「産育儀礼にみる試練と命名」(小野重朗)
小野重朗の「産育儀礼にみる試練と命名」(「日本民俗学」143)から、与路島のアルカチム(歩き始め)の儀礼。
旧暦十月下旬の頃。その日までの一年間に生まれた子供を乗せた船を競漕して800mほど離れたアデツ浜に向かう。浜に着くと、生児ごとに波打ち際の小さな丸石を三粒拾う。みなで一重一瓶の宴を張る。帰りも競漕して浜に向かう。
浜に上がって部落のミヤに着くと、ノロが「アデツ浜に行って名前をもらってきたか」と言いながら生児の額に紅をつけた指先でハンヅケ(判付け)を行なう。
家に帰ると親戚の人々が集まる。子供を座らせ、アデツ浜で拾ってきた石を椀に入れたものと子の名を書いたものを並べて果報人がこの名を三度、読み上げる。
家によっては椀の石とともにクドマ貝とビラ(植物のニラ)を置いて、「石グドマ、金グドマ、ビラの如く、栄える如く」と唱えたりする。名づけが終わるまでは生児はみな「アカー(赤)」とか「アーミャー(赤ちゃん)」と呼ばれる。
この儀礼から分かることを書いておく。
・アデツ浜はかつての「あの世」である。
・子供を乗せた船は、「胞衣」の変形である。
・拾う丸石は霊魂と霊力。
・名前も「あの世」からもらってくる。
・アデツ浜から船で向かうのは、生誕の再現。
・貝や植物はトーテム。
・祝女のつける「紅」は、太陽と胞衣の印。
・名づけまでの「アカー」は、貝の子であることを示す。
アルカチムとは別に、生後10日ほどで行うトグチハジメ(戸口初め)の祝いがある。
祖母か祖父が、生児を抱いて家の表から前庭に出て、母親の寝ている家の裏に入る。外の光に当てるのでアカリオガマシ(明り拝ませ)とも言う。入るときに釜のヘグロ(鍋墨)を生児の額に塗る。これをトグチハジメノシルシという。
トグチハジメまでは外の光を浴びさせない。小野はそのことを、
生児にとって日光は強すぎて危険であると思われた(たいへん科学的に正しい答え)ためと考えられる。
としているが、子供の霊魂が安定するまでは、「太陽」に「あの世」へ連れ戻されないようにするためではないか。鍋墨は、祝女のつける紅と同じ意味を持つ。釜の火の墨だから、これも太陽のことだ。
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