「ギラ-ユナ」空間
「琉球語の音韻グラフ」を参照すると、ギラ(シャコ貝)とユナ(砂洲)は相互変換しうる範囲内にあることが分かる。神話空間の理解上とても自然なことだが、でき過ぎで驚かないわけにいかない。果たして、そう見なしていいだろうか。突き止めるこはできないが、そう仮定してみる。
すると、このときの神話空間理解は、「貝は胞衣」という表現に象徴されることになる。「貝は女」はそこからの派生形だ。
ここでギラとユナはそれぞれ2音で構成されているので、それぞれの音韻について、音韻グラフを使って、その距離を測ってみる。
ここで、二音の音韻距離が小さい方が、元になった言葉だと想定すると、これまで考えてきたように、イノー(礁池)内の自然物は、「ユナ」系に近く、外側の枠が「ギラ」系に近いことが分かる。前者が「胞衣」系であり、後者が「貝」系であるということだ。これは妥当な結果だ。
理解を更新したほうがいいかもしれないのは、ティダ(太陽)が、「胞衣」系ではなく「貝」系に近いということだ。ということは、ティダは、日ごと「胞衣」から生まれているのではなく、「貝」そのものの化身態だということになる。
ここまで来ると、ギラとユナについて、どちらが根源にあるかを問うてみたい誘惑にかられる。ことの順番からいえば、貝を象徴と見なしたことを起点とするはずだという意味では、ギラが源ということになる。
ぼくたちは、イノー(礁池)やユナ(砂洲)という言葉はあるのに「サンゴ礁」そのものに該当する言葉が見当たらないのはなぜかという疑問から出発した。それはおそらく「貝」という名だったのだ。サンゴ礁自体が「貝」と見なされなくなって、その呼称は消えたと考えられる。
また、「イヤ」が人間の胞衣を指す言葉としてあったのではなかった。「胞衣」を指す「ユナ」系の語彙があり、その人間版を指すときに、「イヤ」と言葉を変態させたのだ。
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