ユナ(砂洲)

 これは発生の順番からいえば、ユナ(砂洲あるいはサンゴ礁)の変態としてユウナは生まれた。

 同様に人間の考えられる。

 イヤ(胞衣)-ユナ(砂洲)

 これは、ユナ(砂洲あるいはサンゴ礁)が変態してイヤ(胞衣)は生まれた。

 動物の系列には、ザン(ジュゴン)が挙げられる。

 ザン(ジュゴン)-ユナ(砂洲)

 ユナ(砂洲あるいはサンゴ礁)が変態してザン(ジュゴン)は生まれた。ザンについては別の言い方もできて、ユナの霊が化身したものがザンである。

 ここで動物相互の変態も挙げてみる。

 バカギサ(キシノウエトカゲ)-カタカス(オジサン)

 これは順番から言うと、バカギサがカタカスに変態する。ユナ系列の言葉のできた方からいえば、変態が考えられるところでは、言葉もそれに対応していると見なせるから、バカギサ、カタカスがともに古名であるなら、バカギサの音韻変化からカタカスができることになる。これは音韻変化だけでみればできないことはないが、両者が古名であるかどうかが分からない。

 フダチミ(ヤモリ)-フカ(鮫)についても同様のことは言える。

 こうしてみると、古名が分かれば、伝承に残されていない動植物間のメタモルフォーゼを知る手がかりになりうるということだ。

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2017/03/24

頭をはずして漁をする(『「物言う魚」たち』)

 後藤明は、ニューギニアの海岸からビスマルク諸島にかけて分布する、漁をするときに頭を外していたという「奇妙」な話を紹介している。

 トカナオは村一番の漁師だった。彼は他の漁師のように夜ではなく昼に漁をした。

トカナオは不思議なことに漁の道具を持っていなかった。(中略)トカナオは両手で首をつかみ頭をねじって胴からはずした。彼はその状態で水中に入り、水面から見えなくなった。彼が戻ると、首の穴があいている場所からたくさんの魚が出てきた。

 トカナオは意地悪をされて頭をなくしてしまい、海に入る。何年かしてトカナオが頭をなくした場所から木が生えている。その木から落ちた実をみると、頭に似ていて、目、鼻、口そっくりの跡がある。割ると美味しい汁が出る。村人たちはすばらしい漁師だったトカナオの思い出にこの木の実を"ココ椰子"と名づけた。

 後藤は、これを首狩りの説話の流れのなかで紹介しているが、もちろんこれは首狩りとは関係ない。

 首のない胴体は、首の座る前の乳児を思い出させる。胞衣をかぶった子供は不思議の技をなすという文脈からいえば、首をはずすという行為は胞衣になるということを意味するのではないだろうか。胞衣になるということは、この世とあの世を往還する状態に入るということだ。海中というこの世とあの世の境界領域では、胞衣は生命を育む容器になる。だから、戻ったとき、胴体から、つまり胞衣からたくさんの魚たちが出てくる、生まれ出てくることになるのではないだろうか。

 この説話の段階は、人間と植物との同一視の段階にある。そこで、頭をなくした胴体である胞衣は、人間ではなく植物として生まれたということだ。

 これは試論に過ぎないので、他の例に当たったときに再び考えてみることにする。
 


『「物言う魚」たち―鰻・蛇の南島神話』


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2017/03/23

琉球語の音韻グラフ

 試行の域を出ないけれど、「濁音の同一と等価」を更新してみる。これは、もともと吉本隆明の「表音転位論」や「起源論」で行っていた訛音と必然的な転位の区別のモチーフを引き継いだものだ。

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 ここで吉本が「濁音等価」のなかに挙げなかったのは、「タ行-ラ行」と「マ行-ナ行」になる。前者は、柳田國男も通音を指摘していたものだが、与論語でも頻繁に聞かれる。後者は、「ミルヤカナヤ」と「ニライカナイ」の例から、そう見なした。というより、こう見なすとひとつながりになるのに背中を押されて線を結んだと言ったほうがいい。

 「清音転訛」で結んだ点線は、他にももっと引ける。しかしそれらを全部、引くことはしないで他の音に行くための最小限の線でとどめようとしている。

 こう線で結ぶと結局、ある音にはどの音からも到達できて、任意の海に解体してしまうように見えるが、実際には、ある語は、線で結ばれた両隣りの音か、二音先に限定される例にしか出会っていないので、余分な線は描く必要はないことになる。

 しかし、濁音等価ですべての音を結ぼうとしているわけだから、ここで「清音転訛」と呼ぶものは本当は無意味かもしれない。不思議なのは、清音転訛で結んだ両音は、少なくとも、「タ行-カ行」、「ハ行-カ行」に象徴させると、もっとも知られた転訛の例であることだ。濁音等価のラインからは越境してショートカットされたものが「清音転訛」ということになる。けれどそれは何を意味するのだろうか。ほんとうは濁音等価しかないということだろうか。

 もともと吉本は、通音に転訛を濁音等価に必然的な転移を見出そうとしていた。ここではその問題意識はいったん解いている。まだ手に余るからだ。吉本は途中、「ほんとうは、わたしたちはここで表音の空間的な転移(方言のナマリ)と時間的な転移(音韻の歴史的な変化)とは等価だということにぶつかっているのではないか?」と書いていた。ここで試みているのもそういうことかもしれない。

 必然的な転移があるとすれば、上記の等価線に沿った例のうち、転移のベクトルが分かるものたちが一方向を持つ場合のみ、それは必然的だということになる。そしてキシノウエトカゲはカタカスに化身してもその逆はないように、それはあり得ると仮定することはできそうに思える。(参照:「「井戸ヌパタヌ子蛙誦言」の化身の法則」

 ともかく、この図はすべては濁音等価と言っているようでもあるが、ある語が別の行の音に転移するのは2音の選択肢しかないことを踏まえると、清音転訛の系列はまったく別のものだということになる。

 ここで清音転訛と濁音等価のちがいを言ってみれば、ユウナの花が日中の黄色から夕方にはオレンジ色になるのが可視的であるのに対して、その花びらが海に散ると美しい熱帯魚になるのは幻視であることに似ているのかもしれない。

 

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2017/03/22

『初期心的現象の世界』(村瀬学) 双葉ことば

 もうひとつ村瀬の言うことに立ち止まりたいのは、「双葉ことば」と彼が名づけたもののことだ。

 「ワンワン」、「ブーブー」は文としての性格を持った「一語文」という理解に対して、村瀬は批判している。

 それは文に行く手前で、「<指示決定-自己確定>の二重性を踏えた表現の形態であると考える」。「共同で指示決定した解釈を、〈自己〉が又決定し直す」ことである。

 村瀬はそこで、それは「一語文」というより、強いていうなら、「ひとつの表出形態=芽が双葉のように二義の内容をもつ形で意識され表出されるという意味で」、「双葉ことば」と呼んでいる。

 これは優しい命名だ。ところで、ぼくはここで、「双葉ことば」にしばしば畳語の形をとることに着目したい。「霊魂」を調べているときに強い印象を残すのは、「ヌアヌア」、「ガラガラ」、「ルモルモ」など、チャーミングに聞こえる畳語の形態を取ることだ(cf.「霊魂協奏曲」)。

 これも「双葉ことば」の系列にあると捉えていいのではないだろうか。「ルモ」と支持されたものは、「ルモ」であるという「「<指示決定-自己確定>」である。

 この「双葉ことば」は、ひとつのものの別名という形を取ることもある。想定しているのは、「ニライ・カナイ」という表現や三内丸山などの地名である。それは、「ユンヌ-エラブ」という地名の連称にも通じている。もっといえば、それが枕詞の元でもあるのではないだろうか。

 ともあれ、霊魂名や「ニライカナイ」の他界名には、「双葉ことば」の用法が息づいているわけだ。

 

『初期心的現象の世界―理解のおくれの本質を考える』


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2017/03/21

『初期心的現象の世界』(村瀬学) 三つの同じ

 もっとも印象鮮やかだったのは、村瀬にとって「初期」とは、時間的なはじめのことだけを意味しているのではないことだった。

 つまり<初期>とは私たちにとって決して発達段階のはじめとして、とっくの昔に過ぎてしまった現象なのではない。今もなお私たちが接しうるものとしての、心的現象としての<初期>という意味をもつのでなければならない。既に心的現象は変容と発達の統一構造として存在していた。とするなら心的な<初期>とは、発達の上での初期であるだけではなく、変容にとっての初期でもなければならない。つまり心的現象総体にとっての<始まり>の問題が問われなければならないのである。

 もう少し引き寄せれば、「<初期>とは、まさに私たちがそこで立ち直れるような視座を手にするところであってほしいと思う」ということだ。村瀬にとって「初期」とは、文字なき時代の「神話」のようなものとして掴まれている。

 この村瀬の問題意識は、サンゴ礁の思考の態様を追うわたしたちにとっても近しく感じられるものだ。ぼくが理解したいと思っていたのは、違うものに似たものを見出す霊力思考と、霊力思考とともに霊魂思考を働かせて、同じものの別の形という小さな分節化を果たしていくことを、どう捉えたらいいのかということだった。

 村瀬は、幼児が「おんなじ」「いっしょ」というとき、三つの事態が区別される必要があるとしている。

 1.ふたつの現象が似ているという事態への着目(類似同定)
 2.ふたつの現象が規範=約定として同一であるという事態への着目(指示同一)
 3.ふたつの現象が構成として同一であるという事態への着目(構成同一=変形同一)

 村瀬の言葉では、ちがうものに似たものを見出すのは「類似同定」だ。ここで想定できるのは、「サンゴ礁は貝」、「女性器は貝」と見なすことだ。ここで、イノー(礁池)の場所はちがっても、そこにあるのはウル(サンゴ)として同一であると捉えるのは「指示同一」ということになる。

 しかし、先に同じものの別の形として小さな分節化を行うのは、この3つの範疇では捉えられない。というか、「類似同定」を別の視点から捉えたものと言ったほうがいいかもしれない。

 「サンゴ礁は貝だ」というとき、サンゴ礁と貝が似ていることへ着目しているので、それは「類似同定」と言うことができる。一方で、サンゴ礁は、貝の別の形という場合は、貝をサンゴ礁の変容と見なしているので、それは「変容同定」とでも言えばいいのかもしれない。

 違うものに似たものを見出す「類似道程」で、ふたつのものが結び付けられる。次に、それを一方から一方への変容として同じと見なすのが「変容同定」だ。

 図示してみる。

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 サンゴ礁と貝との類似そのものへの着目は、「類似同定」。貝をサンゴ礁の変容態とみるのは「変容同定」。友利のサンゴ礁も平良のサンゴ礁も、サンゴ礁としては同じとするのは「指示同一」。

 ここから、さまざまな貝のなかから、たとえばシャコ貝を抽出し、それを円に十字で象徴させたとしたら、それが「構成同一」になる。そこで刺青の文様が生まれることになる。

 村瀬は「類似同定」の例として、イナイイナイバーを挙げている。横着をして画像引用しみてる。

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 違うもの同士を似たものとして同定することには「飛躍」がある。そして、その同定を「支持」することには、「対称が興味あるものになりおもしろみを帯びることになる」。それはとっても面白いのだ。

 この意味では、サンゴ礁の神話空間は、幼児(初期)の観方による世界認識だとも言える。
 

『初期心的現象の世界―理解のおくれの本質を考える』


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2017/03/20

「峯間(んにま)御嶽」『宮古史伝』

 慶世村恒任の『宮古史伝』を続ける。峯間(んにま)御嶽。

 友利村のアマリ山の下にわずかな村。津波により洗い去られる。アマリ山大ツカサは、アマリ山の嶺の上に草庵を結び一人住いし、「一匹の犬を愛養して」暮らしていた。

 倭人(やまとびと)が平安名の宮湊浜に漂着。蛮人島か無人島かとと上陸してみると、「犬の足跡」が見える。人里の証拠と足跡をたどってアマリ山に行って、アマリ大司と夫婦になり、子孫繁昌した。アマリ邑はいまはないが、嶺間山は夫婦の根所だとして、御嶽を立てた。

 慶世村は、ここから「宮古の人は犬の子」という「侮蔑の言」の話題に移っているが、もちろんことはそういうことではない。

 ここで「犬」と人は、隠喩的な関係ではなくて、人との近さという換喩的な関係で捉えられている。だから、犬祖伝承にはなっても、トーテムではない。むしろ、「犬」とは人との近さから換喩的に置き換えられたトーテムではないだろうか。

 この伝承も逆戻ししてみれば、嶺間から出現した兄妹始祖の神話だったと考えられる。そしてもうひとつ、無人島かと思ったら人里だったというくだりは、ヤドカリを放ってみたら繁殖していたので人が住めると判断したという与那国島の伝承を思い出させる。

 ここで、この女性の名であるアマリは、アマムの置き換えだと想定してみる。つまり、アマム(ヤドカリ)がまず嶺間に出現して次に兄妹が現れた、という神話だった。アマムやトーテムが否定された段階で、トーテムは女性の名となり、婚姻するために男は来訪者となり、海岸添いに住む島人の近くにいるアマムは、「近さ」から「犬」に置き換えられた。そう捉えると、この伝承の変形の構造が見えてくる。

 F(トーテム(アマム)):F(始まりの存在(女))=F(始まりの存在(神):F((アマム)-1(神の使い))

 そして、アマムが、「神の使い」の同位相として「犬」に置換されたとみなすのだ。

 

『新版 宮古史伝』

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2017/03/19

「山立御嶽」(『宮古史伝』)

 慶世村恒任の『宮古史伝』。「天太の世以前」の「山立御嶽」。

 押しかけ女房としてやってきた「仙女」と「仮寝」すると、一夜で家が建ち、仙女が持参した「小さな布袋」は一生食べても尽きない「米」を提供する。この「布袋」は胞衣のことだ。

 そしてふたりは、「スズという大魚」になって布袋を持って、ミナコザの沖へ飛び込み失せる。異類婚姻譚としてみると、この結末はとても面白い。ふたりとも動物に返るのだから。

 スズとはどんな魚だろう。高橋そよの「魚名の命名法とその特徴について-波照間島、鳩間島、佐良浜の事例から-」によれば、佐良浜では、マトウトビウオを「スズー」と呼んでいる。トビウオは、海面を突き破って空中へと出る魚で、精霊の由来からは蛇魚という聖なる魚だから、これが「スズという大魚」のことであっても不思議はない。

 ふたりの子の「おたはる」が女神として山立御嶽に祀られる。トーテミズムの後の神という順番が踏まえられている。

 

『新版 宮古史伝』


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2017/03/18

「子方母天太」と「船立の神」(『宮古史伝』)

 慶世村恒任の『宮古史伝』から、「天太の世以前」を読む。

 「子方母天太と大主兄弟の神々」を神話として見て、これを逆戻しにしてみる。

 女が入る「原の小森」は、身近になった「あの世」のことだ。夜中に鳴る「雷」のような「異様な物音」は蛇の精霊の行為であり、翌朝訪れる「赤い鳥」は蛇の変形である。ここでも、蛇は鳥に変形されることがわかる。「赤」の色には貝も示唆されている。

 原型を求めれば、「原の小森」で蛇と貝の霊を受けた女が卵から子を産んだという筋が考えられる。そして、女は太陽も生むのだ。

 (蛇と貝の精霊)と(その子)という神話は、天や神の出現によって、「子方母天太(ねのほうまてだ)」として崇拝される存在に変形される。崇拝されてはいるが、これは零落形に他ならない。

 問題は、女が一人で卵なり子を産むことだ。兄妹として現われているわけではない。すると、この神話は、母系以前の痕跡をとどめているのではないだろうか。

 それでは「をなり神」不在と言われる宮古島は母系社会を通過しなかったのか。それはそうではないと思えるのが、「船立の神」の由来譚だ。

 ここで久米島と言われているのは、宮古島にとっての遠隔化されたあの世のことだ。そこから、兄妹が漲水に流れついて、「朝夕里人に使われ水を汲み薪を拾いなどして細い煙を立てていた」と書かれるように細々と生きる。

 やがて誤解が解け、ふたりは「鍛冶の神、農耕の恩人」として崇められることになるが、これも零落の姿である。

 伝承の原形は、兄妹からこの世が始まったという始祖神話だったろう。それが、他界の遠隔化以降、零落した姿でしか登場できなくなったことを示している。「船立の神」の由来譚は、宮古島も母系社会を通過したことを暗示するものだ。


『新版 宮古史伝』


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2017/03/17

「ジュゴンの乱獲と絶滅の歴史」(当山昌直)

 当山は、ジュゴンの骨製品について、

骨製品の場合は、出土しtからといって必ずしもそこにジュゴンが生息していたという証拠にはならない。島内の、または離れた島との交易、またはかの島に住む人からのプレゼントされた骨製品の飾り、ということもありえるのである。

 と書いている。

 蝶形骨器は、津堅島からもっとも多く出土していた。これは島のサイズからすれば不自然で、津堅島は蝶形骨器の製造所だっと考えるのが妥当だと思う。

 ここで想像をたくましくすると、他の島や沖縄島で捕獲されたジュゴンが津堅島に持ち込まれる。津堅島の島人は、その返礼として蝶形骨器を作ってプレゼントしたことも考えられる。それは外からみれば交易だろうが、内側からみれば、贈与と返礼ということになる。

 また、八重山と沖縄でのジュゴンに対する態度について、当山はこう書いている。

八重山では食の対象にもなっていたが、沖縄島の伝承などには食べたという事例があまり見られず、むしろ畏敬の念が強いように思われる。このような意味で、沖縄島と八重山でとでは、ジュゴンに対する接し方が若干異なっていると考えられる。

 その食の対象になった八重山では、先史時代のジュゴンの骨はあまり出土しておらず、沖縄諸島で多く出土している。八重山で食すようになってもその伝承や歌謡には禁忌感がつきまとっているから、食の伝承は、タブーが解けていった後のものだと見なすのがいいのではないだろうか。沖縄島では禁忌感のある伝承がそのまま残ったと見なすのだ。

 

『島と海と森の環境史』

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2017/03/16

「貝塚時代前Ⅳ期における南西諸島と南九州のインタラクション」(平良理揮)

 平良理揮の「貝塚時代前Ⅳ期における南西諸島と南九州のインタラクション-縄文的イデオロギーの転換・維持・変容」(『日本情報考古学会講演論文集』)から。

 貝塚時代前Ⅳ期には。「尖底から平底様式への画期的な転換」が見られる。「貝塚文化独自の尖底様式から縄文的な平底様式へと大きく変化する時期」。

 貝塚時代前期を通して「南九州と最も頻繁かつ密接なインタラクションが存在していた」。しかし、「在地様式と南九州とでは共有する属性は少ない」。「市来式の影響」について、影響は確かに受けているものの、「市来式の特徴的な口縁部や文様などは模倣する程度にとどまり、在地的な特徴としては取り込んでいない」。「自然に模倣してしまうほどの密接な接触ではなかったとも考えられる」。

 「南西諸島は深鉢形を模倣して変容し、南九州側は壺を採用して独自の装飾を施す」。

 この時期は「蝶形骨器」の出現の時代でもある。

 さらに、集落構造の変化と定住化の促進、島への適応、墓の出現、生業の変化など様々な変化が貝塚前Ⅳ期にみられる。特に、南西諸島では産出しない黒曜石やヒスイ製品などが流入するようになることは、遠隔地との交易を行い、縄文文化のネットワークに参加するプロセスと考えうる。

 サンゴ礁を背景にした「蝶形骨器」の時代は、やっぱり画期なのだと思う。この論考は、一方的な被影響だけではなく、影響を与えたことへの視点が新鮮だった。


 

 

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2017/03/15

池間島のアオヤッダ

 市川重治は『南島針突紀行』で、池間島の左手尺骨頭部の文様について、郷土史家の前泊徳正から文様アオヤッダ(アオヒトデ)について聞いてる。

Photo

このアオヤッダは、深い海に棲息していて猛毒をもち、これを乾燥させて鼠の出入口などにおけば、その効果は抜群とのことであった。そうした猛毒を一つの効力とみなし、文様化して魔除け、厄除けの象徴としたのである。

 この記述からすれば、アオヤッダがサンゴ礁の外部礁斜面にいる。色と毒性からしても、男性動物だ。女性の針突きの左手尺骨頭部にこの文様があるのは、すでにトーテムの意味を逸脱している。トーテム性は保持していたとすれば、「太陽の妻」として女性を位置づけていたのではないだろうか。


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2017/03/14

ヤドカリ占い(沢木耕太郎『オン・ザ・ボーダー』)

 面白い記述を教えてもらった。米軍統治下の与那国島で夫が航海に出ているあいだのこと。

 よく海岸に行ってヤドカリを探してきたものさ。これは私の旦那、あれはあなたの御主人、こっちは誰々と、ヤドカリに名前を決めておいて、お膳の端に並べるの。そして「いま船はどこにいるの」と訊ねると、無事に航海している時は、ヤドカリがみんな揃ってまっすぐ進む。何かマチガイがある時は、みんなが-ヤドカリよ-まぜこぜになってゴチャゴチャになる。本当にヤドカリの占いは、当たったわよ。

 これは素晴らしい。間接的ではあるが、ヤドカリ・トーテムを示唆してあまりある。思うに、生児がトーテムと対面する儀礼があったのではないだろうか。

 

『沢木耕太郎ノンフィクション 4』

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2017/03/13

「胞衣笑いの深層-霊魂の交通」(飯島吉晴)2

 もともとの出典が分からないのだが、飯島吉晴は対馬の胞衣習俗について書いている。

 対馬では、胞衣はミズハリといい、これに包まれて子が生まれるのはめでたいとして、「イヤマブイ」を寺からもらって一緒に埋めた。

 対馬の任立村では、胞衣を「イヤ神様」と呼び、「よく洗って苧桶に入れその上に茶碗に盛った飯を供えて産婦に食べさせた」。

 『日本産育習俗資料集成』に依ると、「イヤマブイ」は「胞衣護符」で、久田村、厳原付近とある。ただ、「イヤ神様」の記述はこの資料にはない。どちらにしても胞衣の霊の存在をうかがわせる。それが対馬には残っていたわけだ。

 胞衣をイヤと呼ぶのは、琉球弧だけではなく、九州にも広がりが見られる(「産育と便所」)。

 ユナ、イヤ以外の音としては、与論では「ソイ」「シダビ」と呼ばれる(「南島産育資料」)。「ソイ」の意味は分からないが、「シダビ」は「ウットゥビ」に対して年長者のことを指す。胞衣は、相方であっても年長とみられたわけだ。赤子を包み守るからだろうか。

 cf.「胞衣笑いの深層」(飯島吉晴)」

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2017/03/12

「恵奈山」と「米山」

 吉田東伍は、『大日本地名辞書』のなかで、『大同類聚方』に記された「恵奈山薬 越後国三志摩雄之家伝也 元者少彦名神方也」を米山の初見として、「恵奈山」から「米山」への転訛を主張した。

 『米山信仰 山とひとの民俗宇宙(第36回特別展図録)』のなかで、渡邉三四一は、9世紀成立と伝えられる『大同類聚方』の原本が伝存せず、写本が残されているだけなので、確実な史料として扱われることは少ない。だから、これを初見とすることは差し控えたいとしている。

 そのうえで同書は、米山の境界性に着目して、「米山の呼称とされる恵奈山には、初めから境界的な意味合いが備わっているのではないか」として、書いている。

まずこの山名の類似例として想起するのが、岐阜県の恵那山であるが、この山も信濃との境界に聳え、また天照大神の胞衣(胎盤)埋め伝承を持つ。一方当地では胞衣をヨナと発音するが、米山山麓の柏崎市上輪には安産子育ての神・胞姫神社が鎮座し、源議経北の方の胞衣埋め伝承を持つ。どちらも胞衣に関連がある。胞衣をめぐる習俗をみると、中世史料では胞衣を境界の山である中山に埋めたことが知られ、考古学や民俗学の成果からはその埋め場所を家屋の出入り口に当てる事例が豊富に確認されている。また東北地方に伝わるエナババ伝承は生と死、この世とあの世との境界神的性格を持っている。類例をあげれば切りがないが、つまり胞衣が象徴するのはいわば境界性なのである。ならばその山に境界性を象徴するエナ(ヨナ)が冠されても不思議ではない。この問題は吉田東伍の妥当性とともに米山の文化的淵源を探る上においても重要であり、別の機会に詳しく検討したいと考えている。

 胞衣としてヨナを捉えているわけだ。崎山理は、新潟の「米山」を砂州を意味する「ヨナ(ユナ、ユニ)」の北上言語であると捉えていた(「ヨナ・ヨネ地名」)。

 米山は火山ではないことが確認されているから、北上したユナは「砂」としてのユナではなく、「胞衣」としてのユナだったのかもしれない。この名づけが行なわれたとき、すでに「砂」ではなく「胞衣」の意味に転化していたという意味で。

 どちらにしても、エナ山からヨネ山への転訛の前に、ヨネ-エナ-ヨネという変化も考えられるわけだ。

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2017/03/11

旧石器的太陽神の来歴

 もう一度、「対馬神道(中沢新一「アースダイバー」第67回)」に立ち返ってみる。

 天と地をつなぐ雷と蛇の要素があり、山にすむ森の女神がおり、女神は蛇=雷と交わって、動植物の命を孕む。「ムスビ」の原理が働いて、たくさんの命のミアレをもたらす。つまり、この最古層では、太陽の子供である「日子」とは。自然に生きる生命そのものを意味している。

 これをそのまま琉球弧になぞらえれば、天と地をつなぐ雷と蛇の要素があり、サンゴ礁にすむ貝の女神がおり、女神は蛇=雷と交わることなく、動植物の命を孕む。「ムスビ」の原理が働いて、たくさんの命のミアレをもたらす、ということになる。

 ここでサンゴ礁は女神なのは言うまでもないとして、奄美大島や国頭のように、山もあるところは、どういう認識になるだろう。狩猟者やシニグの儀礼を除く限り、山が女神だったのは間違いない。この山の女神も貝とみなしていいのだろうか。

 縄文期の「あの世」とおぼしき系列にティラ山があるが、この場合、太陽を生む貝だと見なせるのかもしれない。しかし、山は貝だけで覆えるものではない。その場合、山の女神の本体は蛇だということになる。

 しかし中沢の旧石器的世界観のなかにある太陽神は、蛇だとは考えられていない。熱源であり、「太陽と地上をつなぐ」山そのものを本体としているように見える。

 一方、ヨナタマ伝承をみると、礁池の精霊であるジュゴンに対して、呼びかける海の精霊は父であるより、母神に思わせる。この伝承がどこまで遡れるのか分からないが、仮に縄文期に焦点すると、海は蛇として女性、サンゴ礁は貝として女性という、なんだか複雑なことになる。ただ、イラブチャーやグーザは男性動物なので、蛇-海はやはり男性なのだ。

 サンゴ礁が出現する前は、イノシシ猟メインだから、そこでの山の女神は琉球弧でも生きていたと思える。すると、山の女神に対してサンゴ礁の女神が出現したことになる。ここでも山の女神の本体を蛇と考えれば、貝は蛇のお株を奪ったことになるだろうか。ホトを焼かれて死ぬイザナミのように。

 cf.「太陽神の重層構造」

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2017/03/10

「ハイダ・グワイ風景論-トーテム・ポールの森の文化システム」(山崎邦夫)

 山崎邦夫は、トーテム・ポールについてとても印象的な文章を書いている(「ハイダ・グワイ風景論-トーテム・ポールの森の文化システム」『立教大学ランゲージセンター紀要』)。

 詳細紹介の暇がないので、申し訳ないが琉球弧と共鳴しあうところのみの備忘として。

ハウス・ポールは、そのふもとの家屋の中央正面で小さなアーチ状に入り口が造られている。いわばファサードの役目を持つ。そしてそこに刻まれた物語は、(中略)この家系の栄誉を記録し、また一族の物語を記録するメモリアルの役目を担っている。
   トーテム・ポールが「森と生きものと先住民との結節点になっている」。
そこに描かれていたであろうハクトウワシやクマ、オオカミ、シャチ、ネズミ、カエルそしてワタリガラスなどの象(かたち)は、「自分の心にある様々なもの、生きもののことや自分自身についての様々なこと、そして生きものと自分との関係を」シーダーの幹に彫りつけたものだった。先住民の彫刻家は「この新たな言葉を大きなシーダーの幹い接ぎ木し」、語りかけることで、人間と動物、自然界との同一性や対称的世界をそこに記憶しているのだ。

 「トーテム・ポールはこうした一族の法典、家系図、民族の時間を越えたひとつの地図を著したものだとも言えるだろう」。「天を突くトーテム・ポールの姿は、この島の中心に聳えるとされる「大いなるシーダー」、地下と地上と天上の三界を結ぶ「宇宙木」としての神話的シンボリズムに根差している」。

 「おくりとどけしもの」という叙事詩の一部。

 それから男は娘が横たわる洞穴へ入った
 娘は身動きせずに横になっていた
 しかしその目蓋だけはしばたかせていた
 男はシーダーの衣を脱ぐとそれで娘を擦った
 娘の目を醒まそうとしたのだ

 しかし、魔術にかけられて娘は目覚めない。そして方法を知って解いて、洞穴に戻る。

 男が目にしたのは、その女の骨ばかり
 そこでシーダーの衣を脱ぐと
 それを女の向こうとこっちへ動かした
 女は生き返り、立ち上がった
 女の体はすっかり汗をかいていた

 「シーダーの樹皮から作った衣が一般的な衣装だった」。山崎は書いている。

シーダーの衣が、身に纏う衣服であると同時に、命を吹き込む力をもつことがわかる。衣と肉体とが、換喩的に機能して、性的な行為を含意する部分である。

 シーダーの樹皮は、ハイダ・グワイ族の霊魂の衣装であり、身体そのものを指している。また、霊力そのものとして人と人を結ぶものだった。これは琉球弧でいえば、ブー(苧麻)と同じだ。

 この思考のなかでは、性行為は霊力を交わし合うということが、実際の身体の贈与と授受を意味していると思える。ともあれ、なにゆえトーテムなのかということを琉球弧以外の例で初めて知ることができた。

おくりとどけしもの」の意味は、「吉凶をもたらす沖合いの礁(または波濤)だと種明かしがあって、第一部の物語は終わる。

 これはハイダ族にとっての新石器時代の「あの世」のことを意味しているのかもしれない。

 ハイダ・グワイのもともとの意味は、「世界の間の境界の島々」。
 


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2017/03/09

「誰かとうまくいかないのは、本当に相手のせいだろうか」(宮国優子)

 浜辺に行くと、蟹たちは一斉に、そこここに掘ってある白い穴のなかに逃げ込んで姿を隠す。そのままじっと待っていると、もう大丈夫かなというように、おもむろにまた姿を現す。人見知りとはこういうことだと、よく思う。

 礁池(イノー)の波はゆるやかだから、水切りをするにはもってこいだった。砂山もつくった。トンネルも掘って、満ち潮の波がトンネルを通過するのを眺めた。でも粘質はまるでないから、ほどなくそれは洗われてゆくのだけれど。

 そういえば、波打ち際の砂に少しだけ足を潜らせて、すり足で進みながら、何か真っ白なゲンゴロウのような生き物を捕ってたこともある。砂色にあまりに溶け込んでいるので、姿は捉えにくいのだけど、足先からスススと動き出すので、形が浮かび上がってくるのだ。集めていたのだから、食べたんだじゃないかな。あれは、なんていう生き物だったか。

 「誰かとうまくいかないのは、本当に相手のせいだろうか」を読んで、そんな風景を思い出した。きっと、「その土地から成り立つ自然の一部のような人間性」という言葉に刺激されたんだと思う。

 ここで紹介されているのは、「下川凹天」という人だ。「ほこてん」と読む。「おうてん」とも呼ばれたらしい。

日本アニメーションの始祖で、名前通り、凸凹な人生を歩んだ人でもあります。

日本のアニメーションは、今や「クールジャパン」の代表選手のひとつ。
そして、今年は、日本アニメ制作から100年目にあたります。
これから彼を知っていく人は格段に増えると思います。

彼は、宮古島出身で、日本で初めてアニメを作りました。

 この人のことをつい最近まで知らなかった。しかも宮古出身というから、驚く。仰天と返したくなる。

 幼少期に島を離れて、その後戻ることはなかったらしい。淋しかったろうな。恋しかったろうな。ぼくも少年期に島を離れた。恋しくて恋しくて。恋しいという感情を、島相手に覚えてしまった。でも、凹天は幼年期だから、それほどでもなかったのかな。

 「凹天」はもちろんペンネームだ。なんでまた、と思うが、師匠の名前が「楽天」というから、そこにあやかったんだろう。そう教えられて、「楽天」と「凹天」を並べてみていると、「浄土」に対して、宮古の他界を置いたようにも見えてくるから面白い。

 ところで、どうしてアニメ始祖の紹介なのに、「誰かとうまくいかないのは、本当に相手のせいだろうか」というタイトルなのかは、凹天がそういうことを書かせる人だからだ。ただ、ここでは「皮肉屋で、世の中を斜めに見ていて、作品も物によっては、とても感じが悪い」凹天も、包み込まれるようにいて、居心地がよさげだ。だって、「嫌いな人をつくることは難しい」と書いてもらっているのだから。この文章は、礁池(イノー)より広い。けれど、礁池(イノー)のようにやわらがせてくれる。

 島立ちは宿命。その後どうするかは選択。凹天の場合、帰るわけにもいかないという意味では、残ることを余儀なくされたというのが正確かもしれないが、それはまた自分のことでもある。「離島で生まれ、大正デモクラシーを生き、戦争に加担し、昭和の世を孤独に生きた」凹天が、「凹天」の他界に行く前に、この世をどんな風に歩き、作品を残したのか、知りたいものだ。「今年は、日本アニメ制作から100年目」というから、機会が巡ってくるのを待ちたい。

 
 >> 「誰かとうまくいかないのは、本当に相手のせいだろうか」(宮国優子)

  

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2017/03/08

「カナダ先住民ハイダ族の神話世界--トーテムの契約--研究ノート」(山崎邦夫)

 山崎はワタリガラスの物語を詳細に検討しているが、ここではトーテムポールに着目する(「カナダ先住民ハイダ族の神話世界--トーテムの契約--研究ノート」『立教大学ランゲージセンター紀要』)。

 テイナス・ハイダガーイ(サケの人々)。

 クランの象徴として使われる動物は主に、ワタリガラス、ワシ、シャチ、クマ、ビーバーなど。地上の動物(クマなど)や鳥(ワタリガラスやワシなど)は森と空という上層世界を表し、海の動物(シャチやアザラシなど)たちや魚(サケなど)は下層世界を表している。その間に、カエルやビーバーなどと共に人間のすむ海辺という細い境界がある。

そこでは海を向いたハイダの人々のビッグハウスが、多くのトーテムポールと共に空と海ををつなげている。

 家屋はそれ自身が霊的な空間として機能する。

儀式のときには、正面のポールの根元にある紋章となる動物に穿たれた楕円の入り口を通って、人は祖先の体の中へと入ることになる(マクドナルド)。

 サケの神話では、人間とサケが、ちょうどアイヌの熊のように、対称的な関係に置かれているのが分かるが、なぜサケなのかはこの記述からでも分からなかった。

 しかし家屋の入り口のトーテムポールは、イメージが膨らむ。トーテムポールが、空と海をつなげるのであれば、これは天地の分離という空間発生の後にできたものだと考えられる。それということは、縄文期の琉球弧世界を再現するのに、トーテムポールでは象徴できないということだ。


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2017/03/07

「北米先住民のコスモビジョン」(後藤明)

 後藤明は、北米の民族誌を参照し、次のように整理している(「北米先住民のコスモビジョン」(『南山考人』44、2013)。

 春分、夏至、秋分、冬至について、北米の先住民では、圧倒的に関心は「至点」に向いていて、「分点」は必ずしも意識されていない。少なくとも、「至点」と「分点」は等価ではない。

 狩猟採集民や遊牧民は「星」を重視する(ナバホ、アパッチ、ボーニー、ダ(ラ)コタ、クロウなど)。定着的な農耕民は「太陽」を重視する(プエブロ、ホビ、ズニ)。

 当てはまらないのは狩猟採集民でありながら「太陽」を重視するカリフォルニア諸集団。

ただし彼らは狩猟採集民であるが、豊かな狩猟採集民といわれ、比較的コンパクトな領域の中で植物や魚類(サケ類)を採って安定した暮らしをしていたことが知られている。

 農耕以前に「太陽」を重視していたと考えられる琉球弧も、このカリフォルニア諸集団と似ているのかもしれない。

 ズニ族は、冬至が一年の始まりを意味し、それから6つの月を数える。そして夏至の後に続く月の名称も同じ。象徴的に一年の間に季節が二回、繰り返される。もちろん、冬至後と夏至後は対照的な季節だと知っていて、それぞれに伴う儀礼や踊りも対照的なものが行なわれる。これは、琉球弧の場合を考えるうえでの参照先として備忘しておく。

 

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2017/03/06

「生命の表出史6」(青木正次)

 『たにし女房』(中国民話集、岩波文庫)は、琉球弧の異類婚姻譚と同じく、女は捕えられる位相で登場する。

 ところがこ」の日は、網を投げるたびに、このタニシがかかるので、とうとう持ち帰って瓶で飼,うことにしました。それからはジュイションが漁からもどってくると、服はきれいに洗ってあるし、食事の用意もできています。

 青木によれば、これも「押しかけ女房譚」の一類型ということになる。青木は、こう説明している。

原理的には、食生命である食う者とはそのまま食われる者である。その間に、主客の差異はない。いわゆる食物連鎖の円環のなかにいるとき、その生命は食う者であるとともに、食われる者だ。その食物連鎖の環の外から、環の中に食われる者として介入してくる、一方的な食い物とは、本質的に何か。いうまでもなく、それこそ[性生命]である。すでにそれは食生命ではなく、それに超出して[性]を表出するようになった、より一段と髙度になった生命である。性とは食の過剰として現れた、一方的に食物となる生命性とそれを食'う立場をさしている。

 「性」は「食」の過剰として現われる。これは異類婚姻譚を表出史として読み解いて出てくる定義だ。「女を食う」という比喩はその痕跡として見ることができるのかもしれない。

 これをトーテミズムの観点を交えてみれば、異類とばれることが別離を意味する場合、トーテミズムが終焉していると同時に、性生命の段階に入っていることを示している。異類から人間になることが自然に受け入れられて、かつ別離にいたらない琉球弧の場合、性生命の段階になっているが、トーテミズムの渦中にあることを示している。

 この論考では、大島の犬祖伝承にも触れられている。

赤ちゃんを抱いて、母親がいつも便をさせていた。すると、犬が走ってきては女の女の子の尻をなめたり、便をなめたりしていた。毎日そのようなことが続いていた。母親のいうには「なめれ、なめれ、大きくなったらお前の妻にするから」といっていた。犬はいつもきれいになめていた。(「犬の妻」日本昔話大成 鹿児島県大島郡)

 青木はこう書いている。

 それは人類の幼児的な史的段階像を語るものと理解できる。共同体の自己認識を表す共同性が母子的な関係性のうちすでに、乳を与えられる乳児の産養段階をすぎて、幼児的な独り歩きの世話に相当する段階にきていることを表すものである。自然環界は食物を与える母界であるよりも、むしろ共同体の、環界からの自立、つまり食って吐く者としての自己認識を促すように、作用する段階をさすようになっているとみることができる。性的な自己ヘ、つまり排泄する自己を母獣的な環界から指示されることによって、自己を食う者と認識し返すようになる段階である。母性獣に尻をなめられる子ども、環界にむけて排泄して捨てる自己、という自己表現になる。みずから食い、獣的な環界ヘと排泄する者という、食物の母性環界に頼る採集生活からの自立、農耕段階ヘの転位という共同体の位相を語るものだろう。

 これはトーテミズムの観点から言っても、犬はスデル(脱皮する)動物ではないから、犬を祖とする思考自体、再生が絶たれた後のものだと言える。

 

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2017/03/05

「中山伝信録」に記された刺青

 18世紀に徐葆光が記した「中山伝信録」に刺青はこう記されている。

手背には誰にも刺青がしてあり、五本の指の指背には黒い線がまっすぐ爪の先の近くまでつけられている。腕の上方にも下方にも、方形や円形、それに剃りのこしの髪の形といろいろの形がある。全部が梅鉢形というわけではない。女の子が十五歳になると、針を刺しそこを墨でぬる。年々増加してゆく。官吏の家も同様である。聞くところによると、さきの国王は、かつてこれを改めようとして、人々を集めて討議させた。結論は、昔からこうしてきており、或いは何か深いわけでもあって、やめるということはタブーかも知れず、にわかに昔からのしきたりを改めるのはよくない、というものであった。そして、とうとう現在まで続けられてきている。市場へ行って見たところ、例外はないようである。(「中山伝信録」巻第六)

 徐葆光の眼に刺青は「黒」色と映っている。腕の上方、下方がどの程度か分からない。「剃りのこしの髪の形」が何を指しているのかも分からない。「梅鉢形」は、「五つ星」のことだろうか。それとも円形の外側に円形を置くデザインがあったのだろうか。

 討議の結果、止めさせられないという結論に至ったのが面白い。

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2017/03/04

『渚の思想』(谷川健一)

 谷川が繰り返し強調している内容が多いので、これまで触れたことがある個所は割愛したい。と思うのだが、「青」問題についてだけはそうもいかない。

 ではなぜ海神はいったん青の島を足がかりとして、そこに足をとめた上で本土に上陸したのであろうか。そのことを『球陽』の記事が強調しているのはなぜか。それは青の島が死者を葬った島だからと考えるよりほかない。つまり青の島こそはかつては祖霊のとどまるところであり、ニライカナイに相当する常世でもあった。しかし後代になると人びとは海の彼方に祖霊の島を思い描くようになる。

 正鵠を射ているところに誤解も入り混じるので解きほぐしにくい。海神が立ち寄るのは、そこがかつてのニライカナイであったからというのは、そうだ。しかし、死者の葬ったとは限らないし、さらにそこに「青」という色を見たわけでもなかった。

 宮古島島尻の山の中腹にある自然洞窟の墓を訪れたとき、谷川は岩の隙間から大神島を真向いに見る。

神の島として宮古の人たちに尊崇されてきた大神島に、死者たちの視線がいつも向けられていることに、私は死者たちの幸福を感じた。それはやがてこの場所に自分たちも葬られるという生者たちの幸福につながっているとも思われた。

 ここで、「青の島」にこだわらなければ、島尻の島人にとって、大神島が「あの世」の島に相当することが気づけたのではないだろうか。

 池間島では人が死んだらイーに行くという。イーは池間島北端の無人灯台付近を指す。そのさらに北に八重干瀬が広がる。谷川はここで「北への指向性は何を物語るか」と問うて、中国大陸を想定している。しかし、これも八重干瀬という「あの世」を考える必要があると思える。縄文期の「あの世」は、方角が重要だったわけではないのだから。

 あとは備忘のメモ。

 猟で捕れて平等に分配する肉をタマスと呼ぶ。谷川は石垣島の漁師から「ザンタマシ」という言葉を聞き、ザンは美味なので、つとめて公平にしなければならないと解説している。

 古宇利島では、創生神話をなぞるように、海神祭の際、「天から降ってくる餅をながい竿の先で突いて取る行事が今もっておこなわれている」。

 宮古島では干瀬の白波を「糸(いつ)の綾」と呼ぶ。宮古は、繊維の比喩を発達させている。

 

『渚の思想』

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2017/03/03

「プロトタイプ論 母界論」(青木正次)

 青木正次の母界論を手がかりに考えてみる。

 食という自己表出では、自己は「食い吐く」ものとして現われる。摂取と排泄という観念像。自他未分化。「蛇」。

たぐり(嘔吐物)や糞尿の排泄が神に成る話や、異類が子を排泄するように生む話が、排泄が産出という観念像に転位するさまを伝えている。食って吐く食相から生む性への相へと転位するのである。

 ここから筋道を立ててみると、

 初源の自然と人間は、「食べる-食べられる」関係としてある。
 そこでの、人間の自己像は、「食べる-排泄する」ものとして、食べるものと排泄するもとも未分化。見い出される自己像は「蛇」になる。

 ここから、「排泄が産出という観念像に転位」すると、排泄物と子供が同一視される。
 このとき、子を産むという観念は、食べられる自己として現われる。それが母であり、ここから生む性が現われる。

 だから、最初の性は母子関係として現われる。このとき生む性としての自己像は「シャコ貝」になる。

 これを段階の違いとして現わしてみる。

・人間と自然:「食べる-食べられる」関係
・人間の自己像:「食べる-排泄する」
・表現の水準:「食」
・トーテム:「蛇」
・生と死:「不死」

 これが転位して、

・人間と自然:「養い-養われる」関係
・人間の自己像:「生む-死ぬ」
・表現の水準:「性」
・トーテム:「シャコ貝」
・生と死:「移行」

 となる。

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2017/03/02

「沖縄の浦嶼子伝説」(水野祐)

 島尻の南風原(ハイバル)にある穏作根岳(オンサネダケ)という拝所の頂上に立つ桑の古木にまつわる伝説(水野祐『古代社会と浦島伝説』)。

 泡盛に酔った男が与那久浜で目を覚ますと黒髪を握っている。持ち主が分からない。同じ浜で夕刻佇んでいると、「私のものです」と艶やかな乙女が言う。お礼に私の家にお連れしますといって、二人で波の上を歩き、「やがて千尋も知らぬ海底へと沈んでいった」。

 御殿の奥深くたくさんの乙女に囲まれて夢うつつの二日三日を過ごす。盃のなかにふと故郷の影が映ったような気がして暇を乞う。乙女は一つの包みものと一本の桑の杖を渡す。ここは竜宮だが、竜宮の一日は人間界の千年に当たる。ふたたび竜宮に来たいときには杖を海に投げると路は開く。けれど包みものは決して開けてはならない。

 気がつくともとの与那久浜に立っていたが、三日前の記憶にあるものは何もなかった。途方に暮れて包みの紐を解くと、白髪がばらばらと飛び散り、若者の身体にまつわりついた。そして若者の姿はなくなり、ただ一本の桑の若木が生えていた。

 ・亀や他の動物は出てこない。「竜宮」という言葉が出てくる。
 ・他界と現世をつなぐものが「杖」。
 ・乙女は海神かどうかは告げられない。
 ・他界(常世)と現世の対比が、黒髪と白髪で語られている。
 ・三日と千年と時間の懸隔も甚だしい。
 ・人間の桑への化身譚になっている。

 下野敏見によれば、「龍宮信仰」の分布は、奄美、八重山と沖縄、宮古に分かれる。

 奄美、八重山 神女のカミクチのなかに「龍宮」という言葉が見られる(古)。中世。
 沖縄、宮古  龍宮を祀る石や祠を伴う(新)。近世。

 久高島では、ニライは自然死の人の行で、く他界で、龍宮は海難事故でニライに行けない悪霊の集まる他界。

 一見そうであっても不思議ではないのに、琉球弧で浦島太郎伝説が希薄なのは、他界の遠隔化が遅かったこと、あるいは遠隔化が完全にはなされていないことに起因している。

 それにしても、トーテムないしはトーテム植物に戻るという結末は、琉球弧の説話から繰り返し聞かれる。ぼくたちはここでも、「竜宮」と現世の分離未完了の響きを受け取る。


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2017/03/01

死者の助力

 久しぶりに棚瀬襄爾の『他界観念の原始形態.』を紐解いてみる。ニューギニアとメラネシアから、死者が生者を助けるという観念を抽出してみる。

 トレス海峡西部諸島。最近死んだ死霊(マリ)を恐れるが、死んで時間の経った死霊(マーカイ)に対しては親愛の情を持つ(N1)。

 キワイ・パプアンでは、死んだ両親の助言を得るために頭蓋を掘り出してその側に寝ることもある。墓以外の場所で供養も行なわれて助力を願う祈祷も行なわれる(N12)。

 ヤビム族では、一般には死霊を忌み恐れる気持ちが強いが、生存者を助けるという考えもある(N16)。

 ブカウア族では、死霊は単なる恐怖の対象ではなく、生者を畑作において助けるという考えもある。祖霊は開墾地の切り株を見守る(N17)。

 カイ族。死霊は悪さをなすが、一方では物質的な助力も与え、特に畑作や狩の獲物を恵む。

 モヌンボ族。死者は人を殺しもするが、戦いや狩りの際、生者を助けもする。死者は生者との単なる分離ではなく、人々はらくらくと通話する(N21)。

 ツムレオ族。死者が生者を助けるという考え方も強い(N24)。

 ブカ、ブーゲンビル島では、死霊は生者に悪を働くことができる。しかし、死霊の名を呼んでタロ芋畑を拓いたり、重要な漁労に出かけたりするときに助力を乞う(M10)。

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