月は夜の太陽
吉成直樹は、「おもろさうし」を引いて、月についてこう書いている。
一 阿嘉のお祝付きや
饒波のお祝付きや
月てだの様に
照ゞ 輝ちよわれ
又 夜は 月 照る
昼は てだ 照る
月の様に
又 月や 隠し人
てだは 世の主
月てだ様に
一 あかのおゑつきや
ねはのおゑつきや
つきてたのやに
てゝ かゝちよわれ
又 よるは つき てる
ひるは てた てる
つきのやに
又 つきや おさしきよ
てたは よのぬし
つきてたやに
8-459(67)
「夜は月が照り 昼は太陽が照る 月のように」。
月とはいわば、「夜の太陽」とも言うべきものと考えられていたことがわかる。したがって、「かなや」に月が結びついて表現されていたとしても何らおかしなことはない。
これは重要な指摘だと思える。月がもうひとつの太陽なら、祝女の神扇の表に太陽、裏に月という意味も分かる。もうひとつの太陽なら、裏に描かれるのも不思議ではない。しかも、「夜は月が照り 昼は太陽が照る 月のように」は、「「昼は太陽が照り 夜は月が照る 太陽のように」と書くのがふつうだと感じるだろう。けれど、琉球弧の月の明るさを思えば、これも不思議ではない。しかも古代以前に月の存在の大きさを知れば、太陽よりも月を主体にした文言が残ったことには意味があるのかもしれない。
ぼくは貝の精霊の殻が閉じることで太陽が死に移行し、殻を開けることで太陽がふたたび生まれると考えてきた。しかし、そうではなく、殻は閉じることなく、夜は月を生んでいるというのが正しいのだろうか。
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