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2017/02/21

宮古島の霊魂観 2

 こんどは別様に考えてみる。刺青の文様をみれば、宮古島の霊魂は、霊力から独立した概念にはなっていないことに特徴がある。独立した概念の場合、霊魂の作用を受けて、霊力がもうひとつの霊魂と見なされるようになるが、宮古の場合、霊魂のほうがもうひとつの霊力と見なされているといった方が妥当なのだ。

 ここで、タマスにしてもマウ神にしても、「魂」や「守り」からきた新しい言葉だと見なして、これに頼らないことにする。

 もうひとつの霊力として立ち上がる霊魂とはどういうことを意味するだろうか。たとえば奄美諸島や沖縄諸島では、霊魂(マブイ)は、蝶としてイメージされた。これは、頭部の蝶形骨と蝶の類似(参照:「「蝶」が霊魂の化身である根拠」)と、死者に群がる蝶を根拠にしたと思える。とくに、死者に群がる蝶の場合、生者から死者への移行という一方向に進む時間の観念を媒介にしていることが重要だと思える。それは、トーテムとは別の系列の、時間概念を表象するものとして「蝶」が捉えられたことを意味している。

 一方、宮古島の場合、霊魂概念を導いたのは、ブー(苧麻)だったと考えられる。そしてブー(苧麻)はトーテムでもある。ここでどのようにして、霊魂、言い換えれば「人間の内部の人間」(フレイザー)はイメージされることになるのか。直接的な契機は、野生のブー(苧麻)を採取するときの麻酔いだったのではないだろうか。麻に酔い軽いトランス状態に陥ることが、人間と苧麻とのつながりを思考させる。

 ブー(苧麻)は、繊細な繊維で衣装になる。これは現代的な見方で、発生からいえば、ブー(苧麻)の繊維から人間はつくられているというのが発想の順番だったはずだ。ここで、ブー(苧麻)は、人間のトーテム(祖先)になる。そして同時に、人間の身体はブー(苧麻)でできていると考えられることになる。

 ブー(苧麻)は、身体を成り立たせているものとしてはトーテムだが、同時に身体内部に象徴された表象としては、霊魂だということになる。ここで霊力を指す言葉は、フーである。フーは自然に満ちていると同時に、呼気(フー)として、人間の身体にも宿っている。身体内部に象徴化されたフー(呼気)がブー(苧麻)なのだ。言い換えれば、フー(呼気)の変態した形がブー(苧麻)である。

 こうして捉えられた霊魂が、もうひとつの霊力としての霊魂の意味になる。そして、この霊魂は蝶形骨のように頭部では象徴されず、霊魂が抜けるのはツヅ(ツムジ)からではあっても、霊魂の座を象徴するのは身体(胴)なのだ。

 岡本恵昭は、『平良市史第7巻』のなかで、マウ神はフーの実体であり、タマの再生は個人の死で可能になるが、フーの外来魂は死とともに昇天すると書いている(「神がかりの諸形態-マウ神」)。

 これを手がかりにすれば、ブー(苧麻)として表象された身体内部の「もうひとつの霊力」である霊魂が「タマス」であり、外界ともつながりをもつもともとの霊力であるフー(呼気)が「マウ神」の祖型に当たることになる。

3_3

 こう理解してみると、霊力はトーテムにつながるので、蛇、貝であるとともに、ブー(苧麻)も含んでいることになる。また、霊魂は、ブー(苧麻)であるといっても、それはトーテムでもあるから、蛇や貝を含むことになると思える。これは、宮古島の刺青で左右の尺骨頭部が同じ文様になることの根拠になる。

 ここで、「マウ神」とは、神化された霊力(フー)であり、神化を促した契機は、再生の断念であると考えられる。また、「タマス」の祖型はブー(苧麻)であると考えられる。それは、宮古の霊魂込め(マブイグミ)が、タマスウカビと呼ばれ、植物が使われることに符合する。

 ふたたび奄美諸島や沖縄諸島とのちがいを言えば、奄美や沖縄では霊魂の座が頭部であるのに対して、宮古では頭部が霊力を象徴する座になったことではないだろうか。

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