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2017/03/06

「生命の表出史6」(青木正次)

 『たにし女房』(中国民話集、岩波文庫)は、琉球弧の異類婚姻譚と同じく、女は捕えられる位相で登場する。

 ところがこ」の日は、網を投げるたびに、このタニシがかかるので、とうとう持ち帰って瓶で飼,うことにしました。それからはジュイションが漁からもどってくると、服はきれいに洗ってあるし、食事の用意もできています。

 青木によれば、これも「押しかけ女房譚」の一類型ということになる。青木は、こう説明している。

原理的には、食生命である食う者とはそのまま食われる者である。その間に、主客の差異はない。いわゆる食物連鎖の円環のなかにいるとき、その生命は食う者であるとともに、食われる者だ。その食物連鎖の環の外から、環の中に食われる者として介入してくる、一方的な食い物とは、本質的に何か。いうまでもなく、それこそ[性生命]である。すでにそれは食生命ではなく、それに超出して[性]を表出するようになった、より一段と髙度になった生命である。性とは食の過剰として現れた、一方的に食物となる生命性とそれを食'う立場をさしている。

 「性」は「食」の過剰として現われる。これは異類婚姻譚を表出史として読み解いて出てくる定義だ。「女を食う」という比喩はその痕跡として見ることができるのかもしれない。

 これをトーテミズムの観点を交えてみれば、異類とばれることが別離を意味する場合、トーテミズムが終焉していると同時に、性生命の段階に入っていることを示している。異類から人間になることが自然に受け入れられて、かつ別離にいたらない琉球弧の場合、性生命の段階になっているが、トーテミズムの渦中にあることを示している。

 この論考では、大島の犬祖伝承にも触れられている。

赤ちゃんを抱いて、母親がいつも便をさせていた。すると、犬が走ってきては女の女の子の尻をなめたり、便をなめたりしていた。毎日そのようなことが続いていた。母親のいうには「なめれ、なめれ、大きくなったらお前の妻にするから」といっていた。犬はいつもきれいになめていた。(「犬の妻」日本昔話大成 鹿児島県大島郡)

 青木はこう書いている。

 それは人類の幼児的な史的段階像を語るものと理解できる。共同体の自己認識を表す共同性が母子的な関係性のうちすでに、乳を与えられる乳児の産養段階をすぎて、幼児的な独り歩きの世話に相当する段階にきていることを表すものである。自然環界は食物を与える母界であるよりも、むしろ共同体の、環界からの自立、つまり食って吐く者としての自己認識を促すように、作用する段階をさすようになっているとみることができる。性的な自己ヘ、つまり排泄する自己を母獣的な環界から指示されることによって、自己を食う者と認識し返すようになる段階である。母性獣に尻をなめられる子ども、環界にむけて排泄して捨てる自己、という自己表現になる。みずから食い、獣的な環界ヘと排泄する者という、食物の母性環界に頼る採集生活からの自立、農耕段階ヘの転位という共同体の位相を語るものだろう。

 これはトーテミズムの観点から言っても、犬はスデル(脱皮する)動物ではないから、犬を祖とする思考自体、再生が絶たれた後のものだと言える。

 

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